NAKAHARA-LAB.net

2012.8.29 10:42/ Jun

パネルディスカッションの5つのトホホ文法 : 尻切れトンボ、みんな違ってみんないい、オレオレ質疑、過剰プロレス、リンダ困っちゃう!?

 パネルディスカッションって、そもそも「何」ですか?
 皆さん、パネルディスカッションって、「面白い」ですか?
  ▼
 最近よく思うことに、「パネルディスカッションって、そもそも、何だろう?」ってのがあります。
 別の言葉でいえば、「何があれば、パネルディスカッションなのか?」「何を失えば、パネルディスカッションではなくなってしまうのか?」これがさっぱりわからなくなっているのです。
 これに関連する問いは、実は、以前にも持ったことがあって、過去に僕はこんなことを言っています。
パネルディスカッション
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/05/post_1223.html
 上記の4年前のブログ記事では(4年前から、あんまり進歩ないねー)、グダグダと文句をたれていますが、要するに言いたいことは、僕は「パネルディスカッションというものが、あまり好きではない」のです(笑)。で、たぶん、それに不満を抱えている人も少なくないと勝手に想像する(笑)。だから「パネルディスカッションを、もう辞めにしませんか」ということです。
 なぜなら、全部とは言わないけれど、僕自身がパネルディスカッション全体で「知的にくすぐられた経験」が、あまりないから。
 誤解を避けるために言っておきますが、パネルディスカッションに参加する個々の登壇者の話には「なるほどね」と首肯してしまうお話もあるのですよ。いや、個々のお話しは、知的興奮を覚えてしまうことも多々あります。
 ただ、「パネルディスカッション全体」「場全体」としては、「面白いねー」と思ったことはあまりないのです。
 これは自分がパネラーとして登壇しているときも同じです。オファーをいただき自分で登壇していたとしても、「あー、かみ合わないな、オーディエンスの方々に申し訳ないな、カタジケナイな」と後悔することの方が多いのです。
 まー、「好き」とか「嫌い」とか言っていても、埒があかないので、一応「なんちゃって研究者」らしく、もう少し別の言葉で言い換えてみましょう。
 つまり、こういうことですね。
「パネルディスカッションという場、場のしかけ、相互作用の構成の仕方が、学びの観点から見て、優れているとは思えない」
 これだね、言いたかったことは。
 パネルディスカッションって、そろそろ、考え直しませんか?
  ▼
 繰り返して言いますが、パネルディスカッションがあまり面白いものにならない理由は、「パネルディスカッションに登壇する人の責任ではないこと」の方が多いように思います(小生、言い逃れをしているわけじゃないですよ)。
 厳しく自戒をこめていいますが、「登壇者の掲げる話題や発話」が、あまりにもクオリティが低い場合に、そうした事態も「ありうる」かもしれないけれど、多くの場合は、それが主因ではないように思うのです。
 というよりは、そもそも、パネルディスカッションというものが、「最初から話がかみ合いそうにない構成」「聴衆の心に刺さりにくい構成」によって実践されることが多いからではないでしょうか。
 言い換えるならば、一般的な「パネルディスカッションの実践・形式」が、学びの観点からすると「プア」であると言ってもいいかもしれません。
 「最初から話がかみ合いそうにない構成」ないしは「聴衆の心に刺さりにくい構成」のことを、僕は「パネルディスカッション文法」と呼んでいます。下記では、よくあるパネルディスカッション文法について説明しましょう。
  ▼
 パネルディスカッション文法には5つの形式があります。
 英語にも、そういうのあったよね、5文型だっけ。
 中学生の頃、覚えたな。
 文型1は、
「1. 聞く 2. 聞く 3.聞く 4.時間がなくなって、尻切れトンボで、帰る型」。
 
