2009.10.22 09:26/ Jun
●経験の森をくぐりぬけ、対話を通して、内省する
●持論と棄論:持論は常にベータ版である
中原淳×金井壽宏 「リフレクティブマネジャー」光文社新書!
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先日、リクルートWorksの取材を受けました。テーマは「コミュニケーション」だそうです(仮題)。特集全体の内容はお楽しみに(僕も全体像は知らない)、という感じですが、わたしの方からは、いくつか話をしました。
思うに、企業の方とお話ししていて、「コミュニケーションを見直す」という話題になると、いつも出てくる、いくつかの典型的なものがあります。それが「タバコ部屋」「宴会」です。
要するにこういうことですね。
「かつては、どの企業にもタバコ部屋があって、そこでは緊密な情報交換がなされていたが、しかし、昨今の健康志向の高まりによって、それはなくなってしまった。タバコ部屋的な場所をもう一度復活させなければならない」
「かつては、職場ごとに派手に宴会がなされていて、そこでは本音を言い合っていた。しかし、バブル不況のときに、そういうものは無駄なものとされて失われた。もう一度、宴会を復活させなければならない」
コミュニケーションというと、本当に、「タバコ部屋」と「宴会」のイメージは頻発します。
逆にいうと、働く大人が「コミュニケーションの場」として想起するものは、極めて制限されており、この2つが多くの人々に広く共有されているということです。皆さん、他には、コミュニケーションの場はないのでしょうか。
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これら2つには、実は、大きな特徴が2つあります。
ひとつめは「もともとはあったものが、今は、なくなってしまったので、復活させよう」という論法です。
つまりは暗黙のうちに「昔」を「よきもの」としているのです。一言でいえば、メッセージは「昔に帰れ」ですね。
ふたつめは、コミュニケーションを見直す手段として、これらが語られるとき、「そこで、どのような情報がコミュニケートされていたのか」は問われないことです。
タバコ部屋で、やりとりされていたコミュニケーションは、どのようなことですか? 宴会が実現していたコミュニケーションとは、いったい、どのようなものですか?
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問いが脳裏に浮かびます。
わたしが、今、コミュニケーションを見直す、というとき、本当にやりとりされたり、共有されなければならない情報とは何でしょうか。
それはタバコ部屋でやりとりされていた情報ですか。それとも宴会で共有されていたものですか?
それらで達成されるコミュニケーションは、今職場で起きている問題を本当に解決してくれますか?
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何となく「コミュニケーションの場」として「タバコ部屋」や「宴会」をあげたくなる気持ちはわかります。
しかし、それらのイメージは、私たちを「思考停止」に導かないでしょうか。
また、一方で、働く大人のひとりとして、僕は、これらに、どうもリアリティやアクチュアリティを感じることができません。世代的な問題なのかもしれませんが、どうしても無理です。
厳しい言い方をすれば、それらは、僕の目には「もうひとつ行かなければならない場所が増えただけ」「もうひとつ仕事が増えた」だけのように思えてしまうのです。
タバコ部屋でもない、宴会でもない、第三のコミュニケーション、第三のメタファを模索することが、今、求められているように思います。
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