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2016.2.4 06:31/ Jun

「3つの問い」から見つける「わたしの研究テーマ」!?

 一応、これでも「なんちゃって研究者」のはしくれでございますので、自分の仕事、すなわち、研究のことについては、よく考えます。
 自分の研究をいかに立ち上げていくのか。その次に、これまでとは違う「何」を打ち出していくのか、は僕の関心事の常に上位をしめます。といいましょうか、起きている時間は、24時間、それしか考えていません。
 ふりかえって考えてみると、研究にまつわるこの手の思考は
 1.「自分が研究したいのは何か?」
 2.「世の中の人々があなたに研究してほしいことは何か?」
 3.「研究として成立するかしないか?」
 という3つの問いの「せめぎ合い」のような気がします。
 これは僕の研究領域だけにあてはまることかもしれないので、拡大解釈は禁物ですが、何かの研究を立ち上げようとするとき、僕は、常に、この3つの方向から、物事をあーでもない、こーでもないと、「連立方程式」をとくがごとく考えているような気がします。
 連立方程式だってさ、、、20年ぶりに、この文字に出会ったよ(笑)
  ▼
 3つの問いは、それぞれを言い換えると、こうなるのかもしれません。
 まず第一に「自分が研究したいのは何か?」とは、自分の純粋な知的好奇心にてらして、明らかにしたいことは何か、ということです。
 よく研究という営為を誤解なさっている方の中には、「体系的に物事を学びたいですぅ」とか「学問的知見を学ぶことをやぅてみたいですぅ」という感じで、大学院にこられる方がいらっしゃいますが、おそらく、それは「研究」ではなく「勉強」です。
「研究」とは、誰も知らない、誰もやったことのないような「何か」を、あなた自身がつくりだす行為であり、それを明らかにする行為です。学問的知見を「つくりだす側」、すなわち、あなた自身が「こちら側」にくることが、研究者として求められていることです。
 だから、まずは物事を不思議に思ったり、何かを明らかにしたいという強烈なモティベーションがなければ研究は駆動しません。
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 その次に、第二に意識するのは、とりわけ僕の場合は、「研究の社会的意義」や「研究に対する社会的期待」です。「世の中の人々があなたに研究してほしいことは何か?」とは「あなた自身がやりたいと思っている研究には、どの程度ソーシャルインパクトがあるか?」ということです。
「人材開発」という研究領域柄、どうしても、これを僕は意識してしまいます。「人材開発」の研究領域は、「かくかくしかじかの人材開発の様子がわかりました!ちゃんちゃん」では、実務家の期待に応えることはできません。
 実務に近い研究をしておりますと、
 「かくかくしかじかの様子がわかったのはいいけど、で、どうする?」
 「ちょめちょめ、ほにゃららの状況を、どう立て直す?」
 という「So what ?」的な問いが、かならず矢のように刺さってきます。
 僕自身は、こうした問いに研究内部、ないしは研究を離れてでも少しでもお答えしていくこと、ご相談に応じることが、この研究領域のもっとも大切なところだと思っています。
 僕が、いつも大学院生に口酸っぱくいうことの中に、
 「あなたの研究のオーディエンスは誰?」
 「それって、誰の、どういう問題を解決するの?」
 というのがあります。これらは表現は異なりますが、言っていることは同じです。自分の研究に「宛先性」を持って下さい、ということです。これらは、僕のような実践に近い研究領域だけに限られることかもしれませんが、僕は、このことをかなり意識して研究しているような気がします。
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 最後に意識したいのは「研究として成立するかしないか」です。これは、自分の研究したい内容がわかり、かつ、それにいっていの社会的意義が認められたあとに、丹念に丹念に考え抜かなければならないことです。
「研究として成立するかしないか」とは、要するに、「すでにその内容が、先行研究においてやられておらず、オリジナリティが確保でき、かつ方法論としても妥当なものが見つかり、一定期間にアウトプットを得られるかどうか」ということです。一言でいえば、研究のフィージビリティとも考えられるかもしれません。
 研究の中には、どんなに問題関心がすぐれていても、「研究としては成立しないもの」というものがございます。たとえば、すでに先行研究において何かが明らかになっているものは、どうあがいても、研究としては成立しません。また、妥当な研究方法論を確保できないもの、そもそもそのスケジュールではできないものも、研究としては成立しません。
 自分のやりたいことを明確にして、それが社会的意義が認められることが確認できたら、これらの研究のフィージビリティを確認していきます。
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 以上、3つの問いを複合的、かつ、多角的に考えていった先に、ようやく、「研究の立ち上げ」が存在します。
 とりわけもっとも大切なことは、この3つの問いのプライオリティです。個人的には僕が、何より大切にしなければならないと考えているのは第一の問い「自分が研究したいのは何か?」です。その次に「世の中の人々があなたに研究してほしいことは何か?」。最後は「研究として成立するかしないか?」かなと思っています。
 しかし、ともすれば、これが逆転するということもままあります。
 すなわち、
 自分としてはたいしたやりたくないのだけれども、世の中的にはやって欲しいと思っているテーマだからやる
 
 ということが生まれたり(社会的意義>自分の知的好奇心)、
 自分としてはたいした関心がないのだけれども、研究として成立しやすいからやってみようかな
 という安易な思考が生まれたりします。(研究として成立>自分の知的好奇心)
 しかしね、やってみればすぐにわかりますが、研究とは、非常に苦しい知的格闘です。自分の関心のないものを、忍耐をもって最後の最後まで追求できるほど、研究はあまくはありません。ですので、何よりは自分の好奇心を優先なさるのがよいのかなと思います。
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 今日は「研究を立ち上げるときに考えていること」を書いてみました。皆さんの場合は、どんな価値を優先なさりながら、研究を立ち上げていらっしゃいますか? またお聞かせ願えると幸いです。
 そして人生はつづく
 

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