 これはわかりやすいですね。
 要するに、パネル「ディスカッション」といいつつ、登壇者のミニレクチャーないしは大放談が一方向的に続き、さらにはタイムマネジメントがうまくいかず、時間がなくなって、「えー、時間も押しておりますので、今日はこれでお開きにします」というかたちで、終わっちゃうやつです。
「おいおい、ディスカッション、どこいった?」
 って感じですね(笑)。
  ▼
 文型2は、
「1. 観点 2. 観点 3.観点 4.みんな違ってみんないい型」
 これは、パネルディスカッション全体に「イシューがない場合」に起こりがちです。
 要するに、パネルディスカッションと称して、異なる観点・学問領域・立場の登壇者の意見発表が続くが、その後で、みんなで話し合うべきイシュー(問題)が「ない」ために(あるいは設定されていない)、最後は「みんな違ってみんないい」というオチになってしまう。
 あの観点もいいよね
 この観点もいいよね
 その観点もいいよね
 そうか、みんないいんだよ
 みんな違って、みんないい
 ふむふむ、幸せ。
 いわゆる「文化相対主義」というやつですね。それぞれの「観点」の論者は、「相互不可侵」「相互不交流」である場合に、このタイプになりがちです。
「相互不可侵」で、「相互不交流」であるならば、なぜ、このクソ忙しいのに、全員で集まってパネルを行う意味があるのか、僕にはわかりません。
  ▼
 文型3は、
「1.発表 2.あさって質疑 3.発表 4.オレオレ質疑」型です
 通常、パネルディスカッションでは、会場にオープンに場を開かれます。聴衆の中には、「自由に誰もが発言できる質疑の機会は絶対にあるべき」と強固に思い込んでいる人もいて、もし質疑がないと、文句を言ってくる人もいます。経験上、これ、意外と多いです。質疑がないと、怒ってくる人。
 聴衆にはいろいろな方々がいます。同じ話を聞いても、人の感じ方・考え方は異なりますので、人がいろいろな疑問をもつことはあたりまえのことですし、それはそれぞれにリスペクトされてしかるべきです。
 ですが、そこに「場の進行を無視して、誰がどんな発言をしてもいい」という「疑似民主的な理念!?」が働いたとたん、質疑は、「脱線」というか「暴発」しまくることが多いのです。
 パネラーや司会者が
「えっ、何のことを聞いているのですか? そもそも質問の意味がわかりません」
「今頃、それを聞きますか? それ、さっき、話題が終わりましたよね」
「それって、人類の課題じゃないですか。そんなことを聞いても、答えられるわけないじゃないですか?」
 と思わずツッコミをいれたくなる「あさって方向からの質疑」が、突然投げ込まれたりします。許されるならば、こういう質問は「斜め45度の方向から便所スリッパでスコーン」とやってやりたいのですけれども、公衆の面前で、それもできません。
 あるいは、
「えー、登壇者はまことにけしからん・・・オレは昔、こんなすごいことをしていて、カクカクシカジカ(5分経過)」
「えー、そんなことは、前にオレが、研究・実践していたのであって、それを勉強した上で・・・・(5分経過)」
 という「オレオレ質疑」続くこともあります。
 「オレオレ質疑」とは、「質疑」いう名を借りた「主張」ですね。
 全然「質疑」じゃないんだ、実は(笑)。言いたいことはただひとつです。
「オレって、スゴイだろー」(笑)
  ▼
 文型4は、
「1.やらせ 2.やらせ 3.やらせ 4.やらせ 5.過剰プロレスで白ける」型です
 これは、ある意味、聴衆のことを考えて、パネラー同士が「やらせ」でケンカをふっかけたりするやつですね。僕も何度かふっかけられたことがありますし、ふっかけたこともあります。
 ある意味、パネルディスカッションには「プロレス的」な要素があって、「やらせ」も大切なのです。ですが、「やらせ」というのは「高度な演技力」と「練り込まれたストーリー」が必要なのです。つまり、問われるのは、登壇者の力量と、司会者の企画構成力が問われるのですね。
 そういうものがなく(自爆)、あまりにも過剰に「やらせ」を乱発するもんだから、かえって、聴衆が白けてしまうという現象が生まれます。
 個人的にいうと、僕は壇上で、「仕組まれた論争」なんかしたくありません。だって、バレるでしょ。僕、ヘタですし(笑)。
  ▼
 最後の文型5は、
「1.発表 2.発表 3.質疑 4.シーン 5.もうどうにも止まらない御大」型です
 要するに、パネリストの発表が続いたあとで、質疑を聴衆に等のだけれども、多くの人の前で発表するには緊張するので、誰も手をあげない。つまり会場全体が静まりかえり「シーン」となってしまう。で、安易に司会者が「切り札」に使うのが「御大:エライ人」カードです。
「質疑がないようですね。それでは、○○大先生がお越しいただいているので、・・・○○大先生にお話しをきいてみましょう・・・・」
(エライ人の話が永遠に続く・・・もうどうにも止まらない。リンダ困っちゃう・・・笑)
 というパターンですね。
 無茶ブリされる御大もちょっぴり可哀想ですが、話は堰を切ったように続きます。
 しかも、司会者の方から話を振ってしまった以上、司会者自ら、それを静止することはできません。かくして、永遠とも思える「御大トーク」が続き、時間が流れます。
 御大だって、たぶん!?、困ってるんです。突然話を振られて、でも、何とか、立場上、「まとめ」なアカンやろ(笑)。だから「オチ」が見えるまで、話をやめるわけにはいかないのです。
 この場合、御大が悪いんじゃないのです(笑)。そういうところで「御大カード」を切ってしまった方の責任ですね。
   ▼
 このように「パネルディスカッション文法」には典型的には5つの異なる形式がありますが(話半分できいてね)、実際のパネルディスカッションでは、これらが複雑に絡み合っていることは言うまでもありません。こういう文法が複雑に「とぐろ」をマキマキと巻いて、パネルディスカッションという時間が構成されるのです。
 この背景には、下記のような問題がありそうですね。
 1)タイムマネジメントの難しさ
 2)イシューの設定をきちんと行うことの準備不足
 3)場をオープンにしたときの統制不能さ
 4)演技を行うことの難しさ
 5)静止することの難しさ
 などから、パネルディスカッションという形式は、なかなか場全体として、うまく理解を促進することが難しいのだと思います。
 個人的には、「パネルディスカッションという場の構成のあり方」を、そろそろ考えなおすことがあってもいいな、と思っています。特に学習系、人材開発系、教育系の会であるならば、なおさら。
 パネルディスカッション
 そろそろ、2.0を考えるときなのかもしれませんね
 Leafningfulなパネルディスカッションを「一発」ね(笑)
 ま、こんなことで、グダグダ考えているのは、ケ●のアナの小さい小生(暇人?・・・いや、暇じゃないんですよ)だけかもしれませんが(笑)
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■2012/08/28 Twitter

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