2012.11.26 16:41/ Jun
「人材育成・人材開発の言説空間」の中で、メインストリームとは言わないまでも、時折、「引用」され、「消費」される話題に「伝統工芸・伝統芸能の人材育成システム」に関する話題があります。
工芸、華道、舞踊・・・などなど、数百年の伝統を世代継承されてきたことにスポットライトがあたり、そこに存在する「人材育成の仕組み」が、紹介され、称揚されることも多々あります。
そこには「いつも(見ている企業の人材育成)とは違ったものを見てみたい」という思いと、「企業で活用できる答えが、どこかにはあるのではないか」という思いが、うっすらと後景に広がっています。
あるいは、「忍耐力が足らず、かつ、コミュニケーションがうまくとれないと考えている若年層」に対する「苛立ち」のようなものが、その背後にうっすら、透けて見えます。
(若年層が本当に「忍耐力がなく」かつ、「コミュニケーション下手」なのかは、わかりません。人材育成・人材開発の言説空間が、そう”意味づけをしていること”が、この背景にかかわる問題です)
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伝統芸能・伝統工芸の人材育成システムから導き出される「教訓」は様々です。
「ほら、やっぱり、棟梁の背中を見て、人は育つんだ。言葉なんか必要はないんだ」
「仕事は頭で覚えるんじゃない。体で覚えるんだ」
「一人前になるためには、忍耐が必要なんだ」
などが、すぐに思いつくところでしょうか。
その特徴は「上位者と下位者の非対称な権力性」「反言語主義」「身体を通じた学び」などです。
現在の企業では失われつつある、これらの要因に対して、ノスタルジーをおぼえつつ、魅惑のあるものとして想起し、確認するための言説として、これらが、引用され、消費されます。
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最初に誤解を避けるために申し上げておきますが、伝統芸能・伝統工芸の人材育成システムにおける「上位者と下位者の非対称な権力性」「反言語主義」「身体を通じた学び」などといった諸要因が「悪い」と言っているわけでは、断じてありません。
伝統芸能の人材育成システムとして、それら「最も理にかなっており」、その伝承すべき技能の特徴にあっており、「さすがは数百年をかけて洗練されてきたものだよな」と僕は思います。先日、能楽師の先生にヒアリングをさせていただきましたが、その言葉の奥に広がる伝統の深さには、感服いたしました。
しかし、一方で、伝統芸能の世代継承システムが素晴らしいものであることを認めつつも、それが当該領域関係者の「思惑」を離れ、「第三者」によって、その「表面」がきりとられ、「言説」として手放しで称揚され、「企業内人材育成システムの再構築の範」とされることがあったとしたら、そのことには「慎重」になったほうがいいように思います。
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といいますのは、あたりまえのことですが、人材育成システムが置かれている「コンテキスト」が、「現代の企業」と「伝統芸能」では、異なっていることの方が多いからです。
伝統芸能の人材育成システムが「奏功」するコンテキストとは、一般には、「仕事のルールや内容がなかなか変わらないこと」「長期間にわたる育成資源が確保できること」「育成しなければならない人材がごくごく少数であること」です。
実際に、
「仕事のルールや内容が数年おきに変わってしまう伝統芸能」
「ごくごく短期間で人材が育っちゃう伝統芸能」
「人材を数百人単位で大量育成できちゃう伝統芸能」
というのは、寡聞にしてきいたことがありません。それらの命題は「伝統芸能であること」をいずれも否定する、オキシモロンであります。
これらに対して、現代の企業が直面しているコンテキストとは「ルールの変更」が頻繁におこり、育成にかけられる時間は短期間で、かつ、人材も少数精鋭が時代の趨勢とはいえ、即戦力になる人を、どんな国籍であっても、ある一定人数は雇用しなければならないことが多いように思います。
もし、皆さんが、企業にお勤めならば、ぜひ考えてみてください。
あなたの職場の業務スタイルは、この10年で「不変」ですか?
上司の自宅で、部下は住み込みで、雑巾掛けしてますか?
あなたの会社では、知識伝承は一子相伝ですか?
おそらく、答えは「否」の方が多いでしょう。
なのに、そのまま伝統芸能・伝統工芸の人材育成システムを「よし」とするのでしょうか? 本当にほんとうですか?
思うに、つまり、コンテキストが違いすぎているのです。もしかすると同じ所もあるかもしれませんが、その重なりあう部分は、それほど多くない、というのが僕の印象です。
ゆえに、アタリマエのことですが、伝統芸能の人材育成システムを「左」から「右」にズラしても、おそらく、なかなかフィットしてこないところがでてくるでしょう。
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「コンテキストが異なっているもの」を比較するときには、異なるコンテキストに属するもの要因」を直接に、単純に、比較しては、あまり成果は期待できません。
異なるコンテキストにある物事は、「左」から「右」に、単純に移動することはできません。異なるコンテキストにあるものを、「参考」にするのならば、それをならしめているコンテキストを熟知した上で、それを行う必要があります。
くどいようですが、伝統芸能・伝統工芸の人材育成システムが「ダメ」であると言っているわけでは、全くありません。
それにロマンティシズムを感じるのは個人の自由ですが、それを手放しで称揚し、組織のシステムとして組み入れることは、生産的な結果を生まない可能性がある、と言っているのです。
現代の企業の中には、その知見が、そのまま利用可能である場合もあるかもしれません。その場合は、今日のお話は、全くの取り越し苦労です。今すぐ、ただちに忘れてください。
ただし、異なるコンテキストにある人材育成システムの諸特徴が、何の配慮もなく引用され、それが行きすぎてしまった場合・・・ともすれば、伝統芸能の人材育成システムにかかわる言説は、当該領域の関係者の思惑を離れ、企業人材育成においても「非対称な権力関係が大切」「長期間にわたる忍耐」が「大切」であるという「価値」を強化するための「レトリック」として機能するだけになってしまいます。
昨今企業に入られた新入社員の方で、上司の自宅に「住み込み」で「雑巾掛け」している方は、あまりいないと思われます。わたしたちは、「今」を生きており、その状況は常に「特殊」です。自社の状況と時代背景にフィットした人材育成のあり方を模索する旅は、かくのごとく、続きます。
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追伸.
ちなみに、ちょっと前のことになりますが、能楽師の方に「守破離」のご自身のイメージを伺ったことがあります。能楽師の方がおっしゃる、「守破離」は、もっと長期にわたるものでした。彼のスケールでは「守のプロセス」すら終わりはない。「離なんて一生で本当に来るのかなぁ」という言葉が印象的でした。
これに対して、よくビジネスの文脈で語られる”守破離”は、”守”が一年目で仕事を覚えて、”破”が2年目、自分のやり方を工夫し、”離”で自分らしさを全開にし、同時に棚卸し・手離れを考える、というサイクルです。それは非常に短期間のサイクルです。
このお話しからも、”守破離”として同じように語られているものがいかに異なっているか、おわかり頂けるかと思います。
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