2013.3.17 06:56/ Jun
かなり前のことになりますが、あるところで、学生の方から、こんな質問を投げかけられました。
「先日、先生のブログで、”やりたいことは腐るほどある”、と書いておられましたよね。先生は、どうやって、アイデアを出しているのですか? 何か秘訣があるのでしょうか」
いやーね、アンタ、そんな「秘訣」があったら、ぜひ、僕「だけ」に、こっそり教えて欲しいくらいですね。アイデアか・・・”トレビの泉なみ””に沸いてくるといいよねぇ。僕なんかは、最近、多忙で、枯渇してるよね。水、流れててたとしても、チョロやで、しかし(笑)。このままじゃ、いかんねぇ・・・。
と、「真っ先」に、心の中で、思ったのは、こういうことだったのですが(笑)、質問をしてきてくれたのが学部1年生の方だったこともあり、また、彼の「目がキラキラしていた」こともあり、先ほどの「枯れた答え」じゃ「あんまり」だと思って、少し考えて、こう答えることにしました。
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アイデアは、「時間軸」と「他人軸」の「かけ算」みたいして生まれてくるんじゃないの?
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いやー、全く「口からでまかせ星人」で、すみません(笑)。自分としても、よく、こういう根も葉もないしょーもないことを考えつくのかな、と思うのですが、「目がキラキラしていること」がまぶしくて、つい(笑)。
下記は「全くアカデミックな答え」ではないし「根拠不明のわたしの理論」ですが、「創造」とか「創発」とかは、僕の研究領域ではないので、どうかお許し下さい。
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ここでいう「時間軸」とは、文字通り、「アイデアを生み出すのに、自分がかけている時間であり、機会」です。「他人軸」とは「自分が、異領域の他者と出会い、相互作用すること」です。
僕が、自分の研究生活で(しょーもないものも多々ありますが)アイデアを思いついちゃったときのことを考えると、この二つがうまく結びついたときであるような気がします。
以下は、それを順におっていきましょう。
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まず「時間軸」です。
僕が、一番問いたいことは、意外にも「時間」なのです。
「時間をかければいいもんじゃない」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、敢えて、そこにまずは着目したいと僕は思います。
なぜなら
「アイデアは、生み出そうと思って”から”、そのあとで、生み出せるものではない」
と思うからです。
「会議室で、さ、これからブレストしますよ」というのもあるのかもしれませんが、僕の経験上、こうした機会でアイデアが生まれることは、かなり「希」です。いや、僕の経験上は。
むしろ「アイデアを思いつくことは、自分の生活の中に、そのことだけを考える時間がどの程度埋め込まれているのかによるのではないか」とよると考えています。つまり、アイデアを思いつくとは、「常に、そのことを考えている」ということと無縁ではないのではないのかな、と思うのです。
ひるがえって、学生の皆さんは、アイデアを思いつくというとき、そのことを考えることに、どのくらいの時間をかけているでしょうか?
僕の答えは「シンプル」です。
僕の場合は、目覚めているときは、ほぼ、自分の研究のことを考えています。水槽の水替えをしたり、盆栽をいじったりしているとき以外は(笑)。「Management and Learning」というものから、たぶん本当に片時も、自由になることがありません(研究の奴隷のようなものなので、他人には全くオススメしません)。
僕が理想とする「研究者」は、何を見ても、自分の研究領域のことに引きつけて、「24時間考えている人」です。テレビを見ていても、友達とだべっていても、何をしていても、常に自分の研究領域のことが浮かんできますし、何を問いかけられても、自分の土俵にひっぱって、物事を考えます。
街を歩いていて、ウィンドウショッピングをしていても、「常に、これ、なんかに使えるんちゃうか?」と考えます。くどいようですが、人に、そのことをおすすめすることはありません。自分がそうだと、いうだけです。
少なくとも、僕にとっては、アイデアとは「常に考え続けること」から生まれているのではないか、と思っています。
皆さんは、どのようにお思いになりますか?
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もうひとつは「他人軸」です。
それは、自分の知らない異領域の人、自分がお付き合いしたことのない専門性や経験をもっている人々からのお誘いは、原則として「断らない」ということです。
敢えて「異領域に首突っ込むこと」をよし、として、積極的に「出会い」、もし都合があえば、「何かをご一緒すること」を考えます。
でも、一般には、ふつう「逆」にならないでしょうか。
「ちょっとお畑違いのところのつきあい」は、面倒くさいのでやめておいて、「自分と同じ人たちと群れたがる」。その方が「心地よい」し「気兼ねない」ですから。でも、それを敢えて「反転」させます。異領域にがんがんと首をつっこむ。
そうしますと、面白いもので、「あっちの領域」では言い古されたことでも、こっちの領域ではめちゃめちゃ新鮮である、とか、そういう「情報の非対称性」に気づくことがままあります。
あるいは、「あっちの領域」ではかなり名前を知られている方が、「こっちの領域」にくれば全く新しい、なんてことがよくおこります。
ここまでくると、しめたものですね。
あとは、最もこれまで「遠かった二つのもの」「一見、ソリの悪いと思われる人々」同士を、丁寧に結びつけることです。イノベーションの古典的定義も「新結合」でしたよね。
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以上が、僕のなんちゃって「わたしのアイデア創造術」です。
時間軸と他人軸のかけ算みたいなもの、というアイデアは – いうなれば「常に物事を考え続け、異領域の人々と積極的に出会う」、文章に残せば、ただ、これだけのことなのかもしれません。それが学問的にどうだ、とか新しいのか、言い古されたことなのかどうかは知りません。あとは、専門の方にお任せします。
今日のお話、別の言葉でいうならば、「何でも自分の土俵にひきつけて考えること」×「異領域に敢えて首つっこむこと」の二つとしても解釈できそうですね。
皮肉なことに「なんとか力」は、すぐに「鋳造可能」ですから「自分の土俵にひっぱり力」「異領域首突っ込む力」といってもいいかもしれませんね(笑)。ま、いずれにしても、いかがわしい話です、真に受けないでくださいね。
皆さんは、どのようにして、新たなアイデアを生み出していますか?
そして人生は続く。
ーーー
追伸.
ちなみに「なんとか力」は、「自分の大切だと思う経験」+「力(りょく)」をつけるだけで、いくらでも「鋳造可能」です。そして「なんとか力」は一見もっともらしく伝播力が高いので、安易に鋳造されつづけています。分析をへて概念化されたのではない「なんとか力」はたいていの場合、真に受けないでください、と言ったのは、このことが理由です(今日のブログもそうですね、やや、アイロニカルにやっていますけど・・・大笑い)
例えば、社会人に必要なものは
「ドサクサ力」・・・ドサクサに紛れてシレっと案件を通す能力
「あとづけ意味づけ力」・・・あたかも最初から決まっていたかのように意味づける能力
「死んだふり力」・・・新たに仕事がふられないように死んだふりをする能力
といっても、これらは、ちょっと前に「ささっと」つくった概念ですが、一瞬、もっともらしく感じるでしょう。一瞬だけならば(笑)。
このように「なんとか力」の実態とは「わたしの経験論」であることの方が多いものです。「なんとか力」の多くは、「わたしの経験論に過ぎない物事」を、「・・・・力」という「一般性」を喚起する概念で、コーティングして鋳造されたものである、というのが、僕の見立てです。だから、今日の話も、どうか真に受けないでください(笑)。
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