2014.12.18 06:19/ Jun
昨日、8歳児TAKUZOの学校の宿題やお勉強を見てやっていて(自宅にいるときは、わたくしめの役割です)、一瞬、どう教えようかなと躊躇した問題がありました。
その問題とは、下記のような問題です。
【問題】
あやねさんの家から、ゆうたさんのおうちまでは50分かかります。あやねさんが、ゆうたさんのおうちに午後4時10分までにつくためには、あやねさんは何時何分に、自分の家を出ればいいでしょうか?
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ここだけ読めばなんの変哲もない問題ですね。
答えはせーの「午後3時20分」です。
あやねさんのおうちから、ゆうたさんのおうちまでは、50分かかるのだから、午後4時10分につくためには、「マイナス50分」して、午後3時20分に出ればよいことになります。
でも、この問題、よーくよーくよーく考えてみると、「リアルワールド(現実の世界)」では、どうでしょうか? リアルワールドで、この問題は「リアル」でしょうか?
例えば、リアルワールドで、皆さんは、4時10分には到着しなければならない用事があったとして、4時10分ぴったりに着くことをいたしますか?
普通は、そんなことはしないですよね。少し手前に到着しておこうと考えると思うのです・・・社会人ならば「5分前行動」だから(笑)。加えて、途中で何か起こるかもしれないから、少しバッファをもうけますよね。社会で生きていくとは、そういうことです。
実は、僕は、以前、TAKUZOに「5分前行動」を指導したことがあって、そう考えると、ちょっと問題が複雑になります。実際、彼はそのことを憶えていました。
TAKUZO曰く
「えーと、4時10分につくんだけど、5分前にはつかなきゃならないから、えーと4時5分につかなきゃならないってことで。でも、途中で何がおこるかわかんないから、5分くらいみておいて。ということは・・・・」
えーい、ややこしい!!(笑)
でも、この問題は、「学校の数学としてはコレクトなこと」が、必ずしも「リアルワールドでコレクトではないこと」がわかって、面白いですね。
ちなみに、これと似た話は、たしか哲学者の鷲田清一先生が、自著において、発達心理学者の浜田寿美男先生から伺った話を論じておられたと思います(うろ覚えですみません)。
浜田先生のご子息が、
「黄身の盛り上がった(新しいタマゴ)と、黄身がそんなに盛り上がっていない(古いタマゴ)、どちらをあなたは食べますか?」
という問題を学校で出されたときのことです。ご子息は迷うことなく、「黄身がそんなに盛り上がっていない(古いタマゴ)」を選ばれました。だって「早く食べないと腐ってしまって、もったいないから」。でも、学校の答えは「黄身の盛り上がった(新しいタマゴ)」であり、少し疑問をもたれたという話です。
「学校」はわたしたちに「考える力」、その基盤になる「基礎の知識」を教えてくれる貴重な場所です。そこで培われた知識は、多くの場合、私たちの「血肉」になっていますが、その「すべて」が100%「リアルワールド」と重なるわけではありません。
でも、ここらあたりが難しいところですが「リアルワールドに完全100%符号しないから」からといって、学校が、不要なわけでも、学校の営為が不十分なわけではありません。「そこにはある一定の限界がある」と考える方が理性的です。
「学校で学んだこと」と「リアルワールド」を峻別できる力のことを、わたしたちは「大人の知性」と呼んでいいのではないかと思います。
学校の問題をとかせる一方で、それに加えて、そうした知性を、我が子には身につけなくてはならんな、と思いながら、昨日は、TAKUZOが宿題をやるのを見ていました。
あなたは何時何分におうちを出ますか?
そして人生は続く
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