2012.11.27 07:06/ Jun
「ラーニング・デザイン」にとって、ソーシャルメディアの登場は、それ自体のあり方に「質的変化」を、もたらしました。
ひと言でいえば、その登場によって、学習機会の「事前(プレラーニングとよびましょう)」「事後(ポストラーニング)」を作り込む、すなわち、デザインすることが、誰でも比較的に容易に、かつ、費用をあまりかけず、可能になったことです。
それらのおかげで、ラーニングそれ自体を、より充実させることが、理論的には可能になりつつあります。
(ちなみに、上の「にわとりとひよこ」の写真は、今日の話題に1ミリも関係ありません。週末に、TAKUZOがつくっていたものです)
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例えば、プレラーニングとポストラーニングの具体的事例は下記のようなものでしょうか。
プレラーニング
・告知、動員、参加登録などが容易にできるようになった(事務コストを軽減し、ラーニングデザイン自体に労力をかけられる)
・事前に学習者の日常の様子を知ることができるようになった(どのような人が集合するかを知ることができる)
・事前にビデオ動画などをアップし、課題を提示できるようになった。これによって、予習が可能になった。さらに、目的意識や参加感を高めることが可能になった
・事前にコミュニティを形成し、自己紹介を行ったり、学習を行ったりすることができるようになった
ポストラーニング
・ラーニング中に用いた素材、ドキュメンテーション(実践記録)を共有することができるようになった
・事後の学習者の日常の変化を、ある程度は知ることができるようになった(評価の実現につながる可能性がある)
・形成したコミュニティをそのまま継続し、アラムナイ化することができるようになった
・必要な場合、フォローアップやリマインドを行えるようになった(評価の実現につながる可能性がある)。
・再結集が容易になった
上記はすべてではないとは思いますが、3分間くらいで思いついたものを(!?)あげてみました(朝は時間がないのです)。
これらプレラーニングと、ポストラーニングの機会出現によって、そのあいだに挟まれる「ラーニング」それ自体が、より充実したものになることが期待されます。もちろん、これらの機会の出現をもってしても、ラーニングそれ自体が、「ぺんぺん草もはえない焼き畑状態」!?になっちゃうことは「可能性としてはありえる」のだけれども、できれば前者をめざしたいよね、ということですね。
考えてみれば、これまでは、ラーニングの機会に「来る前」の学習者、その場を「退出」した学習者に、それなりの頻度で、接触をはかることは、本当に手間のかかることでした。
ネット技術を駆使したり、電話をかけたり、のろしをあげたり、伝書鳩を使ったりね(意味不明)。
やろうと思えば、できるけど、ほんと、それやるんすか、という感じ。できないことではなかったけれど、手間がかかった。
しかし、ここでは、ポイントは「誰でも」「比較的容易に」「費用をかけず」というところにあります。
「誰でも」それなりのことを学べば、ある程度のデザインがあたり、学習者同志がコミュニケーションを行い、それなりに見えるものを、容易に、費用をかけず、できるようになった、というところが興味深いところです。
##余談##
思い切り思い出話になりますが、ちょっと思い出したので、書きます。今から15年くらい前、僕が、まだ学生の頃、あるセレモニーを、地球の反対側にある大学に中継するという大規模プロジェクトがありました。プロジェクトで求められたことは、それなりに安定的な画質・音質で、映像を送信すること。でも、当時は、なかなかそれが難しかった。プロジェクトは、困難を極め、デスマーチが鳴り響きました。ひとり倒れ、またひとり倒れ・・・。
たしか、そのときは、シリコングラフィックス社のワークステーションを使って、中継車も借りてきて、衛星インターネット中継をしました。学生やら、プロやらがまじりあって、数週間かけて準備をしたことを憶えています。
もしも、今だったら、たぶん、YoutubeでOK? あるいは、Skypeですか。ハナクソほじってる間に準備が終わります…オーノー 余談終わり
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しかし、メリットはあるものの、同時に、学習の研究者・実践家の間には、「チャレンジングな課題」も生まれつつあります。
まず、研究者側からいうと、かつては、上記のような要因をプチ工夫し、実践し、評価することで、「ひとつの研究」として成立しました。
すなわち、単純にいうと、上記のような介入を施した場合(実験群)と、しなかった場合(統制群)の、学習者の行動変化・認知変化をおうことで、ひとつの研究として成立させようと思えば、できた。かなり「お手軽な研究」だけれども、実際、そういうパラダイムで実施される研究は少なくなかった。
