2012.11.7 09:02/ Jun
製造業・流通小売業・ITなどの分野で、海外で活躍している日本人マネジャーの方々のヒアリングをホソボソと続けているのですが、その途上でよくビジネスパーソンの口からでてくる言葉に、「武器」という言葉と、「教える」という言葉があります。
海外での現地人の部下を率いて、業績を達成するためには、何が必要だったか、そのエピソードを子細に聞いていくと、彼らの口からよくでてくる言葉が「武器」と「教える」なのです。
海外でマネジメントを達成するためには「武器」と「教える」がなくてはならない、と口になさるのです。
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すぐに、ここで「武器」とは明らかにメタファです。
これは「自分が、仕事上のキャリアにおいて、一貫して取り組んできたことで、人並み以上に得意なこと」をさしています。ひと言でいうと、「専門性」とか「専門的業務経験」とかになるんでしょう。
たとえば、生産管理なら生産管理、会計なら会計、広報なら広報。ジョブローテーションのある日本企業では、なかなか一貫してひとつの仕事だけに取り組むことは難しいのですが、それでも、自分のキャリアを見直したときに、人並み以上にできることで、こだわりのもてることがあるか、ないか – すなわち「武器をもっているかどうか」は、海外で仕事をする上で大切なことのように思います。
もうひとつの「教える」とは、文字通り、「現地の部下に教える」です。じゃあ、何を「教える」のか。それは先ほどの「武器」ですね。
「武器」を「教える」というのは、一見、変な気もしますけれども、要するにいいたいことは、「自分の得意なこと、専門性」を「コンテンツ」として現地の部下たちに提示し、それで「魅了」し、彼らを「一人前」にすることで、マネジメントするということです。
現地の部下の立場からすると、「この人のもっている進んだ技術・ものの考え方を学びたい。この人についていけば、自分の能力が伸びると思うから、この人についていこうと思う」ということなんでしょう。決して「ポジション(役職)」についていくのではない。「この人がもたらしてくれる自分の能力・キャリア伸張への可能性についていく」ということになります。
すなわち、海外では、「自分の武器を教えること」でマネジメントする側面が少なくない、ということです。もちろん、すべてがそれで解決するとは思いませんが、少なくとも僕の手持ちのデータからすると、そういう部分が、少なからずある。
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そう考えると、なかなか興味深いことがいくつかわかってきます。
まず第一に、あくまで業種・業態が限られているという制限がつきますが、「武器」という二つの概念を導入しますと「海外で活躍できる日本人の育成 – いわゆるグローバル人材育成」と、「国内での人材育成」がつながってくるのです。
すなわち、「自分の武器」をもつためには、いくつかの業務経験を積みながら、自分の専門性やキャリアを「つくりだす」必要があります。
また、業務経験を折りにふれて内省し、持論をまとめ、語り得るものとして保持しておく必要があります。
これら2点は、国内の人材育成で指摘されることです。「グローバルだから」というわけではありません。「武器がない」、すなわち「国内の人材育成の機能不全」は、グローバルの問題にすぐに直結します。つまり、「国内の人材育成」の問題と、「グローバルな人材育成」の問題は、それぞれが独立している問題ではなく、結局は、つながっているということです。「グローバルな人材育成」だけを取り出して、それだけを「独立」して処方箋をつくるということは、なかなか難しいということです。
さらにいうと、語学だけできてもダメな理由はここにあります。できるにこしたことはないですが、語学をもって「伝えるべきコンテンツ」が自らになければ、それをもってマネジメントを行うことは難しくなります。
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第二に「教えること」ということは、何も学校・先生・教師だけに限られている「営為」なのではなく、これから「働く人」に必要になってくるスキルであるということです。
とかく私たちは、「教えること」は誰にでもできることのように錯覚します。しかし、それは「錯覚」です。
「教えること」は「伝えたい知識を口にすること」ではありません。「教えること」とは、「相手に情報を伝える」だけでなく、「相手に考えさせること」であり、「相手に変化をもたらすこと」であり、「相手を動かすこと」でもあるのです。しかも、相手の文化的背景やキャリアなどに配慮を行いながら、相手をしっかり見て、それを行う必要があります。
想像してみればわかるように、それは決して容易なことではありません。特に言語も文化も違った人に、どのように伝え、考えさせ、動かすかは、一定以上の困難を想像します。
第三に、これは大学関係者によくある認識のように思いますが、「グローバル人材育成=エリート教育=エリートの教育機関だけの問題」だという図式を、よく耳にします。
たぶん、そういう認識の背景にあるのは、大学関係者の中に「グローバルに活躍するビジネスパーソン」の典型的イメージとして思い浮かぶものが、「地球をまたにかけ、英語の契約書をたずさえ、概念レベルの行動に複雑な交渉をするビジネスパーソンのイメージ」があるからのように、勝手気ままに邪推します。「24時間たたかえますか?」的なジャパニーズビジネスマンのイメージです。昔、そんなCMがありました。
もちろん、上記の認識はある意味では正しいです。そういう方も少なくありません。
そして、その指摘どおり、あたりまえのことですが、「日本国内のすべての労働者が、海外にいくわけではありません」。
しかし、たとえば、日本企業が海外にビジネスを広げていくという場合には、国内で工場のオペレーションに精通し、そこに詳しい方、生産管理の経験を国内でつんだ方、流通の現場に詳しい方、システム開発の武器をもつ方などの、それぞれの「業務経験」がおそらく大切になってきます。
そして、あたりまえのことですが、これらの仕事に国内で従事している方が、必ずしも全員「エリート教育機関」をへて職場に入ったわけではありません。
すなわち、何が言いたいか、というと、おそらく「大学関係者の考えている範囲」をよりは、おそらく「一回り大きく」、日本人が海外にでて働く可能性は増えており、そのときには、国内の様々な職場で業務経験を積んだ個人が、「武器」と「教える」を携えて、海外で働く、ということです。
少なくとも、やや短絡的な「グローバル人材育成=エリート教育=エリートの教育機関だけの問題」という図式は、やや見直す必要があるように思います。まぁ、そのことを、小生のようなペーペー大学人が、指摘したところで、「見識ある大学人」のみなさま、誰一人、歯牙にもかけないのですけれども(笑)。
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「巷のグローバル人材育成関連の言説空間」は、いまもなお、まだ、踊っています。「グローバルに必要な個人的資質は、やれ、適応力だ、グローバルリーダーシップだ、異文化対応能力だ」といわれます。もちろん、それらも大切なことでしょう。
しかし、そいういう「箇条書きできる概念」の内実が吟味されないまま、日々、異なった概念が生産され、消費されていくのが、この言説空間です。
しかし、じっくりと経験者の語りに耳を傾け、彼らが「どのように現地の方々をマネジメントしていたか」を行動レベル、出来事レベル、経験レベルまでさかのぼり、子細に分析していくと、「箇条書きできる概念」ではとらえきれない、生々しいことがわかってきます。
この研究はダイヤモンド社さんとの共同研究として取り組んでいます。定性的な評価を終え、定量的な分析が、これからしばらくはじまります。来年あたりには、いろいろなかたちで、アウトプットができるものと思っています。
「海外で活躍できること」「海外でマネジメントを達成できること」が、マネジャーの個人的資質によるものなのか、マネジャーのキャリアや業務経験から派生するものなのか、はたまた現地の労働環境や組織レベルの要因によるものなのか、その寄与の程度を明らかにしていきたいと思います。
そして人生は続く。
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■2012/11/07 Twitter
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