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2015.7.8 06:23/ Jun

「小一時間で、内容お任せ、お手間はとらせない出前講義」という名の「丸投げドン的キャリア教育」!?

 仕事柄、人事関係のお仕事に携わっている方々とお会いする機会が多いのですが、先だって、ある会合でご一緒させて頂いた人事部の方が、こんなことを「ボヤいて」おられました。
「最近、教育機関とかから、会社に電話がかかってくることが多いんですよ。生徒の前で、仕事の話をしてください。社会人として講演してください。
こたえられる量には限界がありますが、できるだけ、お答えしようと思うのですけれども、でも、そのご依頼の際に、ひっかかる言葉を口にだされる場合があるんですよ。先生、それって、何だと思います? 
それはね
“小一時間”講義していただくだけでいいんです。
“内容はお任せ”です。
決して”お手間は取らせません”から。
まー、もちろん、こちらの負荷を慮ってくださっているんでしょうね。でも、どこかひっかかるんですよね。先生、この頼まれ方、どう思われます? 
「小一時間」とか「お任せ」とか「お手間はとらせない」で、生徒の役にたつんですか? いや、小一時間でも、企業からすれば「お手間」なんですよ。でも、「生徒のためになる」なら行きたいと思う。
で、実際いってみると、本当に「スポット」で、僕の話があるだけなんですよ。前後の文脈はほとんどない。生徒の側からすれば、突然、どっかのオヤジがやってきて、人生訓たれてるみたいな感じです。僕が生徒なら、ドン引きですよね。あんた、誰ですか? このオヤジ、誰?みたいな感じです。
 先生、どう思われますか?」
  ▼
 上記のように、昨今、キャリア・職業に対する意識が高まっておりますので、様々な文脈で、教育機関側が、企業に対して、授業や講義を依頼することが増えているのでしょう。
 僕は、キャリアの専門ではないので、こうした動きにどの程度一般性があるかは存じ上げません。が、文脈から類推するに、局所的には(わたしの周囲では)、そういうことが起こっているようにも思います。
 一般に、なるべく早いうちに「職業に対する意識」を高めておくことは、僕は「賛成」です。それは「早いにこしたことはない」。これが僕の持論です。
 さて、その場には、他社の人事部の方もいらっしゃいましたが、一様に、
「そうそう、うちにもすごく、そういう依頼、来ますね」
「そうなんだよね、お手間はとらせませんっていうんですよ」
「内容は何でもいいって、言うんですよね」
「講演の前後で何が教えられているか、わかんないんですよ。で、自由に喋ってと言われる」
 とおっしゃっておりました。
 教育機関の方からすれば、依頼のときに
「拘束時間はそうですね10時間でしょうか。めちゃめちゃ負荷が高いとは思いますが、うちの教育にガチでかんでくれませんか。いやー、たぶん、アホほど手間かかると思います」
 とは「口が裂けてもいえない」ので、先ほどのようにいうしかないようにも思います。それは重々承知しております。
 しかし、そのことは重々承知したうえで、企業の人事部の方が気にしておられたことで、僕があえて、言葉を補って代弁させていただくのだとすると、こういうことではないかと思います。
「小一時間出かけて、内容はお任せのお手間はかからない話をして、それで、生徒のお役に立てるんでしょうか?」
 誤解を1ミリもおそれずに、もっと踏み込んでいうと、
 要するに、
「よもや、キャリア教育、職業教育をしなきゃならないという体裁を保つために、キャリアや職業というワードから連想されるであろう民間企業人を、1時間弱、教育機関に呼んで話をさせて、それでキャリア教育・職業教育を「したこと」にしていませんか? 
その結果が「小一時間」「内容お任せ」「お手間はとらせない」なんじゃないでしょうか? 
それは、生徒のお役にたてるのでしょうか?」
 ということです。
 昨今は、あいだに大規模な民間業者も入ることも少なくないらしく、この手のリクエストがあまりに多くて、どうしてよいかわからなくなっているそうです。
 皆さん、どうお思いになりますか?
  ▼
 今日は、「小一時間の・内容お任せ・お手間をとらせない出前講義」について書きました。
 もちろん、中には、それで素晴らしい講義をいただいている場合もあるとは思いますし、それでキャリアや職業に対する意識が高まった生徒も多々いるのでしょう。内容はお任せでも、小一時間でも、素晴らしいものは素晴らしいのでしょう。
 しかし、キャリア教育が「一様にやらなければならないこと」になり、あいだに民間企業などが媒介するケースも増え、一日に数本も、企業に出前講義の依頼が寄せられ、かつ、その依頼の仕方も定型化していることから類推するに、
 「安易なキャリア教育・職業教育のアウトソーシング」
 が、さらに進行しているような気がします。
「アウトソーシング」と書きましたが、要するに「丸投げドン」です。
 たぶん、心ある企業の方で、「生徒のためになる」と信じることができるのなら、教育機関で、ある程度の手間がかかっても、かかわってもよい、という人は少なくないと思います。たとえ手間がかかっても、社会のためになることなら、一肌脱ごうじゃないか。すべての要請には応えられないけれど、心ある教育機関の方々と連携することはやぶさかではない、とお思いの方は、一定数いらっしゃると思うのです。
 しかし、おそらく、どうしても符に落ちないのは、
「やらなければならないことを、やったことにするため」
 に、手間ひまをかけてかかわることではないかと推察します。
 ワンセンテンスで申し上げますが、そういう仕事は「空しい」。
 このことについて、僕個人が、一教員としてこれまでの大学教育の経験から書かせてもらうと、
 組織外の機関や人と連携して、効果の高い「授業」を創ることは、やっぱりお互いに「手間ひま」かかるんだと思います。
 少なくとも僕の経験では。
 意識のすり合わせ、内容の吟味、事前事後の予習・復習・振り返りなど、やっぱり「手間ひま」かかりますね。他の方のケースは知りませんが。
 問題は、その「手間ひま」を乗り越えてでも、腹をくくって、本気の本気でやるか?
「どのような内容を、生徒や学生に何を伝え、どのように変化を促していくか」
 ということについて、組織外の相手の方といかにパッションを共有していくかであると僕は感じます。
 皆さんはいかが思われますでしょうか。
 そして人生は続く

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