しかし、もう、これらの諸要因は、すでに「実践のフェイズ」に入っています。ということは、やってやれないこともないけど、「新規性」をだすのは、やや苦しい。
できるならば、概念的には、プレラーニング・ポストラーニングの「次」をひねりだし、考案しなければならないように思います。もちろん、シコシコ「こんまい条件」を変えながら、既存のパラダイムで勝負することも不可能ではありませんが、できるのであれば、
ポスト「プレラーニング」
(ポストか? プレか? えーい、ややこしいわい)
ポスト「ポストラーニング」
(ポストをポストする? 意味不明)
が期待されるところです。
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実践家的な関心でいえば、デザインする対象が増えて、「やることが増えたこと」があげられるでしょう。
今まででしたら、「ラーニング」の部分だけコントロールし、クオリティを担保できれば、OKであったのに、プレラーニングも、ポストラーニングも、ラーニングデザインの視野に入ってきつつある。実際にどこまで責任をもつかは別として、少なくとも、それが言挙げされたときに「レスポンシビリティ」をもつことは期待されるようになりつつある。
つまり、プレラーニングから、ラーニング、そしてポストラーニングを一貫して上流から「デザイン」し、実施することができることが求められるようになってくる。
先日、ある人事の方と話していたときに、こんなメタファがでたことを今、思い出しました。
「必要なのは「パーツ」じゃなくて「流れ」なのです。研修やワークショップがありますよ、という「パーツ」じゃない。事前のセレクション・意識づけ。研修・ワークショップ。そして事後のアフターフォローと評価。この「流れ」なのです」
一字一句同じではないですが、たしか、「パーツと流れ」のメタファで語られていたことは、こんなことであったように思います。
このことは「よいこと」のように聞こえますが、そこには困難が予想されます。
まず、流れのそれぞれの構成要素について専門性や多種多様なスキルを持っていなくてはならない。これは最低条件です。その上で、膨大にあがるコスト・工数を下げなければならない。
しかし、一度、「プレラーニング」「ポストラーニング」のことを知ってしまったクライアントは、その存在を無視できません。ということは、それらをいかにコストを下げつつ、クオリティを下げないで、実施できるかが、ポイントになってくるような気がします。
これに関連して、先日、ある学生さんと一緒に、あるプロジェクトで、それこそ「プレラーニング」の準備をしていて、
「最近、やること増えたよなぁ・・・」
とつぶやいていました。
これは「プレラーニング」「ポストラーニング」と配慮しなければならないポイントが増えていること、に対する、いわゆる「ひとつのボヤキ」ですね。
やることが増えているときに、それをどのように安定的なクオリティで出すことができるか「実務の智慧」が問われています。
というわけで、今日は、プレラーニングとポストラーニングの話でした。TAKUZOとカミサンが起きてきたので、これにて、今日のお話は、終了です。
さっ、大学行くよ。
—
追伸1.
先日、同じ大学院生さんと話していたときに印象深かったことばのひとつに、こんな言葉もありました。
「最近、何をデザインしてるんだか、わからなくなりますよね」
昔なら「教材をデザインする」「教授をデザインする」という風にデザインするべき対象はある程度決まっていた。でも、最近は、デザインするべき対象が無限に広がっている。このことは、以前、ブログで書いたこともあります。
UST番組「学びの場づくり、”勝手に”最先端はこれだ! コンテンツデザインからコミュニティデザインへ」
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/01/167ust.html
追伸2.
今日の話に直接は関係しないのですが、先日、あるクリエーター関係者の方と話していたときに、こんなことをおっしゃっていたのが印象的でした。
「アニメの値段が急激に下がっている。もうそれだけを納品して、食べていくのは難しくなりつつある。自分でクライアントとヒアリングを重ね、企画提案をして、絵も書いて、動かして、Webサイトもつくる。自分の仕事を上流にもっていかないと、食っていけない」
コンピュータの普及で、少し勉強すれば、アマチュアでもアニメが作成できるようになった。最近は、国をこえての発注もあるし、納品もネット越しでできるようになった。さらにはメディア業界の業績不振の余波が、アニメの世界に押し寄せている。
「アニメをつくることが、アニメのプロの仕事ではなくなっている」という言葉が、とても印象的でした。
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■2012/11/26 Twitter
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