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2012.12.7 10:33/ Jun

「研究」と「実践」の関係を考える場で起こりがちな3つのパターン:「あるべき論型」「オマエが悪い型」「情報交換型」

「実践現場をもつ学問」にとって、「研究者と実践者(実務家)の関係は、いかにあるべきか?」という問いは、「古くて新しい問い」です。
 定期的に、学会などで、そのような話題のシンポジウムが組まれ、学会員同士で、振り返りの機会をもったりされることが多いと思います。あるいは、同様の趣旨のフォーラムなどが、市井で開催されることも少なくありません。
 そうした議論自体は、とても貴重で意味のあることなのですが、議論の内容を聞いていて、時に、思うことがあります。
 それは、誤解を恐れず断言すると、
「本当に、両者の関係を踏まえ、何かをしようとしている人が、この中に、何人いるのか?」
 ということです(あーあ、言っちゃった)。
 ひと言でいうと、
「本当の本当に、マジのマジで、この難問を”問題”だと思って、何かをしようとしているのか?」
 ということです。
 小生、あまり意地悪い方ではないと思うのですが、思い切り無理をして敢えて「意地悪く」言えば、どうも、「実践現場をもつ学問」が、そのような機会を、「忘れた頃」にシンポジウムやフォーラムのかたちで持ち、
「一応、そういう、ややこしいことも考えていますよ。研究だけやってるんじゃないですよ。そういうことも、きちんと、ふまえていますよ、(あなたも、実践のことも)忘れていませんよ」
 という風に「体裁」をとるために「ポーズをしめしている」ように感じないところもないわけではありません。
 もちろん、そうした機会は、学会員などに内省を迫る、貴重な機会なのでしょうけれども、どこか背後に、そのような「牧歌的な雰囲気」を感じざるを得ないところがないわけではありません。
 なぜなら
 そこには
 対話がないから。
  ▼
 といいますのは、そのような場には、注意深く聞いておりますと、会の進行に「一定のパターン」があるように、僕には感じられるからです。その「パターン」に、僕の触覚は、ビビビときてしまい、どうも違和感を感じます。
 まず「あるべき論型」。
 これは「研究者と実践者の”あるべき理想の姿”を、とにかく語ることが求められており、それぞれの研究者が「自分の考えている規範」を語ります。それが「中空」になげられ、多くの議論は時間切れで終わります。
「研究者と実践者の関係論は、永遠の問いですね。今日は時間切れになりますので、また折りにふれて考えましょう。それでは解散です」
 こういう感じに終わります。
 議論の結論の多くは、「みんな違って、みんないい」になりがちです。
 もちろん「人生いろいろ、研究者いろいろ」です。各自の結論はそれぞれ「首肯」できるものなのですが、ここに「対話が起きない」ところが、まことに「面白いところ」です。
 もちろん、対話が起こって、たとえ、ひとつに「わかりあえなくてもいい」のです。そこには合意に達しませんでしたが、「対話」が起こりました。そして、その「対話」は、少なくとも「違いを把握する」機会にはなるはずです。
 しかし、多くの場合は「対話」すら起こりません。
「みんな違って、みんないい」です。
  ▼
 次に「オマエが悪い型」
 これは研究者と実践者それぞれが、同一のシンポジウムなどに登壇した場合に起こります。
 つまり、双方が、お互いに「おまえがケシカラン、だから、オマエが変われ」という風に非難・批判しあうタイプです。あまり見たことはありませんけれども、時にラディカルな登壇者が集められたときに、こういう一方通行のコミュニケーションが起こります。
「研究者が、実践のことに興味がないのがケシカラン」
「実践者が、もっと研究知見に興味をもつべきだ」
 という具合に、お互いを批判します。このパターン、実践者から研究者になった方で、かつ、ラディカルな方がいらっしゃる場合も、この場合が多いような気がします。そういう場合、「どっちの立場にたっているのか」よくわらからないのですが、いずれにしても、「研究者が・・・」「実践者が・・・」と「がの応酬」を続きます。
 行き着く先は、結局「あるべき論型」と同じです。つまりは「時間切れ」
「やっぱり、研究者はわかっていない」
「やっぱり、実践者がわかっていない」
 というかたちになります。相互の理解は深まりません。
  ▼
 一番多いのは、「情報交換型」です。
 これは、研究者と実践者が登壇した場合に起こります。お互いが、お互いの最新の研究知見、実践現場の動向(経営学習研究でいうならば、例えばA社の人材育成事例)などを、それぞれがそれぞれに語ります。
 典型的には語尾に「では」が多用されることが多いので、すぐにわかります。
「研究の現場”では”・・・・・なのです」
「最近会社”では”・・・・・です」
 それぞれの領域を相互に侵犯しないよう”では”という語尾が多用されます。もちろん、それぞれに興味深いお話しは聞けるのですが、「研究者と実践者の関係を考えている」わけではありません。あくまでなされているのは、情報交換です。
 結論は
「今日は、それぞれの現場の最新の事例が聞けましたね。というわけで、今後の研究者と実践者のあり方を考えるうえで、深い示唆が得られたのではないでしょうか。というわけで、今日は時間切れです。ありがとうございました」
 で終わることの方が多いように思います。「最新の事例」については共有できましたが、会場の中で「研究者と実践者のあり方を考えた人」は決して多くはないはずです。
  ▼
 上記3つは典型的なものでしたけれども、いかがでしたでしょうか。もちろん、特に「これらが悪い」といっているわけではありません。それぞれに「貴重な学習機会」になるのでしょうけど、「研究と実践者の関係を問い直す」会には、だいたいこういうパターンが多いように感じるのは僕だけでしょうか。
 また、ふたたび、コリもせず、「便所スリッパで後頭部をパコーン」と、ぶったたかれることを覚悟していうと、
 つまりは、
「何の変化も生み出さない会」
 になりがちだということです。
 なぜ何も生み出さないか? 理由のひとつとしてかかげられると思われるのは、そこが、
 「対話がない会」
 だからです。
 繰り返しになりますが、それは「貴重な学習機会」にはなるかもしれませんが、ラディカルに研究者と実践者の関係が問い直されることは少ないように思います。
  ▼
 この問題に対して、個人的には、最近、とみに考えてるのは、
「研究者と実践者(実務家)の関係は、”語り””議論”するだけでよいのか?」
 ということです。「研究者と実践者の関係を「議論すること」が、当該問題を考えるための定型化されたパターンである」ということ自体が、「妥当なこと」なのか?ということです。
「あるべき姿」が語られる
「相互への不信や期待」が語られる
「相互の最新情報」が語られる
 それらはそれで貴重な機会なのですけれども、若ハゲの至りで(!?)、僕個人としては、もう一歩、踏み込みたくなる衝動を抑えられません。
 つまり、
「研究者と実践者(実務家)の関係は、お互いの興味関心・利害を認識したうえで、対話し、何かを協同で”為すこと”によってしか考えることができないのではないか?」
 ということです。
 学会やフォーラムなので「規範系や責任論を語り・議論すること」も確かに大切な機会なのでしょうけれども、どうにも15年以上、同じような業界にいて、これでどうも、議論が前進した気がしません。
 といいますのは、自分がまだ若い学部生だった頃に聞いた話と、今聞く話に、それほどの変化が生まれていない気がするからです。
 
