2016.8.12 05:19/ Jun
「定年」って「生前葬」だな
衝撃的な一言からはじまるのは、内舘牧子さんがお書きになった「終わった人」です。遅ればせながら、先だって、この本を手にしました。ふだんは全くフィクションを手にしませんが、何か自分の専門や自分自身にも関係があるような気がして、思わず、ポチっとしてしまったのです。
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「終わった人」は、有名大学を卒業し、銀行に入行した、ある男性サラリーマンが主人公です。
本店でトップまでのぼりつめることはできず、49歳で子会社出向させられ、その後、「終わった人」として役員をつとめあげた男性サラリーマンが、定年後、働くことを失います。その後の彼の人生を、戯画的に描き出しています。
本書では、いたるところで、男性の悲痛な叫びがこだまします
社会における全盛期は短い。一瞬だ。
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一流大学に行こうが、どんなコースを歩もうが、人間の行き着くところに大差はない。
所詮、「残る桜も散る桜」なのだ。
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俺はこれからどうなるのだろう。「終わった人」という現実がありながら、まだ仕事をしたがっている。趣味には生きられない。どどのつまりは、こうして死ぬまで息を吸っては吐いているしかないのか。
男性には、とりたててスキルや人脈があるわけではありません。
他人から
「何ができますか?」
と問われれば、
「子会社の役員ができます」
としか答えようがない男性には、定年後、何もありません。
しかし「生前葬」という名の定年から、自分の寿命に至るまでの膨大な長い時間を、男性は生きぬかなくてはなりません。
男性は「もがき」ます。
大学院にいって文学をやってみたいといいだし、カルチュアセンターに通ったり
招待状すら送られていない会社関係のパーティに顔をだしてみたり
激減する「お中元」に当惑してみたり
妻はまったくあてにはなりません。
妻は妻で、すでに「自分の世界」を築いています。
男性が「暇になったから、温泉に行こう」と誘いかけても、
「1日だったら、つきあってあげてもいいわよ」
とかえす始末。
このように、本書では、仕事に生きた元・男性ビジネスパーソンの「痛すぎる日常」が描かれています。
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僕は今年で41になります。
まだまだ定年は先ですが、どちらかというと、「人生、生き急いでいます」ので(笑)、本書を自分事のようによみました。
僕が定年を迎えるころ、僕の息子たちは、20代中盤から30代。
カミサンは、きっと仕事をしていることでしょう。
みんな自分の人生を生きているはずです。
そのとき、自分はどのように生きるのか。
まだ、自分には、イメージがつきません。
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しかし、間違いがないこともあります。
それは、自分も、この男性同様に、年を重ねるということ
一歩一歩、その瞬間に近づいているということ
そして、
おそらくは「生前葬が終わってから」、「生前葬後に何をするか」を考えても、もう遅すぎる、ということ
です。
加齢は、誰にも平等に襲いかかるものです。
そして、若さとは資源であり、猶予です。
あなたは、どう、生きますか?
ちなみにさいごにひとつの数字を。
ある単純試算によれば、人が会社で過ごす時間は約70000時間です。
一方、定年を65歳、80歳まで生きるとして、この間15年。
一日の3分の2は仮に起きていると考えて、定年後の時間は約9万時間です。
以上は、ざっくりとした「数遊び」です。
しかし、単純な試算をもってしても、あれほど長く感じた労働時間よりも、定年後の時間の方が長いことがたちどころにわかります
なぜなら定年後の時間は「日常」だからです。
さて、この時間を、あなたはどう生きますか?
そして人生はつづく
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