2013.2.7 07:10/ Jun
一応、これでも「ダイアローグ / 対話する組織」という本の著者のひとりですので(笑)、これまで、いろいろな場所で「対話の機会」を実践してきたつもりです。
特に、僕の場合は、研究柄、対話を行って頂く対象は「大人:成人」ということになります。時には10人くらいの社会教育施設で、あるときは30人くらいの研修場面で、時には500人を超える大規模法廷研修場面でグループを数十個にわけて、「異なる考えをもつ人々が、それぞれの意見を鑑賞しあう」ということを実践してきました。
そうした場合、参加者の皆さんに、御願いしていたことは、主に3つです。
「主語は”わたし”にしてみましょう」
「”違い”があっても、まずはその違いを愉しんでみましょう」
「積極的に”聴くこと”に集中しましょう」
詳しく書くことは、あと17分でカミサンとTAKUZOを起こさなければならないので避けますけれども、多くの場合は、それまでの雰囲気作りが綿密におこなわれていますので、これだけのインストラクションで、うまくいく場合が多いです。
しかし、ごくごく希に、対話で必要とされるようなコミュニケーションのモードにどうしてもはいれない方、入れないグループがある場合があります(本当に少ない、年に1度あるかないか、ですけれども)。
自律意思で集まる場では、そういうことが起こる可能性は低いものです。「だって自分で好きで来てるんだから」。
むしろ、強制的にやむなく来なければならない場面では、どうしても、対話できないグループというのが、生まれるリスクは少なからずあります。
おそらく原因の半分は、僕の「ファシリテーション」や「問いかけ」のミスなのかもしれません。しかし、いくつかの場合において、そうした事例の原因は、「対話の機会」そのものよりは、その方々が歩んでこられた仕事環境や労働環境にある場合もあります。真偽のほどはわかりません。
実践現場では、いくら「原因探し」をしても、今、目の前にあるものは、なかなか改善されません。どうしても、うまくいかない場合があることを受け止め、この問題とどう向き合うのかを考えていかなければなりません。
起こりうる問題は、
「相手のいうことを聴けない」
「自分の考えを述べることがなかなかできない」
「違いがあったら、全否定モードに入る / 他人を押さえつける」
ひと言でいえば「権力を傘にした文句たれ」です(笑)。
他人の発話を静止し「それは、違うよ!」といいつつ、自分の意見は曖昧である。他者から問われて「自分の考え」を述べようとすると、まとまらない。最後に頼るのは、自分の「権力・年齢・経験」という、まぁまぁ「困ったちゃん」です。「権力・年齢・経験」は、他者が、おいそれと否定できないことを知っていて、最後は、そこに頼る(泣)。
そういう方々がいて大きな問題が生じた場合、僕は、なるべくフォローに入りますが、そこでの会話を聞いていて、いつも2つのことを思っていました。
「大人になってからでは遅いのかなぁ・・・子どもの頃から、何とか対話する機会をたくさんもてないものだろうか」
ということと、これに一見、矛盾する下記のことです。
「大人でもトレーニングを行えば、そういうコミュニケーションモードを、ある程度は、獲得できるのかなぁ・・・そのヒントは大人の領域よりは、むしろ、子どもの学習場面にあるのではないだろうか」
前者に関しては、非常に「俗なことば」ですけれども、「鉄ははやいうちに打て」の発想です。アカデミックでなくてすみません。
子どもの頃から、異質なもの、他人の考えの違いを受け止め、そのうえで、自分の言葉を発せられる学習機会をつくれないものだろうか、ということですね。
多くの初等中等教育の教育場面では、すでにこの課題に取り組まれています。要するに、経営学習論や成人学習の世界も、ここに学ぶことはできないか、ということです。
後者に関しては、かつて協調学習研究における実践場面では、Launch Session(打ち上げセッションとでもいいましょうか)というものがありました。
なかなかグループワークに迎えない子どもたちを対象にして、まずは実践場面より易しい課題を与え、「グループワークとはどういうことか?」を教えていくセッションのことをいいます。こうしたセッションをへて、いざグループワークに向かうと、なかなかうまくいく場合があるという報告がなされていました。子どもを対象にした実践的な研究では、こうしたかたちで、じっくりと準備を積み重ねる局面が多いのです。ここからも、「大人の学び」の世界も、学ぶことができるのではないか、と思います。
そんなとき、ふと、頭に思い浮かんだのは、ふたつの物事を関連づけて、その違いやその考える機会を持てないか、ということです。「今は別れている二つの領域の実践家・研究者」の方々にご参加頂き、相互に交流しあいつつ、「対話」という問題を考える場をもてないか、ということを考えていました。
つまり、
「対話の生まれる場をつくる:子どもの対話 × 大人の対話」
というタイトルでフォーラムなどを開催し、皆で、こうした問題を考えられないだろうか、ということですね。
フォーラムには、「子どもを対象にした話し合い・対話を実践なさっている最先端の実践家や研究者」をお招きする一方、「会社組織で、大人を対象にした対話などを実践なさっている最先端の方々」をお招きして、エクササイズを踏まえつつ、この問題を考える。
おそらく、子どもも大人も、ある程度は共通するところがあり、異なっている場面もあるだろう。まずは、そこを吟味すると、新しい地平が生まれるのかもしれない。こんなことを、ここ数ヶ月、ふつふつと考えていました。
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思いついたら、すぐ動く!
今やれ、すぐやれ、早くやれ!
これは「銭湯あがったら、フルーツ牛乳!」に続く「中原家家訓」です(笑)。というわけで、この間、様々な書籍を拝見させて頂き、「子どもの対話」のセッションを御願いする実践家の方に御連絡させていただき、まことにありがたいことに、ご快諾のお返事をいただきました。
ご登壇いただけることになったのは、小学校で教鞭を執られている菊池省三先生です。大変お忙しい中、本当にありがとうございます。この場を借りて、心より感謝いたします。
菊池先生におかれましては、ご存じの方も多数いらっしゃると思います。コミュニケーションを大切になさった実践をなさっている大変著名な実践家の方で、2012年には、NHK「プロフェッショナル」で、その実践がご紹介されました。
プロフェッショナル「未来をつかむ勝負の教室」
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0716/index.html
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