2015.5.22 05:38/ Jun
先だって、僕が主宰する授業「ラーニングイノベーション論」に、北海道大学大学院・経済学研究科の松尾睦先生にご登壇いただき、「経験学習」について、参加者の皆様で議論をさせていただく機会を得ました。
毎年のことながら、松尾先生にはお忙しい中、貴重なお時間をたまわり、心より感謝いたします。本当にどうもありがとうございます。
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松尾先生には、示唆に富むたくさんの概念をご紹介頂きましたが、最も印象的だったのは「勝ちパターンを捨てることの難しさ」、いわゆる「アンラーニング(Unlearning)」に関することでした。
松尾先生は、米長邦雄さんの著書「不運のすすめ」から、米長さんの下記のような逸話を紹介し、このことを論じておられました。
それによりますと、米長さんが、かつて、とてつもないスランプに陥った際、若い棋士が、米長さんに下記のような助言をなさったそうです。
「先生と戦うのは非常に楽です。先生は得意技、十八番をいくつも持っていますね。でも、こちらのほうも先生の十八番は全部調べて、対策を立てているんです。勝つためには、先生は、自分の得意技を捨てることです」
なかなか、面白い指摘ですね。この若手は「よくぞ言った」という感じがしますが、皆さまはいかがお感じになりますか? 松尾先生には、興味深い事例をご紹介いただき心より感謝いたします。
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人は成長していけば、次第に、経験を通じて自分の「勝ちパターン」を身につけていきます。この領域ならば、こうすれば勝てる。これが「勝ちパターン」です。
しかし、この「勝ちパターン」は、実は本人が思うほど「安泰」ではありません。なぜなら、「勝ちパターン」は、常に自分のライバルに「見つめられ」、かつ「分析されている」からです。実際には、いつかの局面で、自分の「勝ちパターン」を無化するか、ズラして、全く異なる戦い方をしなくてはならなくなります。
しかし「勝ちパターンを無化すること」「勝ちパターンをズラすこと」は多くの場合、痛みや葛藤をともないます。
「負けているのは、実は偶然なんじゃないだろうか」
「もしかすれば、勝ちパターンで逃げ切れるんじゃないだろうか」
という思いが頭をもたげます。
また「勝ちパターン」を相対化した先に「新たな勝ちパターン」が生まれる可能性があるとは誰も言い切れないからわけですから、「既存の勝ちパターン」を相対化するのは「勇気」が必要です。
しかしやらなければ、それまで「伝家の宝刀」だと思っていた「勝ちパターン」が「負けパターン」に変わり果てます。
自分のライバルは、常に、相手の「勝ちパターン」を「重荷」にするような戦略をとり、勝ちパターンを凌駕しようとするからです。
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今日は経験を通じて獲得される「勝ちパターン」について書きました。このように経験を通じて学ばれるものとは、必ずしも、寿命が長いわけではありません。
要するに大切なことは、「経験を通じて学ぶことをチェックすること」であり「経験を通じて学び続けることをやめないこと」ですねだということになりますね。
あなたには経験を通じて獲得された「勝ちパターン」がありますか?
その「勝ちパターン」、実は、寿命がきていませんか?
そして人生は続く
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