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2016.1.6 06:56/ Jun

その研究は「昼の研究」ですか、それとも「夜の研究」ですか?:あの研究者は「真夜中は別の顔」!?

 先だって・・・とはいいつつも、もう先月のことになりますので、随分前のような気もしますが、「一人称研究のすすめ」(諏訪正樹・堀浩一編著)という本を読みました。

 
 僕は人工知能研究はまったくの門外漢なのですが、本書によりますと、一人称研究とは
「数少ない被験者(例えばN=1)の個別具体的な状況に面白い現象をみいだし、仮説をたて、その仮説を検索クエリーとして、同じ現象が数多くの他者にも成り立ちはしないか」
 と探す方法である、とされています(諏訪 2015、p15)。
 従来の研究が、まず「被験者(N=大量)」を数多くあつめて(大規模データを用います)、普遍的な共通点を探すこと」をもって普遍性を確保しようとしたのとはやや異なるアプローチといううことになりますね。
 いまだ研究パラダイムとしては、「十分確立されている方法論」というよりは、「挑戦的かつ萌芽的な研究アプローチ」なのでしょうけれども、大変興味深く読まさせて頂きました。
 こうしたアプローチが、バリバリの理系から出てくるところが大変面白いところです。人工知能学会は、最近、多くの研究者が「行って面白かったよ!」とよく聞く学会のひとつです(僕自身は残念ながら出かけたことはないのですが)。
 
 研究者コミュニティにおいて、自らの研究方法論に関する前向きな批判(批判というと後ろ向きに感じられますが、それは非難)が為されるというのは、大変素晴らしいことのように思います。
  ▼
 しかし、本書の中で僕が印象深かったのは、もう1点ございました。
 本書の後半部分で、松尾豊先生が「研究という営みを自省する」という論文にてご主張なさっている「昼の研究」と「夜の研究」という概念が非常に面白いなと思いました。
 この論文は、僕の言葉で申し上げますと、現代社会における「研究という営み」には「本質的な矛盾や葛藤」が存在していることを指摘したうえで、それに「絶望」するのではなく、「研究の社会的役割」と「研究者としての好奇心」という一見トレードオフに感じられるものを、何とか満たそうとする地平を論じた論文であると見取りました。
 本論文にいわく、研究者には「二面性」があります(松尾 2015、p147)。
 一方の側面は、「職業として社会から必要とされ、給料をもらうための存在」として仕事をすることが社会からは要請されているという点です。こうした存在がなす研究を「昼の研究」としましょう。
 最近は「昼の研究」の要請が非常に強くなり、研究者は、社会に要請されることに対して徹底的に答えていき、自ら「ファンドレイジング」を行って、自分の研究費は自分で稼がなくてはならなくなってきました。
 いや、これ、言うのは簡単ですけれども、結構大変です。僕の場合は、毎年秋以降になってきますと、来年度以降の自分の部門、研究室の運営費をどうするかに頭を悩めます。
(ちなみに、大変ではありますが、僕は、そのことを悲観的に思っているわけではありません)
 一方、松尾先生は「昼の研究」の大切さを認めながらも、「夜の研究」という概念を持ち出します。これは研究者のもうひとつの側面ーすなわち「自分の中に存在する内なる好奇心にしたがうこと」から為される研究であると考えられます。
 乱暴にまとめると、
「昼の研究」とは「食うための研究」
「夜の研究」とは「知的好奇心にもとづく研究」
 ということになるのでしょうか。
 確かに研究者は、こうした「研究の二面性」を理解したうえで、それらをポートフォリオのなかに縦横無尽に展開し、潜在的に、異なる種類の研究を組み合わせて仕事をしているような気がします。このことは、自分を振り返ってみても、「そうだよな」と思います。
 たとえば、自ら今行っている研究をポートフォリオとして考えた場合、昼・夜という明確な区別すらつけていないにせよ、「研究者としてやらなければならない研究」と「自分が好きでやっている研究」は僕の場合も別れます。
 これは
「短期的に成果がでる研究」と「長期的におっかけていきたい研究」
 ないしは
「プロポーザルを出せばまず通り研究費を獲得できる研究」と「プロポーザルを出しても、同業者に評価すらできないだろうなと思われる研究」
 といってもいいかもしれません。
 もっというならば、僕にも指導する大学院生が8名おりますので、
「指導学生の研究経費を稼ぎ、研究室を維持していくためにやらなくてはならない研究」
 というのもあります。
 研究者も「人の子」ですので、「もてるリソース」には限界があります。研究者は、自分のもてるリソースのなかで、こうした「研究のバランス」をとりながら、日々の仕事をしているように感じます。
 このことは、もしかすると、企業のR&Dの現場でも、よく言われることかもしれませんね。企業R&Dのコンテキストでは
「机の上の研究=企業内研究者として会社のためにやらなくてはならない研究」と「机の下の研究=自分で密かにおっている研究」
 という分け方ががございます。もしかすると、「昼の研究」と「夜の研究」は、それに近いものもあるのかなと思いました。大変興味深いことです。
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 新年早々のブログ記事は、研究論からはじまりました。
 今年も、あーだこーだと朝っぱらからつづっていきたいと思いますので、どうぞよろしく御願いいたします。
 そして人生はつづく

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