2014.12.5 07:00/ Jun
先だって、MCCで中村和彦先生(南山大学)と金井壽宏先生(神戸大学)が主催なさっている「組織開発」に関するコースに、中原研究室の大学院生(吉村さんD2、保田さんD1)ともどもオブザーバとして参加する機会をいただきました。
中村先生、金井先生、そして、MCCのスタッフの皆様、オブザーバ参加を認めて下さった参加者の皆様には、心より感謝いたします。ありがとうございました。
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中村先生のセッション。当日は、いわゆる「対話型組織開発」のうち「アプリシエイシブ・インクワイアリー」を体感するというセッションでした。
アプリシエイシブ・インクワイアリー(うーん、このカタカナ語はややこしい。何度読んでも、アプリシエイシブあたりで噛んでしまうのですが。。。困った)とは、ケースウェスタンリザーブ大学のディビッド・クーパーライダーさんらによって創始された、社会的構成主義を理論的背景に発達した「対話型組織開発」の手法(思想といってもいいかもしれない)です。その思想的背景について知りたい方は、下記がもっともおすすめです。
アプリシエイシブ・インクワイアリーをワンセンテンスで述べるのは難しいですが、ここではさしずめ、こう理解ください。
1.「ある組織」を構成する組織メンバーが、まずは個々人の潜在的な強みを外化し、共有しながら、
2.それぞれの共通点をさぐり、「組織としての望ましい方向」を「発見」し、
3.「皆で見出した組織の望ましい方向」に、組織メンバー全体でコミットする機会
ということになりますね。
はい、我ながら、何言ってるかわからん(自爆・笑)。ごめんなさい、もし、さらにAIについて詳細について知りたい方は、下記の中村先生の論文をお読みいただければ幸いです。
対話型組織開発の特徴およびフューチャーサーチとAIの異同(中村和彦先生)
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/NINKAN/kanko/pdf/bulletin13/02_02.pdf
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当日、僕は、会場の後の方で、まさに学び手の一人として、皆さんの対話を拝聴しながら、皆さんが「アプリシエイシブ・インクワイアリー」を体感している様子を拝見していました。
特に、その日は、参加者の皆様の対話における「語り方」にどのような変化が訪れるかー「語りの転換」がいかに起こりうるかを拝見していました。
当日のセッション自体が、中村先生をファシリテータとして参加者の皆さん全員で「アプリシエイシブ・インクワイアリー」を体感するということでしたので、僕の立ち位置は、その様子を参与観察しているイメージに近いものがあったように思います。
ここで、「語りの転換」とはややこしい言葉ではありますが、要するに、この場を構成する皆様の語りが「何を主語として、どのような時制で、何を語るか」に着目していたということですね。
当日、中村先生によって行われたアプリシエイシブ・インクワイアリーは、1日に短縮バージョンであり、その手続きに関しては、創始者のクーパライーダー自身が「そこは自由度がある」と述べているので、「現場での実践」は千差万別、バリエーションがあるのでしょうけど、先日起こっていたことは、下記に述べるような「語りの転換」でした。
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「語りの転換」という観点から見た場合、ワンセンテンスでのべれば(またワンセンテンスかよ!)
