2012.10.22 07:04/ Jun
戦後を代表する国語教員のひとりである「大村はま」さんの珠玉の言葉をあつめ、解釈した著書「優劣のかなたに – 遺された60のことば」(苅谷夏子さん著)を読みました。
扱われている内容は「学校教育現場」のお話 – 子ども論・授業論・教師論 – が多いですが、「人間の成長」「人間の学び」に関して深い洞察がなされており、これらの事柄に関心をもつ方であったら、たとえ「学校教育」に直接携われていなくても、愉しく読むことができると思います。
大村はまさんは、「二度と同じ単元授業」をしないことを自らに課していた希代の国語教員であり、つねに自らに厳しい「授業研究」を課していました。特に、国語の教員らしく、言葉を大切にした方でした。
曰く、
面白くない話に集中することは、人間としては難しいことです。子ども達がつまらない話や、何度も聴いた話を集中して聞くと行った芸当ができると思うのは、人間への誤解であると私は思います(大村はま)
一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる(大村はま)
子どもに考えさせるということをした人が、いちばん教師としてすぐれている。できるようになったか、ならなかったかは、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実 – “考えなさいといった人”ではなくて、”考えるということを本気でさせた人”が一番えらい/(大村はま)
メモしなくて忘れてしまったら、それでいい。忘れていいようなことだったのではないかしら(大村はま)
愚問は頭を悪くする(大村はま)
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「愚問は頭を悪くする」とは短く鋭い指摘です。そして、影賭けられたこの言葉は、鋭い刃を抱えたまま、ブーメランのように「教師」そのひとに帰ってきます。
考えるためには、良質の問いかけを必要とすることは言うまでもありません。そのためには、「教え手」にたつ人は、常に研鑽を積まなくてはならないのです。
ちなみに最近「対話」の重要性がよく語られることがありますが、大村さんは「話し合い」についても、よく言及なさっています。
曰く、
話し合いは、悪い癖がついてしまいますと、まず直すことは不可能です。話し合いに対する興味を失い、その重要性を軽蔑するようになってしまいます。話し合いなんて時間つぶしでつまらない。みんな聞いてもきいても黙っていて、何も言わない人がいるとか、愉しく話せないとか、話し合っても、結局は、自分で考えたのと同じだ。話し合いがなくても、結局自分自分でやればいいんだ、とそういうふうになってしまいます。(大村はま)
話し言葉というものの世界に、どういう自己開発の瞬間があるかということを悟らせたいと思います。そして、生きた人と生きた人とが、貴重な生命の一コマをつかって打ち合っているそのとき、何が起こるのか、ということを私は悟らせたい(大村はま)
聞く力というのは智慧のはじまりです。耳のあいていない生徒は、まず成功しないと思います。集中して聞けないのは、勉強をしていく上では致命傷だと思います(大村はま)
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常に教材を収集し、命を削りだすように、また、しぼりだすように授業をなさった方だから、子どもに対しても、厳しい目を向けていました。その目は、優しさに裏打ちされていたものでした。
曰く、
教室でわたしは生徒をかわいいと思ったことなどない。 / かわいいか、かわいくないか、それどころではない。力をつけることで、精一杯でした(大村はま)
子どもたちに、安易に、誰でもやれる、やればやれる、といいたくない。やってもできないことがある – それも、かなりあることを、ひしと胸にして、やってもできない悲しみを越えて、なお、やってやって、やまない人にしたいと思う。
(子どもは)可愛い、可愛いではダメ。メダカ育てたって、可愛いんだから(大村はま)
自分のしたことを、自分で「一生懸命やりました」というものではない、ということを、一年の最初から教えていた。他の人の批判を封じる言い方であり、甘えた言い方である・・・ / 本当に一生懸命になっているときは、一生懸命になっているとは思わないものだ、意識しないものだ/(大村はま)
片々たることを責めない。本人が気がついてない、まずいことは、どうしても言わなくてはなりません。しかし、本人が気がついているよくないことをまた言うというのは、これは人として避けたいことと思います。本人が、ちょっとでも気づいているときには、もうその傷口にはさわならない。さわって痛い目にあわせて、それが辛くてあやまちを繰り返さなくなるなどと言われることがあります。そういうこともありましょうが、わたしは「傷跡なく」なおしたいと思います/(大村はま)
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そして「教員」という自らの存在について、こんなことを述べてられています。それは「渡し守」のような存在だと。その凛とした言葉には、どこか「寂しさ」や「切なさ」も感じます。
わたしは「渡し守り」のような者だから、向こうの岸へ渡ったら、さっさと歩いて行って欲しい、と思います。後ろを向いて、「先生、先生」と泣く子は困るのです。「どうぞ、新しい世界で、新しい友人をもって、新しい教師について、自分の道をどんどん開拓して行きますように」そんな風に、子どもを見送っております(大村はま)
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このように同著の内容は学校教育現場のものが多いですが、以上のように、その珠玉の言葉は、「人間」について関心のある方なら、楽しんで読むことができると思います。「子育て」で、子どもにかかわる方にもおすすめかもしれません。
最後に著者の苅谷夏子さんについてです。
苅谷夏子さんは、現在はオックスフォード大学で教鞭をとられている苅谷剛彦先生の奥様だそうです。苅谷夏子さんは、「大村はまさんの教え子」で、晩年は、彼女を影ながらサポートする仕事に携われていたそうです。苅谷夏子さんの綴る大村はまさんの言葉、そして、その解釈には、大変学ばせて頂きました。
ちなみに、苅谷剛彦先生には、「教育社会調査実習」の授業で一年間大変お世話になりました(決して僕は優秀な学生ではなかったですが・・・その節は大変お世話になりました)。調査実習は、約1年間かけて、水曜日まるまる1日を使って、自分たちで仮説をたて、質問紙をつくり、統計分析をして、翌年の五月祭で成果発表をする、とい授業でした。Hard Funとはまさにこのことで、大変厳しかったですが、十数年たっても、もっとも印象に残る授業でした。
苅谷夏子さんの本書を最初に手に取ったときは、全く気づかなかったのですが、この本からは大変学ばせて頂きました。What a small worldといいましょうか、勝手に、ご縁のようなものを感じてしまいました。
そして人生は続く・・・
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