2012.10.25 12:57/ Jun
「専門家をダメにする方法」 があるのをご存じですか?
それを繰り返していると、どんな専門家でも、だんだんと「色褪」せて、声色に艶を失っていき、いわゆる「オワコン」化(終わったコンテンツ)していく、まことに恐ろしい「黒魔術」のような方法!?です。しかも、「黒魔術」なのに、その方法は、とても「シンプル」なのです。
まぁ、そんなもの、知っていても、知らなくても、「どうでもいいこと」のように思いますし、知っていても「一銭の得」にもなりませんし、未来永劫、テストに出たり、昇進に関連することはないですが(笑)、もし、万が一、そのような方法が、仮にあるのだとして、あなたは、どんな「方法」を思いつきますか?
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個人的に、僕がひとつ「確実な方法」だな、と思っていることは、これです。僕は、いわゆる文系の人間なので、そっち方面の専門家を何となくオボロゲに思い浮かべて、以下のことを書きます(いわゆる理系には、あまりあてはまらないかもしれません)。
それは、
「専門家に、”自分の専門外のこと”を、”あたかもその筋の専門家”のように語らせること」
です。
たったこれだけ、めちゃくちゃシンプル。しかし、それでいて、黒魔術(笑)。
それを繰り返していると、たぶん、専門家はだんだんと「声色に魅力」を失っていきます。不思議と、自ずと、そして、確実に(笑)。
「おまえ、絶対に絶対だべな」、と言われると、絶対じゃないんだけどね(笑)。ごくごく希に、そうならない方もいるとは思いますが、たぶん、それは「希」ではないか、と個人的には思います。
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いろいろな定義があるのでしょうけど、一般に、専門家とは、それぞれの専門分野に固有の「概念」と、「思考の方法論」(研究方法論)と、「思考パターン」をもっている人のことをいいます。
専門家は、それらの「道具」をフルに活用して、世の中の「現象」に深く切り込み、「一般の人」とは異なるかたちで、現象を理解します。
専門家とは、「様々な(概念的)道具」を駆使して、「一般の人(非専門家)には見えないもの」を「見る」ことのできる人である・・・ここでは仮に、こう定義をしましょう、ざっくりとさ。
しかし、世の中の人々 – とくにメディア – は、「専門家が専門家たる由縁」と、「専門家が探究している狭くニッチ領域」を、「確実」に、しっかりと、理解しているわけではありません。
「ある領域の専門家」が、自分の探究領域を語る、その「勇姿」が「スマートでクレイバーでカリスマティック?」に見えれば見えるほど、その人に、他のこと、「その人の専門外に関すること」でも発言を求めたくなるのです。
つまり、「ある専門家が、こんなにもスマートでクレイバーであるならば、どんなことであっても、どんな現象であっても、語ることができるのではないか」と考えるようになるのです。
ある専門家が、ある領域においてスマートであればあるほど、「専門家に、自分の専門以外のことを語ること」を求められる傾向があるということですね。
「いつものように、ババーンといっちゃってください! えっ??専門とは違う? まー、そう固いこといわずに、ババーンと、ほれ、ババーンと」
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当初、そうしたリクエストに対して、専門家は「これは自分の専門とは少し違うな・・・」と訝しがることもあります。
「なして、オラなんだべか?」
「なして、オラが、この問題を答えてんだべか?」
「そりゃ、無理あるっしょ!」
「他に、もっといい人が、いるんでないかい」
(田中邦衛風に読んで下さい)
しかし、このように疑問をもっていたとしても、彼/彼女が「善意」に満ちていればいるほど、そうした「外部からのリクエスト」に、できるだけ応えようとします。
「ちょっと無理あるけど、何とか答えてあげよう」
そして「自分の道具」が決して本領を発揮しない領域であっても、「丸腰」「素手」で、戦いを挑むのです。願わくば、自分の「道具」がうまく機能することを夢見て・・・。
しかし、多くの場合、それほど事態は甘くありません。
考えている以上に、世の中の現象は「複雑怪奇」、「暗くて深い耳の穴」なのです(意味不明)。
「キレ味最強な、キンキンにとがった道具」を複数に組み合わせ、ようやく、それなりの現象理解が可能であるのにもかかわらず、いまや、彼 / 彼女は、それを持ち得ていない。
今の彼 / 彼女は、「武器」を持たないまま、「丸腰」で複雑な現象に切り込んでいるのです – そう「非専門家」と同じように。
もちろん、事態が幸いする場合には、たまたま、自分の手持ちの「道具」で、「現象を鮮やかに把握すること」ができる場合もあります。
しかし、多くの場合、そういう「幸運」は、長くは続きません。「どこか、ぼんやりとした、キレ味に欠ける語り」を、繰り返すことの方が、確率としては、高くなります。
そうした「ぼんやりとしたキレ味にかける語り」が多く積み重なり、人々に消費されていく。少しずつ、人々の社会的期待を静かに失いながら。
そして、そうしたプロセスの中で、自らの「道具」をひとつひとつ手放したり、「自らの領域」と「それ以外の領域」の境界を見失ってしまうのです。
最悪の場合、行き着く果ては、専門家が「ダメになる事態」です。
「あの人、最近、面白くなくなったね・・・」
「あの人の専門って、そもそも、何なんだっけ?」
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専門家とは「何」か?
この形而上学的な問いに対する回答は様々でしょう。
先に述べたように、「専門家とは、独自の概念・方法論・思考形式を持ちうる人である」というのも、その問いに対する回答のひとつでしょう。
しかし、こうも、いうことができます。
専門家とは、「自分が探究できない領域」の存在を知っている人のことをいう
あるいは、
専門家とは、自らが「探究しない領域」を見極めている人のことをいう
繰り返しになりますが、世の中は「複雑怪奇」「魑魅魍魎」「阿鼻叫喚」に「四面楚歌?」です(笑)。
複雑な世の中を相手にして、ひとつの「専門的な概念装置」が浮かび上がらせることのできる領域は、限られています。
だからこそ、現象に対する知的探究は、多様で、かつ、学際的に、かつパラレルに存在することが大切なのかもしれません。
そして人生は続く
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■2012/10/24 Twitter
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