2017.9.13 06:41/ Jun
新人教育(OJT)の現場で、よく起こるのはこんな状態です。
あなたの周囲のOJTの現場では、こんな状況は生まれていませんか?
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日本企業の人材育成、その中心にあるのは「OJT」です。
OJT指導では、OJT指導員(先輩社員)が経験の浅い新入社員の指導にあたることが多いのですが、その現場では
「新人がわからないことが、わからない」
すなわち
「新人が”自分で何かをわからないか”がそもそも理解できておらず、
さらには、そのことがOJT指導員には理解できない」
という事態が起きやすいものです。
その様子は、先ほどの、こんな感じでしょうか?
なんじゃ、こりゃ?(笑)
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かつて「自己のアイデンティティ」が「他者」によって構成されることを喝破したのは、精神科医のR.D.レインです。
レインは、それまでの常識をくつがえし、「自己」とは「自己によって規定されるもの」ではなく、「自己からみた自己」と「他者からみた自己だと自分が認識する自己」の関連によって構成されることを、著書「自己と他者」において論じました。レインの自己論は、学部の初年次あたりに、教養などで出会うことが多いのかな、と思います。
人々のあいだには「自分自身は自分がつくるもんだ!」という強固な思い込みがありますが、レインによれば、それは違います。「自己と他者の複雑な関係」によって、「自己」とは生まれるものなんだよ、ということになるかと思います。自己とは「社会の網の目」のなかで生まれるのです。
ところで、レインが、自らの主張を展開するために生み出した「表記法」が先ほどの「なんじゃこりゃ」です(笑)。
厳密にいうと「自己論とOJT論をごたまぜにするんじゃない」とお叱りを受けそうですが、まぁ、ブログなんだからいいじゃない、ということで、敢えて、概念拡張をして、この表記を用いることにしました。
レインの表記は下記です。
今、仮に
自分自身を「P」
他者のことを「O」
とします。
そして、
自分自身が自分をみる見方は「P→P」
自分自身が他者をみる仕方を「P→O」
他者が他者自身をみる見方を「O→P」
他者が自分をみ見方を「O→P」
とします。
そうなると、
他者が他者自身をみる見方を、自分が見ていること
P→(O→O)
他者が自分をみる見方を、自分が見ていること
P→(O→P)
となります。
この表記に着想をえて、OJTの現場で起こっていることを表現すると、先ほどのような表記になります。
今仮に「P=新人」「O=OJT指導員」とします。
「みること(→)」を「わかること(→)」に転換します。
また「わかること(→)」のほかに「わからないこと(→に斜線)」をおくならば、下記のようになるかと思うのです。
ま、遊びよ、遊び(笑)
(小生、24時間365日、起きてるときは、人材開発のことしか考えていません。なので、しょーもないことばかり妄想してしまうのかもしれません)
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人は、熟達に従って、「新たな視野」を獲得していきます。しかし、それは同時に「かつての視野」を失うことでもあります。
にはご用心!
あなたの周囲では、この状態が起きていませんか?
そして人生はつづく
追伸.
人はどこまで「自己と他者の入れ子」を理解できるのかなと思って、10歳TAKUZOに
P→(O→P)
が理解できるかを聞いてみました。
「あー、わかる、わかる」とは言っておりましたが、たぶん、わかっていないような気がします。10歳ですけれども・・・(笑)我が子は、親に似て単細胞なので。
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