2010.7.27 08:37/ Jun
のっけから「恐縮」なのですが、僕は「アイスブレイク」という言葉に、ひっかかる人間です。アイスブレイクとは、「授業、研修、セミナーなどの一番最初にやる、小さなワーク」のことですね。
「さぁ、皆さん、アイスブレイクをしましょう」
という感じで、受講者の緊張をときほぐすために、「教育内容とは関係ないワーク」が実践されることがあります。たいていは、教授者のインストラクションに従って、ワークが進行します。
この言葉、自分でも、ついつい使ってしまうことがないわけではないんですが(笑)、自分が受講者の立場だった場合に、誰かが、この言葉を発すると、ついつい
「オレはアイスで、これからブレークされるのか・・・」
と「ほとんど、酔っぱらいのような、いちゃもん」をかましたくなるのです。というか、正確にいうと「少し寂しい気持ち」になるんだよね。「嗚呼、今、ここにいる人の間には、アイスがあるのか」ということを認めざるを得ないから。
嗚呼、ホントに、困ったちゃんだね。あんまり相手にしなくていいよ(笑)。
ていうか、今日も出張のスーツケース、電車に置き忘れるしさ。3日分の衣類、Gone。どうすんの、これから。真夏にパンツ、リバーシブル? リスキーだね。
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なぜ、僕は「アイスブレイク」にひっかかるのか?
それは、非常によくデザインされたワークショップやシンポジウムでは、この「アイスブレイク」が必要ないのです。つまり、授業内容とは関係ないような小さなワークを、敢えて授業冒頭でやらなくてもいいのです。
アイス(参加者間に存在する無意識の壁)が自然と消失してしまうかのように、<環境>がデザインされているのです。正しくいうと「アイスブレイクが必要ない、のではなくて、知らず知らずのうちにアイスブレイクされている」のです。
「これから、みんなのあいだにあるアイスをブレイクするどー、と言われるのではなく、あれ、不思議、知らず知らずのうちにブレイクされちゃってるよ、、、という感じ」
たとえば、音楽。いかにもフォーラムにきましたぁ!という感じのクラシックではなく、どこかで聞いたことのあるような「懐かしく、ゆるい音楽」がかかっている。いつもとは違うな、という感覚を、ゆるく、もってもらう。
たとえば、お料理やお茶。これらは通常、フォーラム修了後か合間に供されます。これを敢えて、一番最初にもってきて、いつもとは違うスイーツなどをだす。その上で、お隣の人と自己紹介をさらっと促せば、もう自然と会話がでてきます。
たとえば、インテリア。いかにもフォーラムや研修室にきました、という無機質な白壁を、いかにリラックスした雰囲気に変える。グリーンを置く。雑貨をおく。
要するに、「いつもとは違う」「ゆるくて安全な雰囲気」をつくりだすために、「遊び心」を持ちながら、「複合的なアプローチ(恥知らずの折衷主義)」で、様々なディテールを工夫しているということですね。
そして、場の特性にもよるのですが、これが、ラーニングプロフェッショナルの取り組む「アイスブレイク」ではないか、と思います。
その際、気をつけるのは4点だと僕は思います。
1つは「学習者中心(Learner-centeredness)の信念」。
学習者中心主義とは「学習環境をデザインする際には、学習者の認知スタイル、行動スタイルを最重要視すること」です。
なぜ、ディテールを工夫するのか。
それは、誤解を恐れずにいいますが、教授者が教授を楽にするためではありません。あくまで、学習者のためであり、後続する学習のためです。
しかし、とかく、こうしたディテールに魅力を感じる人は、メタフォリカルな言い方をすれば、「学習者を忘れがち」です。ディテールを工夫することが自己目的化し、場作りそのことに、心を奪われます。
ぶっちゃけた言い方をすれば、学習者が十分なレディネスがある場合は、場をつくることなど必要はないのです。学習者中心とは、そういうことです。
(本当は学習者中心主義は3つほどの異なる定義がありますが、マニアックなので、それはここでは述べません。興味のある方はこちらの文献をご覧ください。中原淳(2008)学習者中心主義 佐伯胖(監修)・CIEC(編)(2008) 学びとコンピュータハンドブック. 東京電機大学出版局, 東京)
2つめ。大胆に未知のものに取り組むことです。
どうせ、ディテールにこだわるのなら、「大胆に「誰も見たこともないような工夫」を「大胆」にやればいいのではないか、ということです。
はじめて、こうしたディテールを工夫した方によく見られがちなのは、「自分でせっかくデザインしたのに、そのことを恥ずかしがってしまう」ということです。でも、主催者が恥ずかしがれば、学習者は「のる」ことができません。
3つめ。最後は、実施者の方が、こうした「創造」や「工夫」を、「みんな」で「楽しんで」やることができるか、ということです。「みんなで楽しみながら取りくめるか」というのは、不思議なもので、学習者に「伝わり」ます。やっている側がイヤイヤ、やらされ感が漂っている学習の場ほど、学習者にとって辛いものはありません。
4つめ。それは、Formative Evaluationのマインドを忘れないということです。Formative Evaluationとは、日本語でいえば「形成的評価」(詳細は「企業内人材育成入門」をご覧ください)。すなわち、オンゴーイングで進行する学習を常にモニタリングして、インプロで、常に場をつくりかえ、崩していくことです。
場やディテールに完璧なものはありません。それは、学習者のほんの少しの振る舞いで、いかようにもかわります。
しかし、まずは、いったんは作り込む。「常に場を作り替え、崩す」ために、いったんは「作り込むこと」が僕は重要だと思います。その上で、学習者の振る舞いを見ながら、場を変化させる。これが、Formative Evaluationのマインドかもしれません。
ぶっちゃけていうと、音楽をどのように工夫するか、料理をどのように出すか、ということに「王道」はありません。以上の4点に留意して、学習者と自分たちが楽しめる「コンテキスト」をつくり、壊し、またつくればばいいのかな、と思います。
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こうしたディテールにこだわれば、敢えて、「さぁ、みんなでアイスブレイクをしましょう」と声高に叫ばなくても、すでに心は解れているのです。こういうときに、何を、どのようにデザインするのか。それが、「ラーニングデザイナーの専門性であり知性」なのかな、と感じます。
今度、英治出版さんから刊行予定の「場づくり本? Learning bar本?」では、そんなことを書いています。お楽しみに。
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追伸.
完全に、この夏は、「ワークライフバランス」を誤りました。瀕死のスケジュールです。猛省しながら、走りきります。来年は仕事を減らそうと思います。
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