2015.4.14 06:26/ Jun
ずっとずっと前のことになりますが、僕も、一時期、フィールドワーク(のマネゴト)みたいなことをしたことがあって、なんちゃってかもしれませんが「エスノグラフィーらしきもの」を書いたことがあります。もう20年弱も前の出来事ですが。
昔々のことで恥ずかしいので、これまであまり詳細は語らないできましたが、たまたま、ある専門書の編集担当の先生から、
過去のフィールドワーク経験を思い出して、フィールドワークの論文をまとめるうえで大切なポイントを1章にまとめて欲しい
というご依頼をいただきました。
最初は遠い遠い過去であるので、丁重に辞退させて頂いたのですが、恐れ多くも「学会で一定の評価を受けた論文だったので、どうしても」いうことだそうです。結局、それならばというかたちで、ありがたくお引き受けいたしました。
しかし、なかなか原稿はすすまず(泣)。そもそもなんちゃってフィールドワーカーに、このお題は難しかったのですが、なんと恐れ多いことをしてしまったと気づいたのは、しばらく時間がたってからのことでした。
このところの矢のような催促に、この1週間ほどウンウン唸って考えては書き、書いては考えしていたのですが、ようやく原稿にめどをつけ、本日送るところまできそうですので、このことについてブログで書くことにしました。
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今回の原稿を書いてみて、僕は、フィールドワークにはいくつか「神話」みたいなものがあるなと思いました。
世にはびこる俗説で、これって、実際フィールドワークをやってみると、ちょっと違うんじゃないかと思っていることが、下記の3点です。
1.フィールドワーカーは、いわば「ぬり壁」のようになって、「客観的」に研究対象を見ることができる
2.フィールドワークで、現場にでて観察を続けていれば、おのずと「発見」が生まれてくる
3.フィールドワークで編まれた知見「エスノグラフィー」は物語であるから、現場の人々に読まれやすく、現場の変革に寄与しやすい
特に、2の神話は、ビジネスの領域にもエスノグラフィーやらフィールドワークが「拡大」してきて、さらに強化されていますね。「現場に出さえすれば自ずと何かが見えてくる信仰」というのかな。
「ヘイ!、さぁ、みんなで現場に出ようぜ。観察して付箋紙つかってポスター作ろうぜ。ほら、そうすると、量的調査では見えなかったもの、おのずと見えてくるだろう」
みたいな感じ。
経験者からすると、そんなハッピーなことはなかったけどな、と思います。僕のやり方が悪かったのかな?
思うに、
フィールドワークの99%は、研究対象者が過ごす「まったりとした日常」
なのです。そう簡単に「現場に出たからと言って、すぐに発見が生まれるわけじゃない」と思います。
あとのポイントは、時間が激烈にないので、「あいだ」をはしょって(もう3分でTAKUZOを起こさなきゃ!)、結論だけを申し上げますと、
1.フィールドワークでは、研究対象に「かかわら」ないと、よいデータが生まれにくい
2.フィールドワークで、知見を生み出すのは「現場」ではなく、「机上」である
3.フィールドワークで編まれた知見「エスノグラフィー」だから現場に返りやすいというのは嘘である。現場の変革に寄与するためには、エスノグラフィーがいかに現場に返るのかを設計しておく必要がある
ということです。原稿では、これらの神話を「プチ解体」するべく、いろいろ論じておりますが、それが成功しているか、あえなく撃沈かは読者の方々にお任せしたいと思っています。
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今日はフィールドワークにまつわる神話について書きました。今度、機会をみて、量的研究についての神話も書いてみようかなと思います。気が向いたら。
そして人生は続く
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