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2018.4.25 06:15/ Jun

この研究は「ほげほげ学」なのか「ちょめちょめ学」なのかという問い!?

 あの研究って「ちょめちょめ学」とは言えないんぢゃないでしょうか?
 この研究は「ほげほげ学」の範疇ですよね
    
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 アカデミックな仕事現場では、多くの人々が「境界」を気にしています。
「ほげほげ学」とか「ちょめちょめ学」とか、そうした「体系」のようなものを、それぞれに「思い描き」、自分の研究や他人の研究が、その「境界」の中に位置づくのか、外に「はみ出ている」のかを、人によっては、かなり気にして仕事をします。
    
 そこで現れるのが、冒頭でご紹介させていただいたような台詞です。
    
 あの研究って「ちょめちょめ学」とは言えないんぢゃないでしょうか?
 この研究は「ほげほげ学」の範疇ですよね
    
   ▼
  
 そうした「台詞」を耳にするたびに、僕は、どうにも「ピンとこない」思いにかられることを正直に吐露します。
 
「ほげほげ学」って、そもそも何だろう?
「ちょちょめ学」って、みなが同じものを思い描ける「確固たる体系」があるのかな?
「ほげほげ学」とか「ちょめちょめ学」って「共同幻想」のようなものぢゃないかのかな?
  
 僕には、どうも「学」という体系で、みなが同じものを思い描いているような場面を、どうしても、想像できません。同じ「学」の範疇のなかの、極右と極左の研究が仮にあったとして、それをひとつのカテゴリーで束ねることのできる論理的妥当性が、僕には想定できません。なので僕は、「学」をあまり気になりません。
 否、正しく正直に申し上げますと、「気にする方はいらっしゃってまったくよいと考えますが、僕が、僕に残された数少ない時間で考えるべき問題ではないな」と考えてしまいます。
   
   ▼
     
 そんなとき、脳裏に浮かんでくるのは、ある「有名なスピーチ」です。
  
 それは、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したときに贈ったスピーチになります。このスピーチでボブ・ディランが言わんとしていることに、僕はどうしても、共感してしまうのです。
  
 すこし長くなりますが、これを引用してみましょう。
   
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 私は「偉大な文学家」といわれる「ウィリアム・シェイクスピア」について考え始めました。
 彼は自分のことを「劇作家」と考えていたのだと私は思っています。
 彼は「自分が文学を書いているんだという意識」はまったく「頭になかった」でしょう。
  
 彼は「演劇」のために「言葉」を書いていたのです。
 つまり話されるもので、読まれるものではなかったのです。
  
 彼が『ハムレット』を書いている時、彼はいろんなことを考えていたと私は確信しています。
  
 『この役に合う役者は誰だろう?』
 『これはどうやってステージにすべきか?』
 『デンマークを舞台にしたいのか?』
  
 彼のクリエイティヴなヴィジョンや野望は、間違いなく彼の念頭にあったものでしょう。
 でも、考えたり、対処しなければならない世俗的な事柄もあったと思うのです。
  
 『資金の手当ては大丈夫なのか?』
 『自分のパトロンにちゃんとした席はあるのか?』
 『骸骨はどこで手に入るのか?』
 
 とか、そういうものです。
   
 そのような中で、彼の意識のなかでもっとも遠いところにあった問いは何か?
 それは『これが文学か?』という問いであったとわたしは確信しています。

  
(下記サイトより引用、一部、筆者・改)
  
ボブ・ディラン、ノーベル賞授賞式で発表したスピーチの全文訳を公開
https://nme-jp.com/news/30811/
   
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 ここで明らかにボブ・ディランは、シェークスピアに自分を重ねています。
 ボブディランといえば、彼がノーベル文学賞にノミネートされたとき、「ボブディランの歌は、そもそも文学なのか、どうか」で激しい論争が巻き起こったことを記憶している方は、少なくないはずです。
  
 ボブ・ディランは「単に歌詞をつむぎ、歌を歌ってきた」だけなのに、なぜか、それが「ノーベル文学賞」にノミネートされ、激しい「文学論争」を巻き起こしてしまいました。
  
 ボブ・ディランの歌詞や歌は、「文学」なのか? それとも「文学」ではないのか?
  
 ディランは、きっと、こういいたかったのでしょう。
  
 僕は、聴衆のために、歌を歌ってきただけなんだ。
 僕たちは「風に吹かれていた」だけなんだよ、と。
  
   ▼
  
 ボブディランがシェークスピアに自分を重ね合わせるのは、まことに秀逸なメタファなのかもしれません。
 対して、どこの馬の骨かもわからないような僕が、シェークスピアに自分を重ね合わせるのは、シェークスピアに対してとてつもなく失礼なことかと思います。
 す、す、すみみません(笑)。
 
 でも、思いは、さして変わらないのです。
  
 自分の研究や著作を読んでくれる人のために、それを必要とする現場のために、僕は書くだけだ
 僕から、もっとも遠いところにある「問い」とは、それが「ほげほげ学」なのかどうか、という問いであると。
   
   ▼
  
 今日はすこし真面目に研究のことを考えてみました。もちろん、この僕の考え方を他人に押しつけるつもりは毛頭ございません。冒頭申し上げたように、「気にする方はいらっしゃってまったくよいと考えますが、僕が、僕に残された数少ない時間で考えるべき問題ではない」というだけでございます。
    
 じゃあ、なぜ、このブログで照会させていただいたかというと、実は、これは、昨日、大学院生の皆さんとゼミで議論した内容なのです。ゼミのおすそわけ(笑)
  
 皆さんはどのように考えますか?
 あなたの研究は「ほげほげ学」ですか? それとも「ちょめちょめ学」ですか?
 そもそも「ほげほげ学」とか「ちょめちょめ学」って何ですか?
  
 そして人生はつづく
  
  ーーー
  
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