2011.12.4 08:35/ Jun
万物は「メディア」である
僕はこの言葉が好きです。
僕は「メディア論」は全くの門外漢ですが、過去15年以上のメディア論に関する「ヘタの横好きの読書(たぶん理解は伴っていない)」の結果、印象に残ったメッセージは、このセンテンスです。
ここでメディアとは、「物質的なものが記号活動を支える媒介と化した状態」(石田 2003)と、広範囲に定義しておきましょう。メディアとは、「物質が物質であることをこえ、記号として機能しはじめるプロセス」のことを差し示す概念です。
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小林弘人著「メディア化する企業はなぜ強いのか?」(技術評論者)を読みました。
本書は、表面的に読めば「ソーシャルメディア時代の企業のマーケティング戦略を論じた」本だと思います。
企業自らが、ソーシャルメディアを駆使して、自分の言いたいこと、主張したいことをメッセージ化・コンテンツ化して、発信し、ユーザーのあいだにコミュニティを構築する・・・そうしたプロセスを経験する上で、留意するべきことが、詳細に論じられています。
経営者、広報企画者の方々にとっては、非常に参考になる内容だと思います。
また、人事施策の普及・人材開発の実施、いわゆる「デリバリー」を、「社内コミュニケーションプロセス」と考えるのであれば、人事担当者の方々も参考になるところが多いのではないでしょうか。
しかし、小林さんが、本書に込めた最も大切なメッセージは、「企業・組織とはメディアである」ということではないか、と思います。
言葉を換えるのだとすれば、ソーシャルメディア時代には、否応なしに、「企業・組織は、メディアとして機能せざるを得なくなる」ということですね。
もちろん、このことは、これまでもそうだったのですが、ソーシャルメディアの登場によって、組織自身がメディア所有・利用することの敷居が非常に低くなり、その影響が格段に顕在化しやすくなる、ということですね。
本書で詳細に論じられているように、多かれ少なかれ、今後、5年 – 10年・・・情報のイニシアチブは、「組織」ではなく、「ユーザー」の方に移ってくるでしょう。
マスメディアが、すぐに「不要」になることはありませんが、これまでのように、莫大な資金を投下し、大手メディアをジャックし、それをもって「情報統制」を行うこと、「自分の伝えたい情報だけを選択的に伝達すること」の実効は、もはや期待できません。
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そこで必要になってくることは、メディア論の基本に立ち戻ることです。つまり「企業・組織はメディアであるという基本」に立ち戻ることです。
日常的に、企業・組織が「メディア」として、自らの存在意義・レゾンデートル、メッセージを発信し、ユーザーの中に「共感」を生み、そこで生じた水平的な人的集合(コミュニティ)の中で、循環的な生産 – 消費活動を可能にすることが求められている、ということなのだと思います。
それは否応なく – つまりは経営者や広報担当者が望むと望まないとに関わらず – 近い将来の「経営課題」になると、僕は思います。
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本書の読後の感想として、2つの事を思いました。
ひとつめは「絶望と翻訳」です。
例えば、今、ここに書いてあることを、仮に、ひとりの熱意ある実務担当者が、経営陣や上役に伝えようとする。
おそらく、その内容は、ソーシャルメディアに一度も触れたこともない経営陣には、伝わらない可能性が高いのではないか、ということです。「企業・組織がメディアである」という感覚は、なかなか理解されないことと思います。
その際に、「心ある実務担当者」は「絶望」を感じつつ、一方で、どのような「翻訳」を試みるのか。あるいは「絶望」の果てに、企業を後にするのか。そこが試金石ですし、もっとも「知性」の必要なところなのかな、と感じました。
もし僕自分が、実務担当者だったら、どのような「翻訳」「言説の転換」を行い、説得を行うかを考えながら、読まさせて頂きました。
ふたつめ。
それは「メディア化」するのは・・・否、「メディア」であるのは「企業・組織」だけではない、ということです。
ひと言で述べるならば、
「個人もメディアである」
ということになるのでしょうか。
もちろん、この仮説の指し示すところが、どの程度、顕在化しやすいかは、人々の置かれている社会的コンテキストに相当程度依存します。
そこには「自分自身がメディア化する個人」と「他人によってメディア化された世界に生きる個人」という、これまた「生臭い論点」が生まれうるのですが、そのことは、また別の機会をもって論じましょう。
しかし、特に、「プロフェッショナリティを行使しようとする個人」にとっては、自らが「メディア」になることで、仕事のあり方が大きく変わってくる時代に突入しているように感じます。
還元するならば、否応なく、自らが「メディア」として機能しはじめる、ということなのかな、と思います。そんな時代に、個人はどのように生きていけばいいのでしょうか。
以上、本書の感想でした。
そして人生は続く。
(ちなみに、僕の所属組織「大学総合教育研究センター」のセンター長、吉見俊哉先生は、近著「大学とは何か?」(岩波新著)で、大学の存立の歴史をメディア論の立場から考察していらっしゃいます。先日お話しした際に、吉見先生は「大学とはメディアである」とおっしゃっていました。大学をメディア論の観点から読みとくこちらも、従来の高等教育論にはない視点で、非常に勉強になります)
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