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2013.7.11 08:23/ Jun

マネジャーとは「グレー」を生きること : 白とも、黒ともいえない不確実な世界

 今さらジロー、いわずもがな、アタリマエダのクラッカー(死語)ですが
 
 マネジャーとは「グレーを生きる」こと
 
 です。
「グレー」という言葉は、悪い意味で、言っているわけではありません。まして、マネジャーが「腹黒さん(ハラグロ)」だと言っているでもありません。そういう方もいないわけではない、とは思いますが、ここで問題にしたいのは「ハラグロマネジャー」ではありません。むしろ、ここでは「マネジャーが、正解・正しさのない世界を生きること」をもって「グレーを生きる」と形容して今宇s。
 マネジャーの生きる世界を「グレー」と形容することには、いくつか意味があります。
 時間がないので、ひとつだけかかげるとすれば、その「意思決定の難しさ」について。
(マネジャーになれば、見たくないものも見なくてはならない、という意味で、グレーな世界を生きる、ということも言えるのですが、ここでは、それらについては扱いません。むしろ、意思決定に話を絞ります)
  ▼
 
 マネジャーが意思決定するさいには、判断の根拠となるような情報が必要です。しかし、マネジャーは、多くの場合、実務担当者よりも多くの「現場粘着情報」を得られることは「希」です。
 現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」の支配する場所。そこには「現場にぴったりと張り付いている情報で、現場にいかなければわからない情報」、すなわち、実務担当者としてそこにいあわせなければ獲得できないような「現場粘着情報」がたしかに存在します。
 実務担当者は「現場粘着情報」を持ち合わせますが、多くの場合、マネジャーはそれを持ち合わせません。実務担当者とのコミュニケーションを通じて、「現場粘着情報」を「間接的」に確保するしかありません。もちろん、マネジャー自ら現場にいくこともできるのですが、多くの場合、彼 / 彼女の時間には限りがあります。多くの場合は、「間接的な情報」をもとに意思決定をしなくてはなりません。
 しかし、そうした「情報の間接性」にもかかわらず、意思決定を行い、さらには「責任」をとらなくてはならない。この「判断に必要な現場観は、なかなか持ち合わせられないのにもかかわらず、一方で、責任をとること」が求められることに、マネジメントの難しさが、あらわれます。
 そして、マネジャーが「グレーな世界を生きる」といわざるをえない最大のポイントは、意思決定を即時に求められる、その内容にあります。すなわち、マネジャーのもとに寄せられる問題の多くは、本質的に「白、黒はっきりしない」、そもそも「グレー」なものであることが多いのです。「白」とも「黒」とも、一意に答えが求められない。まさに「正解」がなく、正しさが担保できない。そうした実務担当者では判断がつかない「グレーな問題」が、マネジャーのところにまで「上がってくる」のです。
 「あっちをたたせれば、こっちがたたない」
 「こっちがたてば、あっちがたたない」
  あるいは、
 「半分」は賛成しているけれど、「半分」は反対している
 「押し切れないこともない」が、押し切ったら、何が起こるかわからない
  あるいは、
  短期的には、こうやればいいけど
  中長期的には、このままでは破綻する
  あるいは、
 「やったらダメ」とは書いてないけど、
 「やってよい」とも書いてない
 「やってよいか、ダメ」かは、やってみないとわからない
 
  あるいは、
 
 「リスク満点だが、目標達成できる選択肢」を選ぶのか、
 「リスク極小だが、惨敗する選択肢」を選ぶのか
 マネジャーのもとに寄せられる課題のいくつかは、そのようなものです。
 マネジャーのもとに、こうした「グレーな選択」が押し寄せるのは、もし「白黒」がはっきりしているのなら、「正しさ」がはっきりしているのなら、担当者レベルで「現場粘着情報」をもとに、即時に意思決定され、実務担当者の仕事の範囲内で、実行される可能性が高いからです。だから、そこでは判断つかないものだけが、上に上がってくるのです。
 かくして、マネジャーは「グレーを生きること」になります。
 マネジャーになることとは「比較的白黒はっきりした世界」から「グレーな世界」への移行なのです。
 しかも、この「グレーっぷり」を、なかなかマネジャーは口に出せないことがあります。場合によっては、部下には「グレーな世界」を「白黒のはっきりした世界」のように「見せ」なくてはなりません。
 現場で自信をもって仕事をしてもらうためには、部下には「グレーな世界」をそのまま見せてはならない局面が、ないわけではありません。「グレーな世界」を「クリアな世界」に演出することも、時には求められます。
 ▼
 ここ数年、公益財団法人・日本生産性本部の矢吹恒夫さん、大西孝治さん、野沢清さん、木下耕二さん、中村美紀さんらと、「実務担当者からマネジャーになる役割移行のプロセスは、いったい、どのように進行するのか?」「役割移行のプロセスの中で、マネジャーが抱える課題を、どのように支援したらいいのか?」「マネジャーが自分のマネジメントを内省し、自分のマネジメントスタイルを発見してもらうのか」を探究するプロジェクト「マネジメント・ディスカバリー(Management Discovery)」で、議論を続けてきました。
 このプロジェクトのプロセス、そして自分が日々行っているマネジャー向けのヒアリングの過程では、たくさんのマネジャーの方がたにお逢いしましたが、こうした状況を、まえむきにとらえ「だから、マネジメントの仕事は楽しい」と考えられる方々もいらっしゃいます。また、こうした「実務担当者からマネジャーへの役割移行」において、こうした「仕事の変化」に戸惑う方もいらっしゃいます。
 いずれにしても、大切なのは「マネジメントとは何か?」を改めて学ぶことであり、少し経験を積んだあとで、折りにふれて、自らのマネジメントを内省することであるように思います。
 そして人生は続く

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