2010.6.21 08:52/ Jun
鈴木伸元氏著「新聞消滅大国アメリカ」を読みました。2009年1月に放映されたNHK「クローズアップ現代」の取材をもとに、同社記者の筆者が、大幅に内容を加筆した書籍です。
本書は、アメリカの新聞・雑誌業界の現在を生々しく、しかし、淡々と伝えています。
特に、新聞崩壊の後に私たちの前に降りかかる、しかし、看過できないデメリット、例えば民主主義の崩壊、政治的無関心の増大についても論じてあり、勉強になりました。下記、適宜本書の内容を引用しつつ、紹介します。
著者によれば、過去、米国で、2004年-2008年の5年間に廃刊になった有料日刊紙は49紙でしたが、2009年には1年間に46紙が廃刊になったといいます。
米国新聞社のビジネスモデルは、日本のように「宅配」ではなく、「広告」です。このことから、米国新聞業界は、近年の、広告費の減少の余波をもろにうけました。
米国の広告費は、2007年と2008年の第四四半期間において、激減しています。つまりは、リーマンショック「前」から、その傾向はすでに進んでいました。
米国の広告費の増減を媒体別に調べると、テレビは 5.1%マイナス、雑誌は13.9%マイナス、新聞16.5%マイナス、インターネット7%増加、屋外広告11.2%減少となります。
要するに、インターネットが7%増加する以外は、すべてのメディアの広告費が減少に転じているということです。
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このような広告費の激減は、老舗NYタイムズ(ニューヨークタイムズ)の経営の「屋台骨」すらも、揺るがすほどになっています。
米国知識階層が愛読する最も権威ある新聞のひとつであるNYタイムズ。NY最大の繁華街「タイムズスクエア」の語源となったNYタイムズ本社は、今、記者の大量リストラにあえいでいます。
同社メディアグループには、2006年には4610人いた従業員が、2009年末現在では3222人になっています。わずか3年間で会社の従業員の3割が削減されたことになります。できたばかりのタイムズスクエアの自社ビルは、完成からわずか2年で投資会社に一部売却されることになってしまいました。
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しかし、興味深いのはここからです。
米国のすべての新聞社が、同じような危機を迎えているというわけではない、のかもしれないということです。ノーザン大学が全米新聞記者3800人に対する調査を行ったところ興味深い結果が出てきました。
この調査において「新聞社はネット化をもっと早く進めるべきだった」と答えた記者は全体の56%におよびます。また「2年後も今と同じ新聞社に働いていると思う」と答えた記者は59%にも及びました。
後者の設問「2年後も今と同じ新聞社に働いていると思う」に対するを記者の属性ごとにカテゴリ分析すると、「2年後も今と同じ新聞社に働いている」と回答したのは、発行部数5万部以下の新聞社に勤める記者が多数を占めていたということです。
つまり、会社規模は小さければ、多少の広告費が削減されても、サバイブできる可能性がある、と考えている記者が多いということです。
つまり、こういうことではないかと推測できます。
NYタイムズのように、老舗で、すべてのニュースソースをカバーせざるを得ないような大規模新聞社は、大量の記者・専門家を内部に抱えざるをえません。それゆえ、経営に対する固定費の割合が高いことが予想されます。そして、収入に占める広告費の割合が減少する中で、この固定費を支えられなくなっている。
逆に、現在の広告収入に適応可能な人数まで削減することができれば、経営は成立する。しかし、それは、すべてのニュースソースをカバーすることを放棄することを意味する、ということではないか、と思います。NYタイムズのような老舗新聞社は、このようなダブルバインド状況に煩悶しているのではないでしょうか。
一方、地域に根をおろして、小規模な人数で草の根の活動をしている新聞社は、そもそも固定費が低いだけでなく、広告費の減少の影響が経営を直撃する程度は低い。よって、小さな新聞社につとめる記者ほど、危機感は少ない、ということではないか、と推察します。もちろん、そのような新聞社とて、危機から無縁というわけではないでしょうけれども。
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一方、日本の新聞社はどうでしょうか?
