2008.6.23 09:08/ Jun
世の中の出来事や流れに関して敏感なアンテナをもつには、どうすればいいのでしょうか。
先日、ある学生さんから、こんな質問をいただいた。相変わらず、学生さんの質問というのは、容赦がない。恐ろしいほどダイレクトである。
うーむ。
この問いに答える資格が僕にあるのかどうかは知らぬ。また、この問いに学術的にコレクトな回答をひねりだすことは、時間の都合でできない。また、一見したところ、問い自体が多義的であるので、いくつもの答えがありうることが、容易に予想される。さらに、この問いに僕自身が答えてしまうのが、教育的にコレクトなのかどうかは判断できない。
しかし、くだんの学生さんは「うずうず」している。「何かやりたい、動きたい」と思ったときが、「やるとき」であり、「やらねばならぬとき」である。そこで、苦し紛れ(!?)にヒントを考えた。
—
上記の問いに対するヒント。最も簡単で、実践できそうな方法ということになると、僕は、自分の経験上、「ネットを使うのがいいんじゃない」と答えたくなる。
この方針を仮に認めるとして、先の質問に、僕なりの回答をするとするならば、下記のとおりである。
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1.「この人、いいアンテナしてるなー」と思う人のブログを、まずは行き当たりばったり、ぷらぷらとネットで探して、チェック。
2.1で探した「いいアンテナを持っている人」が、リンクをはったり、トラックバックをかけたりしているブログを探して、チェック
3.1から2を何度か繰り返し、「みんなが、その人のことを、いいアンテナもっている人だなーと思っていそうな人」を探して、しばらくのあいだチェック。
4.1から3を定期的に行い、日々覗くブログを見直す
—
要するに、一言でいうと、
「まず最初は、あなたのまわりに、アンテナの高い人を集めるといいんじゃないの」
ということである。
僕の経験からすれば、
「アンテナの高い人というのは、個人の資質や能力もさることながら、自分と同等以上のアンテナの高い人を、自分の周囲にもっている」
つまり、「アンテナの高さ」は個人の「属性・能力」もさることながら、その人の周囲の「社会的関係」に規定されているのではないか、と思う。
まずは、先の方法で「アンテナの高い人のフィルタを通した鮮度の高い情報」を確保するのがよいのではないか、と思う。
しかし、これで終わっては、「ネットの世界の物知り」「ネットの情報通」にはなれるが、「アンテナの高い人」にはなかなかなれない、と僕は思う。
僕の経験からすれば、
「アンテナの高い人というのは、いろいろな情報、いろいろな人々に接する中で、”自分の強み”を1点決めている。それと同時並行的か、その後で、アンテナを高くしたいと願う人々が集まる”場”をつくる。
そこに、情報を自らギブしつづけ、そこに集まる人の情報をもって、さらに自分のアンテナの高さを維持し、向上させようとしている」
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思うに、「自分」や「自分の強み」とは「どこかにある」ものではない。いろいろな情報、いろいろな他者に出会い、そういうものとの「対話」を通じて、「違い」を感じつつ、自らつくるものである、と僕は信じている。
「オレは、こんな風になりたいな」
「わたしは、こんな風には生きたくないな」
そうやって、”自分の強み”を、少しずつ作り出していく他はない。
自分の強みに合致した”場”はネットであっても、リアルであってもかまわない。最初は、大枠の方向性さえ間違っていなければ、自分の強みと具体的レベルで、完全に合致していなくてもかまわない。
本当のことをいうと、自分の強みは、”場”をつくり、運営していく中で、次第に見いだせるものなのかしれない。
もちろん、場の規模は、最初は、小さくても、大きくても別にたいした問題がない。
問題は、自分の決めた領域を探求したい、アンテナを高くしたいと願いつつ、フリーライドにならない人が、その中に何人含まれるか、ということである。
ポイントは「誰」が集まるか、ということである。「何人参加してくるか」ではない。自分が貢献しつつ、結果として、自分に他者が貢献してくれる”場”を、いかにもつか、ということである。そして、そのためには、自分自身の知識を常にアップデートし、自分が賢くなる必要がある。
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私見によれば、「アンテナの高さ」とは、「個人の属性や能力」もさることながら、その人と、その人につながる人々のあいだの関係によって達成される「集団的」で、かつ「分散的」な「知性」である。
思うに、
「あの人って、アンテナ高いねー」
という物言いは間違いではないが、どうも僕の認識とは異なっている。それは「アンテナの高さ」を「個人」に還元しすぎてしまっているような気がする。
「あの人って、アンテナ高そうな人が集まる場をもってるよね、あの人自身も、アンテナ高そうだけど」
が、どうも感覚に近い。
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ちなみに、1919年・・・まだインターネットの「イ」の時もないころ、このことを喝破していた一人の賢人がいた。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑には、下記の言葉が記されている、のだという。
Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.
(己よりも、賢明なる人物を、身辺に集むる方法を心得し者、ここに眠る」
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