2016.1.19 06:17/ Jun
世の中に「完璧指示」というのは存在しません。つまり、人は、他人や物事を「指示」のもとに「完璧」に動かすことはできません。
「指示」というものは、多くの場合、「予想外の状況変化」に翻弄され、いつも「裏切られ」、「指示」そのものを超えていくものです。
そして、そうであるならば、わたしたちは、いかに指示をおこなっていけばいいのでしょうか。 今日は、朝っぱらから、マニアックにも「指示すること」について考えてみましょう。
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「指示が曖昧だ」という言葉を、わたしたちはよく聞きます。
なるほど、シャバの一般的なオフィスで、ここかしこに飛び交っている「指示」に耳を傾けると、
「あー、そこんとこ、適当にやっといて」
「そこんとこ、まるっと、数字、つくっといてよ」
「わるい、わるい、ごめん、よい加減にさ、フォローしといて」
みたいな「曖昧すぎて発狂しそうな指示」にあふれています(自爆)。
しかし、ここでわたしたちは「曖昧すぎて発狂しそうな指示」を相対化しつつも、一方で、指示というものは、どこまで明瞭に、かつ、具体的にしても、パーフェクトにはなりえないことを認めなくてはなりません。
もちろん、先ほどのような「曖昧すぎる指示」は「論外」として、それ自体を明確・明晰にしていく努力は継続するにしても、指示はどんなにパーフェクトに行っても、パーフェクトにはなりえません。すなわち「完璧指示」は存在しません。指示とは、いつも「曖昧」なものです。それでは、なぜ指示は「完璧」ではありえないのか。
それは、第一に、指示をした側が「現場におらず」、指示された側だけが現場にいるという事実。
すなわち、現場情報の把握には非対称性が存在しており、「指示された側」のみが、そのつどそのつど、現場の対応をしなければならないということから、まずは生じます。
第二に、現場というものは、現在進行形で、複雑で、予測不可能で、即興的につねに「変化」しつづけるものであり、「指示された時点」での「指示の内容・対応」は、一部が、常に「時代遅れ」になる特質をもっていること。
第三に、多くの物事は「やってみなければ、何がでてくるか、わからない」という特質をもっていること。
すなわち、結果がパーフェクトに予測できるものは、現場にはあまり存在しておらず、「指示の内容・対応」の一部は、常に作り替えなければならない特質をもっていること。
これらの事実の積み重ねによって、指示は、その一部が常に「時代遅れ」になるか、「状況にあわないもの」になり、「現場で書き換えられる運命」にある、ということです。
別の言葉で述べるならば、現場の人々が、指示をもとに、「自分の頭で考え、行動しなければならない余地」が残される場合がほとんどである、ということですね。
よく人は「言うとおりに、動かない」とか「なぜ言ったとおりに動けないんだ」と文句をたれることもあります。が、文句をたれたい気持ちはよくわかるけれど、実際にはそうはならないことが多い。
実際は、現場の変化のために「言うとおりに、動かないのではなく、動けない」という可能性が生じたり、「言ったとおりに、そもそもなっていないから、動けない」ということがありうる、ということなのかな、と思います。
だから、こうした現状にあたって、わたしたちが為すべきことは「完璧指示」を夢想することよりも、自らの「曖昧指示」のもとで仕事をしてくれる人の創意工夫を信じ、同時に、自らの「曖昧指示」を補完する努力をなすことです。
もう少し正確にいうのであれば、
1.指示を明瞭・明晰にする努力をしつつ、
その一方で、
2.自らの「指示の曖昧さ」のもとで奮闘する人の創意工夫を奨励し
3.同時に「曖昧な指示」と「創意工夫の結果」をフォローする機会をもつ
ということなのかな、と思います。
ま、結局、要するにまとめると、
モニタリングとフォローが大事ってことだよね(笑)
だって、指示通りになんて、人は動けないんだから。
おい、2行で終わっちゃったよ(笑)
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今日は「指示」について書きました。
ま、要するに、僕のように、曖昧な指示を繰り返している人は、より明確・明晰に(自爆)。「完璧指示」ができている、という人は、「指示の曖昧さ」を認め、ぜひフォローを、ということでござる。
そして人生はつづく
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