2015.9.17 07:31/ Jun
先日、ふと訪れた書店で、ふと手にとったのが、村上春樹さんの「職業としての小説家」です。この書籍は、村上さんが「小説家」という職業、専門性について自由に論じたエッセー集です。
なるほど、小説家とは、こういう職業なのか。小説を書くとは、こういうことなのか、と妙に首肯しながら読み進めることができました。仕事論好きの方にはおすすめの一冊です。
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ところで、本書冒頭にて、村上さんは「小説家は寛大である」というテーマを論じています。「何に寛大か」というと、「小説家以外の人」が「小説を書くこと」や「小説を発表すること」についてです。それら「外部からの侵入者」に対して、小説家は排他的に動くことや、排除する言動をなすことは希である、といいます。異業種からの「参入」については「寛大」である。
小説家以外の他の専門家ならば、自分の領域に外部から侵入者がやってくると、「場を荒らす」として排除に動きがちです。全力をかけて、それを阻止し、妨害する場合もないわけではありません。しかし、小説家はそれをしない。
しかし、なぜ「小説家が外部からの侵入に対して、寛大か」というと、ここには「小説を書くことにまつわる特異性」が見え隠れします。
まず第一に、著者は「小説を書くことは、実は、それほど難しくない」からだといいます。
しかし、一方で小説家は、
「小説を書きつづけることは、難しいこと」
を骨の髄までよく知っている。だから、外部からポッとでてきた侵入者に対しても、「寛大」でいられるのだといいます。
「書き続けること」は本当に大変なことだから。要するに「書くこと」に対しては寛大。その上で、「書き続けることができるものならやってみろ」という面持ちで、外部からの侵入者を見ているのでしょう。
やれるものなら書き続けてみろ
35年、作品を生み出し続けている村上さんの著述からは、そんな思いを感じ取れるような気がしました。
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妄想力を駆使して、これに付随するということを申し上げますと、研究者も似たところがあります。
ひとつの研究を生み出すこと
は、それでもソコソコ大変なのですが、実は、そう難しいことはありません。僕がいうと、便所スリッパでなぐられそうですが、実際、そう思うのだからしょうがありません。
しかし、研究者の研究生産は「ひとつ」では困ります。研究者は「生涯にわたって」研究をし続けなければなりません。
最初の登竜門である博論ならば、分野によっても違うのでしょうが、2本から数本の研究をなしとげ、それらをまとめる力が求められます。しかし、それとてまだまだ「入口」であり、ライセンスでしかありません。生涯にわたって研究をし続けるということは、それとは別のことです。
そして、
生涯にわたって研究を生み出し続けること
は本当に大変なことです。
僕にとって、研究者とは「問いを発し続ける人」です。ひとつ問いを設定し、実証するのも大変なのだけれども、それを生涯にわたってやり続けるというのは、本当に骨の折れることだな、と思います。
ま、この構造事態は小説家と変わらないのにもかかわらず、研究者の場合、「寛大ではない」人もいないわけではないのですが・・・(笑)
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今日は「成果を生み出すこと」と「成果を生み出し続けること」について書きました。「成果を生み出すこと」は、集中力と瞬発力で何とかカバーできる場合もあります。
しかし「成果を生み出し続けること」は、それを生み出す習慣をつくるとか、身体を作り込むことを為さなければ難しいような気もします。
そして人生はつづく
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