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2013.5.30 07:37/ Jun

今、組織社会化のまっただ中にいる「小学一年生」と「親のわたし」

 あと2日間で、あちゃぱー、6月ですわ。夏学期も、そろそろ「折り返し地点」くらいでしょうか。
 小生の大学院授業「経営学習論」も、「組織社会化のセッション」を終え、昨日から「リーダーシップ発達論(Leadership Development Theory)のセッション」にはいっています。ちょうど「折り返し地点」です。「組織社会化」とは、ひとことでいえば「新人の育成・組織適応」ですので、授業も「初期キャリア形成」をおえ、ようやく、「中堅のキャリア」に至ったということでしょうか。
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 ところで、「組織社会化」といいますと、今年、小学校1年生の愚息・TAKUZOの生活を見ていると、まさに彼も、今、「組織社会化のまっただ中」にいるのだな、と思います。つまり「学校=組織」とみたてると、それに適応していくプロセス、社会化されるプロセスのまっただ中に、彼もいるのだな、あるいは、そう見立てることも可能なのだなと思うのです。
 小学校1年生で学んでいるのは、今のところ「あいうえお」とか「12345」です。
 おそらく、それも重要なのだけれども、この時期、それと同等くらいに大切なのは、
 「学校とはどういう場所であるのかを理解し、実践すること」
 「授業中のただしい振る舞いを理解し、実践すること」
 「宿題をやる習慣を獲得させること」
 などなど、もう少し「メタ的」なものを理解・行動変容させていくことなのかな、と感じます。それもポジティブな感情をもちつつ(つまり、学校が嫌いにならないようにしつつ、うまく組織適応をはからなくてはならない)。すみません、全くの専門外ですので、間違っていたら、無視して下さい。
 実際、教科の学習内容は、おそらく難解なことはあまりない(あ・い・う・え・おでつまづく生徒は、あまりいないでしょう)。それよりも、子どもがストレスや抵抗を示すのは、上記のようなメタ的な内容を獲得させられることなのかな、と思うのです。それをポジティブな感情を持たせつつ、これらの社会化課題を達成することが、1年生の夏学期の課題なのかな、と勝手きままに想像しました。
 そして、何より大切なことは、親も、いわゆる「社会化されているひとり」だということです。ひとことでいえば、「子どもの学習に関与する主体」を、ごくごく社会化初期に形成しなければならない。別の言葉でいうならば「子どもに対する社会化エージェント」としての「親」を、ごくごくはやいうちに、学校は形成しなくてはならないのかな、と思うのです。
 たとえば、宿題に関して言えば、僕たち親が、TAKUZOがやった宿題をみて、○×の評価を行い、ハンコを押し、先生に提出することを求められているのですが、それは「親の社会化プロセス」、より具体的には、「子どもの勉強に関与する習慣を獲得させるプロセス」とみなすこともできるのかな、と思います。
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 TAKUZOは、今のところ順調に、小学校に通っています。このあと、どのような変化をとげるのかを、興味深く見ていこうと思います。そして、親のわたくしめに起こる変化も。
 まぁ、僕が「学校教育」の研究に戻ることは今後ありえませんが、「組織社会化」という観点から(リーダーシップ発達論でもいいですが)、つまりは組織論的観点から、親・子どもを見つめ直すと、また面白い知見が生まれるかもしれませんね。もうやられているのなら、すみません。ジャストアイデア恐縮です。
 そして人生は続く

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