2018.5.29 06:41/ Jun
長時間労働とは「負の組織学習」なのではないか
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今年2018年9月22日ー小樽。
南山大学の安藤史江先生、北海道大学の松尾睦先生からお声がけいただき、「組織学会」の自主シンポジウム?、自主セッション?で、お二方とともに、発表をさせていただく機会をたまわりました。
会のテーマは「組織学習」
僕自身は「組織学習」を「ガチ」で研究しているわけではないのですが、せっかく賜りました機会ですので、「これも勉強だ」と自分を奮い立たせ、お引き受けさせていただきました。
今からとても楽しみにしています。お二人の先生方には、お声がけに心より感謝いたします。ありがとうございました。
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さて、かくして自分のかかわっている研究を「組織学習」の観点から考察することになった(!)のですが、何かな、と考えたときに真っ先に思いついたのが冒頭の命題です。
長時間労働とは「負の組織学習」である
今日は、「組織学習理論」の観点から、「職場における長時間労働」を解釈してみようと思います。
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さて、組織学習とは、一般に
「組織に所属するさまざまな人々が、そこで経験をつみ、学び、それらが共有されることで、組織全体のなかに、さまざまなルーティンが確立していくこと」
をいいます。
より具体的にいえば、
まず、組織のなかの誰かが、学ぶ(個人の学習)。
それは、最初は、組織のなかに、誰一人として共有している人はいない。
しかし、やがて個人で学習された内容は、
職場メンバーに共有され「組織は学習」していく
メンバー間で、「誰かの学習成果」が共有される。
しだいに、それが広がる。
次第に、個人の学習成果は組織に広がり、「制度化「体制化」される。
組織のみんなが従う「ルーティン」となっていく
一般には、こうしたプロセスが、「組織学習」ということになります。
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この観点からいたしますと、冒頭述べた、長時間労働とは「負の組織学習」である、ということは、こういうプロセスをいいます。
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まず、組織のなかの誰かが、「長時間労働」という「働き方」
を「学習」してしまう。個人のなかで「特定の働き方」が「固着」する。
最初は、組織のなかに、誰一人として共有している人はいない。
しかし、やがて「組織は学習」していく
メンバー間で、「誰かの働き方」が共有される。
しだいに、それが広がる。
次第に、「個人の学習成果=選び取られた長時間労働の働き方」
は組織に広がり、制度化・体制化される。
組織のみんなが従う「ルーティン」となっていく
この「ルーティン」こそが「残業職場」
すなわち「同調圧力によって帰ることができない職場」である
それを変更するためには「いったん組織学習されてしまったルーティン」を解除する
ための「アンラーニング(学習棄却)」が必要だが、その実行には「痛みが伴う」
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いかがでしょうか?
ちょっと「無理くり観」はあるような気もいたしますが(ここは愛嬌)、自分としては、
1.「働き方」を「個人が学習してしまった成果やルーティン」とみなす点
2.「働き方」が「個人から組織に学習される点」
は「組織学習」のプロセスそのものではないかな、と思います。
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ちなみに、この「組織学習プロセス」は、「組織」のみならず「家庭」でも繰り返されます。
長時間労働は「家庭においても、組織学習される」のです。
まず、家庭のメンバーのうち働き手のひとりが、「長時間労働の働き方」
を余儀なくされ、それを「学習」してしまう。
個人のなかで、特定の働き方が、固着する。
しかし、やがて「組織としての家庭」は「学習」していく
メンバー間で、「働き手の働き方」が共有され、それにあった
「家庭のライフスタイル」が「選び取られる」
しだいに、それが「家庭のメンバー全員」に広がる。
次第に、個人の働き方は家庭に広がり「制度化・体制化」される。
家庭のみんなが従う「ルーティン」が確立される。
残業代が支給され、それが「家庭のライフスタイル」に組み込まれると
さらに「ルーティン」は強固になる。
いったん確立されたライフスタイルのレベルは、下げることはできない。
かくして、家庭は「働き手の長時間労働」を「組織学習」してしまう
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いかがでしょうか?
半分冗談、半分本気の「考察」なのですが?、なかなか興味深いとは思いませんか。
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ちなみに、「お調子こきお君」としては、調子にのって、さらに考察を深めます。
この「組織学習理論的考察」は、いわゆる「フラリーマン」をも説明してしまいます。
一般に、「フラリーマン」とは、「会社から早く帰ることを言い渡されたビジネスパーソンが、とはいえ、家庭にはやく帰ることもできず、夜のまちをフラフラしてしまうこと」をいいます。
NHKの問題提起(?)により、ここ1年ほど、語られるようになった言葉です。しかし、これが理論的に考察されたことはありません。
組織学習理論の観点から解釈すると、
フラリーマンとは「組織と家庭の組織学習の狭間」に落ち込んでしまった人をいいます。
フラリーマンとは「組織と家庭のアンラーニングの犠牲者」でもあるのです。
フラリーマンが生まれるプロセスは下記の通りです。
上記で論じた「組織学習論」のうち「アンラーニング論」を用いながら、これを説明させていただきます。
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まず、突然、会社から「働き方を変えるように働き手」が言われた。
会社はいったん「組織において組織学習されてしまった長時間労働のルーティン」を無理矢理かえることにした。国策としての国からの圧力、トップの大号令によって、「ルーティン」の見直しがはじまる。
かくして、痛みをともなう改革がはじまり、長時間労働という名のルーティンの解除(アンラーニング:学習解除:組織が学び取ってしまったルーティンを解除していくこと)が開始された。
ビジネスパーソンは、かくして、はやく自宅に帰ることができるようになった。
一見、幸せのように感じたが、問題はそう単純ではなかった。
ビジネスパーソン自宅の方は、これまでの「彼 / 彼女の働き方にあわせて、同じように組織学習」が進んでおり、ある特定の「ライフスタイル」が「ルーティン」として確立している。ビジネスパーソンが、早く帰るためには、確立している「自宅の組織学習」を「解除=学習棄却(アンラーニング)」しなければならない。
しかし、こちらの方は、「組織におけるアンラーニング」は何とかなっても、「家庭におけるアンラーニング」はうまく進まない。
残業代をすでに「ライフスタイルの構築」に組み込んでしまっているので、そもそも、突然「長時間労働」を解除しろ、と言われても無理がある。
それに、長いあいだ確立してしまった家庭のライフスタイルを学習棄却するには、家庭の人々の理解が必要だが、そこにあまり「インセンティブ」がわかない。
よって、ビジネスパーソンは、組織を「追い出され」、しかし、家庭に帰るわけにもいかず、「街を徘徊すること」になる。
フラリーマンとは
「長時間労働をアンラーニングした会社」と「長時間労働をアンラーニングできなかった家庭」の狭間を漂う人
のことだったんですね。
いわば「帰える場所を失った旅人」かなぁ・・・。
なんか泣けてきた(笑)。
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今日は、「組織学習論」の観点から「長時間労働問題」や「フラリーマン」を解釈するという、ほとんど「暴挙」に出て知的遊戯を愉しんでみました。
学会までは、まだ随分時間があるようです。
少しずつ、妄想を広げ、当日まで愉しみたいと思っています。
いいじゃん、妄想なんて「個人の勝手」なんだし、「タダ」なんだから(笑)
そして人生はつづく
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