周知のとおり、日本の新聞社のビジネスモデルは、米国のそれとは全く異なりますので、そのまま比較することはナンセンスです。日本の新聞社の売上に占める広告の割合が3割に過ぎません。日本の新聞社を支えているのは、「宅配」です。
ですので、急に米国のような状況が生まれるわけではないと推測できます。
しかし、僕は専門家では全くないので下記はあくまで推測ですが、その新聞社にも、経営上、「2つのアキレス腱」が存在するのではないかと推測します。
ひとつは、日本の新聞社は取材から印刷まで、高度に垂直統合された生産システムを保有していること。これは、紙からネットに移行する際に、「変革」を阻害する最大要因になるのではないか、と推測します。
もうひとつは、宅配を支えている、地域の販売店は、「折り込み広告」によってビジネスを維持しています。この折り込み広告が減少すれば、「地域の販売店」が先に倒れていきます。そして、この販売店ネットワークが崩壊すれば、「宅配」によって支えられている新聞社のビジネスモデルが危機に直面するのではないか、と推測します。
上記はあくまで推測です。
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それでは、このような新聞社の危機は、「対岸の火事」ですむのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。
新聞社の危機は、言論空間・ジャーナリズム空間の危機、ひいては「私たちの政治・暮らしの危機」でもあるのです。
著者は、プリンストン大学による実証的な調査研究を引き合いにだしながら(僕は原典は読んでいません)、新聞廃刊の悪影響として、
1)選挙における投票者の減少
2)選挙運動に投入される資金量減少
3)選挙の新人候補の減少(現職に有利に働く)
4)地方議会や行政情報がわからなくなる
5)地方行政の腐敗がはじまる
6)地域コミュニティの対話が減少など。
が明らかになったといいます。
新聞社の崩壊は、ひいては民主主義・政治の腐敗、崩壊、地域コミュニティの対話空間の減少につながっていく可能性があるのですね。
皆が政治・行政に関心をもたなくなる。皆がお互いに関心をもたなくなる。これは困った事態です。
「新聞社のビジネスモデルの未来はどのようにあるべきか」「新聞社がどのようにサバイブするか」がどのようになるかは、新聞社が決めることです。それは、直接は、私たちの問題ではありません。
しかし、私たちは民主主義を守るために、「新聞の機能」や「新聞の果たしてきた社会的役割」を失うことだけは避けなければならない、ということだと思います。
つまり、新聞がこれまで担ってきた、政治・行政・地域の情報収集を行う力、情報を編集し、発信していく力の重要性は、今後も、増すばかりです。問題は、それを、どのような「主体」が、どのように担いうるのか、ということなのだと思います。議論の焦点は、もはや、そこでしょう。
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僕はメディア論などは全くの門外漢です。しかし、本書を一読して、米国における新聞社の「憂鬱」は思ったよりも深刻だな、と感じました。
しかし、地球上、すべての国において新聞社が危機に瀕しているわけではないことを、著者は指摘します。先進国以外の、とりわけ新興国における国内新聞発行部数は拡大しているのです。
06年-08年比較によると、ブラジルは746万から899万へ、ロシアは116万から118万へ、インドは8886万から1億705万へ、中国は1億367万から1億751万へ、南アは163万から182万へ、発行部数が伸びています。
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米国新聞社は、今、「岐路」にたっています。
新たなビジネスモデルを探すのか?
はたまた
適正規模になるまで大規模なリストラクチャリングを断行するのか?
はたまた
グローバルな競争にうってでるのか?
はたまた
何もしないのか?
その選択次第で、大きく、会社の未来が異なります。
そして、私たちも考えるべきときにきています。
わたしたちの暮らしを支える政治・行政・地域の情報を
誰が、どのように収集するのか?
どのようなかたちで編集・発信していくのか?
岐路にたっているのは、「わたしたちも」、なのかもしれません。
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■2010年6月20日 中原のTwitterタイムライン
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