2018.5.7 02:15/ Jun
薬物を使い始める前
私には
助けが必要だったが
どうやって助けを求めたらいいのか
わからなかった
薬物を使い始めた頃
私には
助けが必要だったが
助けを求める気はなかった
薬物が止まらなくなってしまい
私には
助けが必要だったが
誰に助けを求めればいいのか
わからなかった
薬物を本当にやめたいと願い始めたとき
私には
助けが必要だったが
助けより
薬物が必要だった
(倉田めば「ヘルプ」 ハームリダクションとは何か p108より引用)
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「処罰」から「支援」へ
「断薬」から「減薬」へ
「イデオロギー」から「サイエンスへ」
今、「依存症」の治療のパラダイムが変わり始めている、といいます。
世間では、芸能関係の某事件によって、依存症に対して注目が集まっています。だからというわけではないのですが、最近、ゆえあって、依存症の研究を概観していました。
最初にお断りしておきますが、僕は、医療にはまったくの門外漢であり、専門的なことはわかりません。ただ、先だって読ませていただいた松本俊彦・古藤吾郎・上岡陽江(著)「ハームリダクションとは何か」は大変興味深いものでした。
本書のタイトルにある「ハームリダクション」とは、文字通り解釈するならば「Harm(害)」+「Reduction(減少)」のこと。
ハームリダクションとは「違法であるかどうかにかかわらず、精神作用性のあるドラッグについて、必ずしもその使用量は減ることはなくても、その使用により生じる健康・社会・経済上の影響を減少させることを主たる目的とする政策・プログラム・実践」のことをいいます。
従来の薬物治療が「断薬主義」「処罰主義」であったことの弊害を反省し、近年、先進国を中心に広がっている考え方だといいます。
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たとえば、今、仮に、「ある薬物」に依存している人がいるとします。
こうした依存症の患者に対して、従来、「依存症治療の治療パラダイム」は「底つき主義」「断薬主義」「処罰主義」にもとづくものでした。
依存症に陥ってしまう薬物は、当人が「底つき経験=もうこれ以上、堕ちるところまで堕ちる状態」を経験するまではやめられない。
依存症の治療では「底付き」の状態になったうえで「断薬」をもとめるしかない。それができなければ、「厳罰」「処罰」をもってあたるしかない、とされていました。
しかし、これで本当に「断薬」できれば、よいのですが、それは実際にはなかなか難しいものです。本人の意志の問題で「依存症」という病が克服できればよいのですが、それがそもそも、極めて難しい。
なぜなら、「やめようと思えば、思うほど、やりたくなる、やらざるをえなくなる」のが「依存症」という病の「本質」だからです。
「やめようと思えば思うほど、やらざるをえなくなる人」に対して「やめなさい」と繰り返すのは、あまり「建設的な対応」とは言えないのかもしれません。しかし、従来の治療では、こうした対応が、イデオロギカルに繰り返されていました。
また、依存症の背景には、実は隠された「病理」があることがあります。
たとえば、子どもの時代から、注意欠陥、多動症の症状を抱えていたり、もともと、トラウマや精神的障害を抱えているケースがあるそうです。この場合、「薬物への依存」は、これらの「病理」を「自己治療するためのもの」とも考えられます。著者らは、これを「自己治療仮説」と呼称しておられました。
すなわち、人が薬物を過剰に投与し、依存症になりはててしまうのは、薬物が「快楽」をもたらすからではなく(正の強化をするからではなく)、もともと、その人が抱えている「苦痛」を除去してくれるから(自己治療するため)である、という仮説になります。
薬物依存においては、当人が「自己治療」のために、あえて薬物を摂取する状況に追い込まれているのにもかかわらず、「もともとの病理」は残存させたまま、薬物だけを禁じることが求められます。この状況では、本人の病理は治癒しておりませんので、再発を繰り返すことになります。
さらにさらに、このように「薬物からの依存」は抜け出すのが難しいだけに、ここに「厳罰主義」や「処罰主義」が加わりますと、もし再発し、ふたたび薬物に手をだしてしまうと「きわめて厄介」なことがおこります。
厳罰や処罰が科されるとわかっているだけに、もし再発をしてしまえば、当事者たちはアンダーグラウンド(地下)にもぐって、その使用を継続することになります。
アンダーグラウンドには、たとえば、注射器の使い回しなど、非衛生的で危険な機会に満ちあふれています。かくして健康被害はさらに広がり、社会としても、その害を受けることになります。
また、厳罰や処罰が科されるとわかっているだけに、当事者は社会的に「孤立」を深めます。この「孤独こそ」が、さらに「過剰使用」が深める結果になってしまいます。かくして、依存症による「二次的被害」はさらに広がります。
もちろん「やめられる」にこしたことはない。ただ「やめるのは極めて難しい病が依存症」であるだけに「やめられることを過剰に強要され、やめられなければ処罰の対象」ということになってしまうと、かえって「二次的被害」が大きくなってしまうのです。
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これに対して、「ハームリダクション」では、「断薬」「処罰」に必ずしもこだわりません。
単刀直入に申し上げれば、ハームリダクションでは、当事者は「薬物をやめることができる」かもしれないけれども、もしかすると「薬物はやめられないかもしれないこと」を「所与の前提」にして、「当事者の支援」を行っていきます。
この意味で、ハームリダクションはきわめて「リアリスティック」です。
もちろん「やめられる」にこしたことはない。ただし「何がなんでも断薬だ」「それができないなら処罰だ」という「イデオロギー」に基づいた対応を行うのではなく、むしろ「サイエンス」にもとづき当事者を「支援」し「二次的な被害」を減らすことを目的にします。
