2015.6.3 09:06/ Jun
昔々のことです。「難しいこと」を余計難しく言っちゃって、「おれって、スゲーだろ」的な自己満足に浸ってしまう「痛い時期」が、かつて、僕にも、ごくごく短い時期でしたが、あったような気がします。
曰く
ホゲホゲの話を、何とかのパラダイムで見てみると、ほにゃららのコンテキストでは、レリヴァントなメソドロジーだよね
みたいな感じ。
「当時、いったい何を言いたかった」んだか、さっぱりわかりませんが、かつて、そのような「奇妙奇っ怪な言葉遣い」をしていた、おおよそ、僕にもありました。大学には、たまーに、こういう「痛い人」がいると思います。たぶん、、、今でも。
当時のことを思い出すに、今から考えるに、ひとつには、きっと「自信がなかった」んだと思います。「アカデミックフレーバーがいかにも漂う言葉遣い」をすることで、相手を凌駕しちゃおう、みたいなゴリラ的?マウンティング願望?が、短い時期ではありましたが、当時の僕にはあったような気がします。
しかし、同時に、まことに幸いなことに、そのような時期はごくごく短かったような気がします。
ほどなくして、そんな風にマウンティングすることが「ダサい」と思うようになりましたし、何より自分の言葉が他者に「伝わらないこと」に苛立ちを感じるようになりました。
当時の指導教員から受けた指導も、大変よい薬になりました。指導教員には、こんなことを言われたことも覚えています。
「自分で定義を語れない専門用語は、一切使うな!」
嗚呼、今から考えれば、まことに汗顔の至りですね。
それからというもの、僕は、難しいことを、なるべく原型をとどめたまま、いかに他者に伝えるかについて心を砕くようになりました。誰かに何かを伝えるとき、いつも脳裏に浮かぶことがあります。しょーもないことなのですが、いつも脳裏に浮かぶのは、
「その説明で、うちのオカンに電話して通じるか?」
ということです。
「そのコンセプト、うちのオカンでもピンとくるか?」
といってもいいかもしれません。
決して北海道の「うちのオカン」をバカにしているわけではないですが(笑)、たぶん、うちのオカンに電話して通じる言い方ならば、どんな人にも通じます、、、たぶん。悪いけど、手強いよ、、、うちのオカンは。
ぜひ、皆さんも、誰かに何かを伝えるときには、「うちのオカン電話法」を試していただければと思います。
伝えるというのは、まことに難しいものですね。
▼
今日は「伝えること」について書きました。
最後に、劇作家・井上ひさしさんの僕の好きな言葉で、今日のブログを締め括りたいと思います。
むずかしいことを やさしく
やさしいことを ふかく
ふかいことを ゆかいに
ゆかいなことを まじめに書くこと
作文の秘訣をひと言でいえば
「自分にしか書けないこと」を
「誰にでもわかる文章で書く」
と言うことだけなんですね
(井上ひさし)
「伝えることは難しい」
しかし、難しいことをやさしく語れる人でありたいと願います。
そして人生は続く
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