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2008.4.23 08:16/ Jun

手間暇かかるのである・・・

 企業・組織において、「トップ」と「若手」のあいだに立って、コミュニケーションを円滑にしたり、相互の意図を伝えたり、時には「尻ぬぐい」したりしているのは、紛れもない「ミドル」とよばれる人々である。
 会社によって年齢構成が違うので一概にいえないが、だいたい30歳から40歳くらいまでの人々が、いわゆる「ミドル」とよばれる。この人々が、組織の活動にとって果たす役割は非常に大きいと言われている。
 時には翻弄され、時には勇敢に。「上から落ちてくる課題」「下から沸いてでてくる問題」を、何とかなんとか彼らは、マネージしている。だから彼らは忙しい。
 ちなみに、僕も今年で33。世間的には、いわゆるアーリーミドルと言われる世代に既に片足をつっこんでいる。しかし、大学は教員の平均年齢が非常に高いので、この話がそのまま適応できない。大学で33は「赤ん坊」である。
「君なんか、まだ生まれていないよ」
 と言われたこともある(笑)・・・が、大学の「外」の自分の同期を見ていると、「嗚呼、みんなミドルとして働いているんだなぁ」と思ってしまうことがある。
(ちなみに、ある委員会で、年配の先生が、”40代後半、もうすぐ50の先生たち”に発言をうながして、「○○君たち、若手の意見はどうかね?」と質問したのを見たことがある。驚愕した、つーか、新鮮だぜ、プルプル。この先生で「若手」なら、僕は「赤ちゃんレベル」だな、と心から思った。TAKUZO、パパと同じでよかったね!)
 Anyway….ともかく、多くの企業・組織において「ミドル」は重要である。しかし、にもかかわらず、彼らの「成長」「学習」は、うまく支援されているとはいいかがい。
 多忙さの中で疲弊し、成長や達成感を感じられず、目的を失ってしまう人もいる。日々の仕事に忙殺され、気がつけば、スカスカになってしまう人も少なくない。
 もちろん、新人研修や管理職研修を慣例化しているところは多い。しかし、その間にある「ミドル」への働きかけは、そもそも手薄である。
 
 ちなみに、ミドルには、大きな問題が横たわっている。
「ミドルの学習では、何を、どのように教えればいいのか、いまだ定式化されたモデルが、学術研究でもあまり提案されていない」
 ということである。
 新人研修や管理職研修では、「教えるべき内容」も「教え方」もある程度は定式化されている。しかし、ミドルには、それがない。その教育は「モデルなき模索」が宿命づけられている。
 —
 そんな中で、「ミドルの学習は、どのような機会で、何を学んでもらうのか」について、自社でリサーチをしっかりと行い、教育をゼロから組み立てようと頑張っている会社が最近増えている。「モデルを自分たちでつくる」ということである。
 民間教育会社にFAXをおくって、コンペして決めるのではなく、自社のマネジャーに対するきちんとしたリサーチをやる。その上で研修企画を行おうとしている何人もの担当者に最近お逢いした。
「しっかりとしたリサーチをやっておけば、どんな教育内容を残して、何を落とせばよいのか、自分たちで自信が持てます」
 この言葉には大変共感できた。
 —
 僕の信念のひとつに、
「教育の課題とは、いつも個別具体的だ」
 というものがある。
 現場が違えば、課題も違う。アタリマエのことではあるが、そのアタリマエをアタリマエと認識し、実践できている組織、ということになると、そう多くはない。
 そして、個別具体的な課題を前に、「内部関係者」と「外部介入者」が、真剣に教育のあり方を「対話」を通して見いだそうとする事例は、さらに少ない。
 内部関係者が思考を停止し、外部介入者に「丸投げ」したり、はたまた外部介入者がプランだけ描いて、内部関係者に「放り投げ」たりすることが、まま見られる。
 対話には時間がかかる。そして、対話をすれば何かよいものが必ず生まれてくるわけではない。それはそれで大変な作業なのである。
 結局ショートカットなどない。
 手間暇かかるのである。みんなで、うんうん考えなければならないのである。そこだけは覚悟しなくてはならない。
 でも、その果てには、「丸投げや放り投げによって生まれる世界」とはひと味違った、「希望のある世界」を皆で提案できる可能性がある。もちろん、これは根拠なき希望的観測。だけれども、僕は、そう信じたい。
 —
 大学院ゼミ。下記の超有名・転移論文を読んだ。
Bassok, M., and Holyoak, K. J. (1989). Interdomain transfer between isomorphic topics in algebra and physics. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 15, 153-166.
 一般に、わたしたちは(僕も含めて)、すぐに「現場で活かせない教育ならやらないほうがまし」とか「教育は現場で役にたってナンボ」とか簡単に口にする。
 まぁ、それはそうだろう。
「活かす」とか「役に立つ」とかを否定してしまったら、そもそも「教育」の営みの正当性が疑われる。
 でもね・・・転移研究の過去の先行研究は、その「現場で活かせる教育」とか「現場役に立つ教育」が、いかに成立が難しいかを、これでもか、というほど教えてくれる。
 あの手この手で介入を行っても、ちょっと気づけばいっぺんにわかっちゃうような同じ問題を与えても、なかなか「転移」がきかない。いや、転移することの方がむしろマレである。
 自戒をこめて言う。「現場で活かせる教育をめざします」とか簡単に口にしてはいけない。それを口にするときは、よほどの「覚悟」をもつべきであると、僕は思う。

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