AIとは「逆N字」である(笑)
ということになります。
どういう風に「逆N字」を描くかというと、こういうことですね。
僕の整理からすれば、AIとは「主体軸」と「時間軸」という2つの軸から構成される「言説的実践」であるように思います。AIはそれらの時空間を「うねうね」と飛行しながら、「わたしたちの未来」を描き、それにたいして、みなでコミットすることをめざします。
ちなみに「言説的実践」とここで述べるのは、AIが依拠する哲学的根拠が、先に述べた「社会的構成主義」であることに依拠します。
要するに、それは「Word creates world」という世界観の延長上にある実践(言説的実践)ということですね。それは「Word(言葉)」に依拠する実践であり、そうでないモードで交歓する場合を、理論上は想定していません。
(もっと平たくいいます。たとえば言葉を必要としない職種、「沈黙をよし」とする技術職などの職種、などには、AIの実践は、そうでない職種よりもハードルが高いということです。全く無理というわけではありません。しかし、言葉が外化されるまで、言葉として結晶化されるまで、それを待つ必要と覚悟があるということです。くどいようですが、AIは、言葉こそが未来をつくる、という思想に依拠する実践です)
ともかく・・・AIとは、僕の整理で述べるならば、「わたしーわたしたち」という「主体軸」、「過去ー未来」という「時間軸」の2つの種類の軸で構成される言説空間を「逆N字」を描きながら、その2つの軸を「ゆらゆら」しながら進行する「言説実践」ということになります。そして、最終的に、AIは、この「ゆらゆら飛行」を経由して、「わたしたちの未来」を描き、コミットを求めます。
このプロセスを以下、具体的に述べてみましょう。
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よく知られているように、AIでまず試みられるのは、1)組織メンバー個々人が、過去のわたしの「ポジティブな経験」を振り返り、語るセッションですね。これは、AI業界では?「ハイポイントインタビュー」とか「ヒーローインタビュー」いう名で呼ばれることが少なくありません。
個人が、ある組織においてもっとも輝いた瞬間を起点として、AIはスタートします。そして、中村先生によりますと、ここだけがクーパライダーらが最もこだわるポイントであるとのことでした。とても勉強になります。
AIで次に起こるのは「わたしから、わたしたちへの主体の転換」です。
今度めざされる語りは「わたし」ではなく、「わたしたち」が主語になるものです。2)のプロセスとして、組織メンバー「私たち」の過去の「ポジティブな経験」を語り、共有することが試みられます。
しかし、ここで、実はAIには「ある緊張状況」が生まれうる可能性があることを僕たちは見逃さないわけにはいきません。
その緊張とは「わたしのポジティブな経験」と「わたしたちのポジティブな経験」が「重なり」をもちえないときに生じる危うさです。逆にいうと、ある程度、「わたし」と「わたしたち」のあいだに、ある程度「共通の何か」が見出されない場合に、この緊張状況は深刻化します。だって、「あなたのハッピー」が「僕のハッピー」と全く重なりがないのであれば、それ以上に、「わたしたちのハッピー」を夢想することは理論上は不可能です。
昨今でいえば、この緊張が表面化しやすいのは「流動化が激しく出入りが激しい集団」だと思われます。流動化が激しく出入りが激しい集団」にとっては、「わたし」と「わたしたち」のあいだに「間主観性」は存在する可能性が低くなります。その場合、この緊張状態は深刻化するものと思われます。
さて、AIが次に展開するのは「時間軸上」の転換です。
ここでは、1)と2)の「過去象限」を根拠とし、3)「わたしの未来のポジティブな光景を描くこと」が試みられます。
別な言葉をもって述べるのならば、「過去象限」を根拠とした「未来」への推論といってもいいのかもしれません。
ここで、わたしたちは、ひとつの前提を認めていることになります。ここで描かれる未来とは、「過去象限からの連続性に基づく未来」であるということです。AIが「時間軸上の転換」を前提とする限りにおいて、ロジカルにはこの「制約」は免れ得ません。逆にいうと、「過去と不連続をなす未来」、あるいは、「過去とは決別した未来」を描くことには、AIには向かないといえるかもしれません。
最後におこるのは「主体軸」への転換です。
ここでは3)「わたしの未来のポジティブな光景を描くこと」から、4)「わたしたちの未来のポジティブな光景を描くこと」にAIは展開します。今度は「語り」の主語が「わたし」から「わたしたち」へと転換されるのです。
かくして組織メンバー全員によって「わたしたちの未来を描くこと」が達成されることになります。
さて、上記、先だって展開されたAIの「語り方の転換」を「逆N字」と描写しました。この話は、AIを体験なさったことのない方には、ややイメージするのが難しいかもしれません。ややこしかったら、すみません。
ちなみに、当日は、1)から4)までの活動が主に中村先生によって実践されておりました。が、もし現場で、AIが組織変革を志すならば、実は、あと「もう一筆書き」が必要になるようにも思います。
そして、これがおそらく「AIの最大のアポリア(難問)」でしょう。それは「わたしたちの描いた未来」を根拠に、「わたしたちの現在をいかに変えるか」という「未来を根拠に現在を投射する推論」です。
下記の図で示しますと、「未来の4)象限」から「X=0」に至る「うにょうにょの矢印」・・・つまり、「X=0の地平=現在への投射」に、そのアポリア(難問)は存在します。
より具体的にいいますと、時間軸の「過去」と「未来」の狭間にある、ちょうど「中間」ーすなわち「X=0」に生々しく存在する「現在という場所」で、「何を変えて」、「何を変えないのか」について、思索を深めなくてはならないのです。
そして、皆さんの想像通り、そこは「エグイゾーン(現実のゾーン)」ですね(笑)。
未来を構想した皆さん、たしかに未来は明るい
で、どうします?
