2012.2.9 08:35/ Jun
昨日は、雑誌「人材教育」にが連載している「学びは現場にあり」の取材でした。今回取材させていただいたのは、金沢21世紀美術館の皆様です。ありがとうございます(感謝)!
金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/
金沢21世紀美術館といえば、地方の現代アートの美術館でありながら、来場者は年間約150万人(公共部分)、40万人(博物館部分)をもつ、日本で有数の「元気な美術館」のひとつです。
今回は、その美術館で働く学芸員さん(キュレータ)の皆様にスポットライトをあて、皆さんが、どのように仕事をなさっているのか、そこで、どのようにプロフェッショナリティを磨いていらっしゃるのかを取材させていただきました。
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「金沢21世紀美術館で働くこと」には、いくつかの特徴があります。それが、キュレータの仕事のあり方に、強い影響を与えています。
まず、ご存じの方はいらっしゃるかもしれませんが、1)非常にユニークな建築。
ここは、「街に開かれた美術館」を標榜し、硝子張りの透明な空間で、かつ、誰でも入ることのできる公共部分と、お金をはらって入ることのできる「博物館部分」が混成して、ひとつの建物になっています。
建築コンセプト
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=35&d=1
開かれているということは、外部から誰もが出入りするということであり、常に動き続けている、ということです。内部では、それを常に支え続ける、ケアし続ける仕組みが必要になります。
外部から見て非常に魅力的に見える部分は、内部の類い希なる努力によって支えられています。
次に、2)作家の特性です。現代アートの作家とは、まだ存命の人が多く、作品展示は、彼らとのコミュニケーションや交渉なしでは、成立しません。そこには高いコミュニケーション能力が求められます。
次に3)作品の特質です。金沢21世紀美術館に展示されている現代アート作品の中には、作家がひとりでつくるのではなく、参加者を巻き込みながらつくる、参加型アート・インスタレーションというものが、あります。そうした場合、多くの人々をケアする必要がでてきます。つまり、多人数の関与するプロジェクトが、アートそのものになりえます。そこでは、いわゆるマネジメントの能力が求められます。
そして、最期は、4)来館者の特質です。
このような革新的な美術館ですから、いまや、金沢の観光の目玉として、様々なツアーに組み入れられています。一年間でここを訪れる人は、150万人。その年齢構成は、非常に多様で、幼児からお年寄りまでいらっしゃいます。
通常、現代アートにこられる客層とは、全くことなる客層の方々に、いかに愉しんでもらうかが課題になります。
当日は、チーフキュレータの不動さん、キュレータの村田さん、吉岡さん、平林さん、北出さん、広報室の沢井さん、エデュケターの木村さん、ライブラリアンの鍛冶さんに、大変貴重なお時間をいただき、お話しを伺うことができました。
キュレータとしてのプロフェッショナリティを伸ばしながら、いかに上記の特質をもったサービスを運営していくか、について非常に多くの示唆をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
やっぱり現場は素晴らしいですね。
現場の方々のお話をヒアリングさせていただくのが、愉しくて仕方がありません。
僕個人としては、いわゆる欧米型のエキスパート・フラット型がよいのか、日本型の職場モデルがよいのか、僕は深く考えさせられました。その内省は、記事の方に反映したいと思います。また、今度は、取材ではなく、息子のTAKUZOとカミサンを連れてきたいと思います。楽しみです。
今日は、早々に、大学に戻ります。
夜は、弁護士・福井健策先生と、「学びのデザイン・教材のデザインと著作権」に関する研究会「FAN」です。こちらも、とても楽しみです。
学びのデザイン・教材のデザインと著作権
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/01/post_1822.html
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追伸.
なお、これは取材とは脱線しますが、今回、現代アート作品の話を伺って、僕は、頭の片隅で「複数の著者性」について考えていました。この問題が、今日夜に実施する研究会に、実は関係するのではないか、と考えていたのです。
たとえば、ある現代アート作品で、作家が市民10名ほどと協力して、非常に大きなインストレーションをつくったとします。インスタレーション作品は、たしかに作家の世界観が反映されているものです。しかし、そこでは、市民の方も創意工夫を行っており、時には「ここをこうしよう」と提案することもあります。実際に絵筆をにぎって、作品の一部を描いています。
僕が疑問に思ったのは、
この場合の「著作者」とは誰なのか?
ということです。
もちろん、作家の絵筆をにぎり、創作を担っているので、作家のオーサーシップは揺らぎません。しかし、そこに部分的に関与する人々のオーサーシップはどうなるのでしょうか。
お話しをお聞きすると、それはケースバイケースだそうですが、アートの世界では「作家」という風に考える場合が多いようです。あくまで、作家の世界観の中で、作品をつくっているという位置づけで、著作者とは作家となります。
僕は美術・アートの世界は、ドシロウト中のドシロウトで、変なことを言っているのかもしれませんが、たまたま、今日、知財の研究会をやりますので、そのことが気になっていました。
参加型のラーニングデザイン、参加型のインスタレーション、アジャイルコンピューティング。私たちの世界には、こうした「多人数参加型の出来事」が、少しずつあふれはじめています。
著作権法が、こうした問題にどのように対処可能なのか。今日は、福井先生に、そのあたりについてもお話を伺ってみたいな、と思います。
今日に続く。
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