  ▼
 僕個人としては、すでに志を同じくする研究者と実務家の方々とともに、「新たなモデルの模索」に入っているつもりです。それが「経営学習研究所」という研究者と実務家のプラットフォームです。それが成功するか、どうなるかは1ミリもわかりません。が、とにかく、一歩踏み出したところという感じです。
 
mallwebsite_image.png
経営学習研究所(MAnagement Learning Laboratory : MALL)
http://mallweb.jp/
 それは、興味関心をともにする研究者と実践者が、「(本当に)自腹」で、自分たちの知的探究を可能にする組織・プラットフォームをつくり、相互に交流し、議論し、さらには「何かを為す」ことです。
 興味関心をともにするといいましたが、ベクトルや興味関心は、大筋でそろっていつつも、全く同じではありません。しかし、「その違い」を隠さず、対話し、「何かを為すこと」に挑戦しているつもりです。
 すなわち、
 経営 × 組織 × 学習 × デザイン
 の交差する領域に、理事それぞれが、仲間をつのりながら、協働するプラットフォームをつくり、何かを「成し遂げる」。
 誤解を避けるために言っておきますが、これは非営利型の組織・プラットフォームであり、理事は全く「収入」を受け取っていません。いくらイベントを開催しても、一銭も儲かりません。それは次の「知的探究」を可能にする資源として投資されるだけです。経営学習研究所は、そういう組織です。
 理事全員が「一人1ラボ」をもち、経済合理性から離れ、とにかく「面白いことを為す」。その中から、新たな関係を模索する。もちろん「経済合理性を一瞬でも離れるため」には、組織に中には、お金を含めたリソースが循環しなくてはなりません。「面白いこと」を継続的になすために、「経営」をしなくてはならないのです。
 今年、皆さんとつくった「経営学習研究所」では、次々と、実務家・研究者の方々から面白いイベントが開催・提案され、様々なコラボレーションが生まれています。今後にぜひご期待ください。来年度には、さらに枠を外し、またさらに面白い「プラットフォーム」として生まれ変わることを、個人的には期待しています。
  ▼
 何時の日か、「研究者と実務家で、ともに為したこと」から、「古くて新しい問い」を探究することが可能になるのかもしれませんが、それは、もう少し先のことのようです。
 そして人生は続く。
 —
■2012/12/05 Twitter

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