すなわち、依存症による「二次的な被害」を減らしたいと当人が願うのであれば、彼らを「処罰」するのではなく、「支援」するのです。
たとえば、
・「非衛生的な注射器」をつかっている人には「安全な注射器」を配付します
・危険なドラックを用いているひとには「より安全な麻薬」を処方するなどの置換療法を提案します
・ドラックの利用を「是」とし、安全なドラックの組み合わせ方、安全な炙り方などの情報提供を行います
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これらの対応は、一見、「本来、厳罰に処されるべき罪」を「是認」し「甘やかしている」かのように見えます。しかし、そうではないのです。
ハームリダクションとは、物質をどうしても利用してしまう人に対して、無理して「強要」することをもって生じる「二次的被害」を減じることをめざします。
ハームリダクションでは、物質の依存症によって起こりうる二次的被害を減じることを目的にしながら、当事者に「かかわりつづけ」、当事者の「生活の質」の向上、社会・地域コミュニティの健全性を高めていくことをめざすのです。
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医療にはまったくの門外漢ながら、本書を一読して思ったことは、ハームリダクションとは「知性主義とサイエンスに基づいた、極めてリアリスティックな実践である」ということです。
僕自身は、この実践にとても「共感」を感じましたが、同時に、これほど「誤解を受ける実践」はないだろうな、とも思いました。
本書によると、ハームリダクションは、数十各国で広がっているそうですが、この普及の難しさがここにあります。
その背景にあるのは、世の中には、依存症にまつわる「様々な偏見」や「根性主義・精神主義」がはびこっていることがあります。
依存症におちいった人々がもともと抱えていた様々な困難には、あまり目が向けられず、それに陥った人々に「精神主義的な断薬」を迫り、かえって、彼 / 彼女たちを社会的に孤立させ、アンダーグラウンドに落とし込んでしまう。
もちろん、薬物は「やめられる」にこしたことはないのでしょうけれど、厳罰主義や断薬主義のもとで、このような負のサイクルがまわっていないかを、まずは確認するところから、着手してもよいかもしれません。
厳罰主義、根性主義のもとで駆動する「二次的被害」をいかに軽減するか、という観点から議論をはじめてもよいのではないか、と思いましたが、いかがしょうか。
ちなみに最近では、アルコール治療などにおいても、ハームリダクションの考え方が、用いられているようです(Witkiewitz et al 2017)。断酒をめざすのではなく、アルコールを減らすことによって、生活の質や健康状態を向上させることが試みられています。
Witkiewitz, K. et al.(2017) Clinical Validation of Reduced Alcohol Consumption After Treatment for Alcohol Dependence Using the World Health Organization Risk Drinking Levels. Alcoholism. 41(1). pp179-196.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28019652
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本書の巻末には、1978年にサイモンフレーザー大学のAlexander博士らがおこなった「ネズミの楽園」という、まことに「味わい深い実験=考えさせられる実験」が紹介されています。
今、居住空間のまったく異なる2つの空間に「ネズミ」を配置します。
一方のネズミたちは、一匹ずつ孤立させ、金網でできた檻のなかに収監された「植民地ネズミ」になってもらいます。もう一方のネズミたちは、常緑樹のウッドチップがしきつめられ、十分な餌と仲間に恵まれた「楽園ネズミ」になってもらいます。
こうした「2群のネズミ」に、「普通の水」と「モルヒネ入り」の水を57日間あたえ、観察すると、どのようなことがおこるでしょうか。
植民地ネズミの方は、孤独な檻のなかで、楽園ネズミに比べて、多くのモルヒネ水を飲んでいました。対して、楽園ネズミの方は、モルヒネ水は、あまり飲まなかったとのことです(Alexander et al 1978)
Alexander et al(1978) The effect of housing and gender on morphine self-administration in rats. Psychopharmacology. Jul 6;58(2) pp175-179.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/98787
「永遠の課題ともいえる薬物摂取」の背景には、「社会的な孤独」や「環境のシンドサ」があるのではないか・・・。そして、依存症に苦しむ人々は、それらを「自己治療」しているのではないだろうか。思わず、深く考えさせられた実験でした。
あなたの周囲の依存症の人々は、「植民地ネズミ」ですか、それとも「楽園ネズミ」ですか?
そして人生はつづく
【関連記事】
苦境やスランプに「どハマリ」しそうなときに思い出したい「3つのP」とは何か?(Yahooニュース個人・中原淳)
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakaharajun/20180507-00084907/
「わかっちゃいるけど、やめられず、繰り返してしまう行動」をいかに抑制するのか?
https://www.nakahara-lab.net/blog/archive/2903
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