2018.12.3 06:48/ Jun
「私、まだ、学びモードですから・・・(まだ実践は出来ません)」
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学生の皆さんと接していると、一年に1度くらいですが、こんな言葉に出会います。何らかのアクションや実践を前にして「尻込み」をするときに、よく発せられる言葉です。「学びモード」という言葉を用いて、「実践を先送りするための予防線」をはろうとする。
この言葉の含意は、
1.わたしは、まだ知識やスキルなどを「学んでいる」最中なので、
2.実践することは畏れ多くてできません
3.しっかりとスキルを獲得したあと(=学び終えたあと)で、実践の舞台をください
ということなのかな、と思います。
要するに「学びとは知識・スキルを獲得すること」であり、「実践とは、知識やスキルを獲得したあと」でなければ「できない」ものとかんがえていらっしゃいます。これが「学びモードです!」の背景にある背後仮説です。
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まぁ、この世には、1ミリも「知識やスキル」も与えないままに、実践やアクションに向かわせる「学びという名の放置プレイ」「谷底ぶんなげモデル」ーすなわち「精神主義」や「根性主義」が「横行」しておりますので、このくらい慎重なくらいが「ちょうどいい気」もするのですけれども、僕は、同時に、脳裏に異なった考えをもってしまいます。
その思いとは、
1.この世には、知識やスキルを学び終える、ということがありうるのか? すなわち「学びモード」とは「終わるもの」なのだろうか?
2.知識やスキルに少し不足があるくらいの状態に達したなら、背伸びをしてみて、実践してみることが重要なのではないか?
3.実践をやってみて、振り返ることがむしろ、「学び」なのではないか?
という思いです。
要するに、先ほどの議論では「学びモードは終わること」を前提にして、その「学びモード」が終わってから「実践に向かう」と考えていたのですが、僕の「学びモード=ネオ学びモード」のイメージは異なります。むしろ、「ネオ学びモード」では、実践とともにある。絵に描いてみれば、こんな感じでしょうか。
上記の絵では、上段の「学びモード」では「学びモード」と「実践モード」は明確にわかれています。
そして「学びモード」が終わったら、そのあとで「実践モードがくる」ことになっている。しかし下段の「ネオ学びモード」とは、実践を含んで、すべてが「学び」になっている。そして、むしろ、学びは終わらない。
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今日は「わたしは、まだ学びモードですから」という学生さんの一言から「学びと実践」について考えてみました。
あなた自身は、どんな「学びモード」のイメージをお持ちですか?
そして人生はつづく
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