問題は「今」ですよね。
「今」、皆さんは、何を変えますか?
未来を構想した皆さん、たしかに未来は明るい
で、これから何をします。
問題は「今、何をするかですね」
で、「今」、皆さんの周囲で何が問題ですか?
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この問いの転換が、かなりシビアなことは、容易に想像できると思いますが、さりとて「変革」のためには必要なことです。
「未来は未来だよね、でも、現実は現実でしょ」という風にしないためにも、どうしても「エグイゾーン」に対する切り込みは、最後に必要になるわけです。つまり、「未来と現実」を対照づける必要がでてくるということですね。
そういう意味では、AIを「ギャップアプローチ(現実との違いを強調し、組織変革を導くアプローチ)」と対照づけ、それを「ポジティブアプローチ」とする巷間に流布している、「いわゆるな整理」は、とてもわかりやすいけど、僕の認識に関する限り、実務を志向する上では、重なってくる可能性が高くなります。
ていうか、もしAIが本気の本気で「組織変革」を志すのであれば、最後には「理想と現実とのギャップ」が語られざるをえないのです。もちろん、そのあいだには、道筋に違いがありますね。
誤解を恐れずいうならば、いわゆる「ギャップアプローチ」と「ポジティブアプローチ」の差は、「最初からギャップを明示する=客観主義に基づいて、ギャップを測定し、提示するか?」、それとも「対話による社会的実践を通してポジティブな未来を描き出して、それから現在とのギャップを描き出すか」の差だけです。
いずれにしても、本気の本気で「変革」を志すのであれば、どちらのアプローチにおいても「エグイゾーン」への差し込みを必要とします。
言うまでもなく、変革とは「自動詞」ではなく「他動詞」です。そして、この他動詞は「状況A(現在)」から「状況B(未来)」への転換をめざし、対象に働きかけます。もし仮に、ほんとうにほんとで、人々が変革をめざすのであれば、「現実:状況A」と「対象」を見詰めることなしに、「状況B」をめざすことはできません。
もちろん、くどいようですが、この「エグイゾーン」に差し込む「うにょうにょの矢印」は、めちゃくちゃ勇気がいるよね(笑)。
夢の中に、もっと、いさせて(笑)。
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今日は独断と偏見に基づいて、対話型組織開発の手法であるAIについて書きました。
AIにはもともと「4Dモデル」というモデルがあるのですが、小生、「へそ曲がり」ですので、これを「逆N字」として整理してみました。余計な整理?(笑)余計わからん?ごめんなさい。でも、こうしてみると、AIの可能性と難しさが描写される気がするのは気のせいでしょうか。
最後になりますが、金井先生と中村先生、参加者の皆様、MCCのスタッフの皆様、ありがとうございました。今日一日は、自ら「学び手」として本当にゼロから学ばせて頂きました。そうした時間をご提供いただきましたことに心より感謝いたします。
やっぱり僕は「まなびたい」
そして人生は続く
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追伸.
ちなみに、「わたし」と「わたしたち」のあいだ、そして「過去」と「未来」のあいだは、いわゆる「ゆるやかな推論」でつながれています。それは「強固な因果関係」で結合しているわけではありません。すなわち論理上、このあいだには「隔たり」があります。
しかし、この隔たりを埋めるのが、おそらく、集団のステークホルダーが同時に会し、同時に相互の発言に対してモニタリングしているというグループダイナミクスであり、いわゆる「舞台」です。
AIは、これらの「舞台」を利用しながら、主体軸と時間軸の転換を行いつつ、「わたしたち」の価値を見出そうとする組織的試みとかんがえることもできます。
だからこそ、この技術は、ファシリテータ側の「倫理」と無縁に存在してはなりません。「倫理なき実践」は非常にリスキーです。このあたり、ちょっとややこしいかもしれません。こんど、時間があるときに、「ワークショップと権力と倫理」とか「組織開発と権力と倫理」みたいな話をさせていただこうと思います。
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