2010.8.21 07:41/ Jun
仕事柄、講演や社会人向けセミナーや教育コースなどで、講師をお引き受けすることがあります。
教育・研究で非常に多忙であるため、講演は月に1度以上はお引き受けしない、社会人向けのカリキュラムは企画・開発からすべてに参加できるもの以外は、お引き受けしない事にしておりますが、それでも、少なくない機会に、人前でお話をする方だと思います。
僕は自分の教育・研究の成果を、積極的に社会に情報発信していきたいと願う人間です。また、大学と社会の間に、さらに密接なコミュニケーション回路が生まれることを願っています。オファーをいただけて、本当にありがたいことです。
▼
比喩的な言い方ですが、講演やコースは、舞台の前でお話をする「僕」だけで、創っているわけではありません。
そういう舞台の上にあがる人を、実は陰ながら、支えてくれる人がたくさんいるのです。オーディエンスの方には、それが見えないとは思いますが、実は、そうなんです。一般には「事務局」というお仕事を担当していただける方々です。
「事務局」の方々の仕事は、非常に多岐にわたります。
一般には、様々な事務書類の手続き、講演のロジスティクスの担当だと思われています。おそらく、それが仕事のミニマムラインでしょう。しかし、高度な「事務局」は、さらに多くの上流の仕事を、陰ながらなしています。
講演の内容企画からアイデアだしをします。
受講者の事前レディネスの確保するため様々な情報を受講者に流します。
講演中は、その内容を聴いていて要約して、受講者へのフォローアップをします。
受講者同士のネットワーキング機会の調整なども行います。
場の変化や、オーディエンスの様子を、講師にウィスパリングしてくれる方もいます。
それがどんなに助かるか、、、これは筆舌につきます。
こういう「高度な知的生産」を行う事務局の方々は、もはや、教室の「後ろ」で座っている存在ではありません。
教室をモニタリングし、オーガナイズする存在なのです。
それは「専門職」であるといっても過言ではない。
その仕事を自ら「名付ける(Name it)」ことが、僕ができると思う。
その仕事は、もはや、「事務局」という言葉で形容できる類のものではありません。カリキュラムコーディネータ、カリキュラムディレクター、といっても間違いはない仕事です。
▼
最近仕事をしていて、つくづく思うのが、どういう事務局の方と仕事をするかで、その仕事のクオリティが決まってしまう、ということです。
確かに、舞台に上がってお話ししているのは、僕だけです。
しかし、くどいようですが、その舞台にあがってする仕事は、それで決まらない。
事務局の方に、どの程度、どのような仕事を担当して頂けるかで、決まってしまうのです。
高度な事務局の方と仕事を一緒にしている場合には、受講者に非常にきめ細かい対応をすることが可能になります。
つまり、僕がいちいち指示・配慮をしなくても、物事が進んでいきます。
その分、自分は、受講者に伝えたいコンテンツをいかにデリバリするかに集中することができます。
こうした方々の仕事は、もはや講演のロジスティクスではありません。
ラーニングエクスペリエンスを講師とともに共同創造する存在なのです。
もちろん、もうひとつ仕事のクオリティを決めてしまう、大きな要素があります。それが、オーディエンスの方々です。
講演者と事務局とどんなに準備をしていても、オーディエンスの方々が、後ろにふんぞりかえりかえっていれば(笑)、場はよくなりません。
そう考えるならば、
教育とは、講演者、事務局、オーディエンスの「共同的な創造行為」である
ということがわかります。
互いが、他に影響を及ぼしつつ、そのクオリティが決まります。
茶の湯における「おもてなし」の概念をあてはめるならば、講演者・事務局、すなわち「主」は前もって十分な準備、すなわち「用意」をなす。
オーディエンス、すなわち「客」は「主」の意図をくみ取り、「用意」に応える「卒意」をなします。その「主客一体」のはてに、「おもてなし」のクオリティが決まるのです。
その中でも、最も見えにくく表面に出てきにくいのは、「事務局」の方々の働きです。しかし、くどいようですが、彼らの働きが、場に及ぼす影響は、決して少なくありません。
▼
僕は、幸いにして、カリキュラムコーディネータ、カリキュラムディレクターとよばれる高度な知的生産をなす事務局の方と一緒に仕事をしています。非常にありがたいことですし、また、嬉しいことです。
しかし、その仕事や役割が、必ずしも世間的には理解されているわけではありません。僕は、そんな事務局の方々の仕事に、もっとスポットライトがあたってよいと思います。
事務局は何を為しているのか?
また、何をなすべきなのか?
そして、「事務局」という言葉は、その仕事を形容するのに、十分な言葉なのか?
非常にニッチな問いですが、最近、非常にそのことが気になっています。
個人的には、もう「事務局」という言葉をなくし、新たな仕事内容を、新たな名前で定義してしまった方がよいように感じています。
一言でいえば、
「もう、事務局って言うな!」
です。
非常にトホホなのは、それに替わる言葉が、適当な言葉が、まだ思いついていない事なのですが(笑)。
ごめんなさい。
でも、高度な事務局をなさっている方の仕事の意義や意味には、もっとスポットライトがあたってよいと本気で思っているのです。それは偽らざる事実です。
ちなみに、自分の仕事を定義し、そのバリューを高めるのは、他でもない、その仕事に従事している人たちの関与なしではなしえません。
今日専門職として知られる職業が、少し前までは、専門職ではなかったことは、あまり知られていない事実です。それは、その職に従事している方々が、苦労して勝ち取った社会的評価なのです。
もしかすると、「事務局」をやっておられる方の中で、もし「志」のある方がいらっしゃるのなら、それに替わる適当な言葉、その仕事をなすのに必要な知識体系、さらにはジョブ・ディスクリプションを定義し、社会に情報発信していくことも、ひとつの選択肢かもしれません。
「事務局の教科書?」「事務局の花伝書?」をつくるのも、選択肢のひとつかもしれませんし、それをやっている方々のネットワーキングの機会、あるいは「場」をつくるのも、最初の一歩かもしれません。いずれにしても、もし「志」があるのなら、動かないことには、話ははじまりません。
▼
事務局の仕事をなさっている方にお聞きします
あなたの仕事は、何をなすことなのですか?
あなたは場にどのようなバリューを提供していますか?
事務局の方々と一緒に仕事をしている方にお聞きします?
あなたはどんな事務局の方々と仕事がしたいですか?
事は十中八九まで自らこれを行い、残り一、二を他に譲りて功をなさむ(手柄を譲る)べし。
(坂本龍馬)
—
■2010年8月22日 中原のTwitterタイムライン
Powered by twtr2src.
—
■2010年8月21日 中原のTwitterタイムライン
Powered by twtr2src.
—
■2010年8月20日 中原のTwitterタイムライン
Powered by twtr2src.
—
■2010年8月19日 中原のTwitterタイムライン
Powered by twtr2src.
最新の記事