2008.4.21 09:45/ Jun
上田紀行著「目覚めよ、仏教」(NHK出版)を読んだ。1990年代、「覚醒のネットワーク」で「癒し」の概念をいち早く世に問うた文化人類学者である上田先生が、ダライ=ラマ法王との対談の様子をつづったもの。
近年の上田先生といえば、日本仏教の再生運動の先陣を切り、「仏教ルネッサンス塾」や若手僧侶のためのディスカッションの場「ボーズ・ビー・アンビシャス」などを主宰なさっていることで、大変注目されている。
(上田先生の「覚醒のネットワーク」は、学生時代、僕が影響を受けた10冊の中のひとつである)
印象に残ったことは3つ。
ひとつめ。ダライ=ラマ法王が仏教の世界だけでなく、異分野の科学者などと、様々な「対話」の場をもつようにつとめていることがわかった。
対談の中では「その問題に関しては、リサーチが必要だ」といったような発言もなさっており、ちょっとした驚きだった。
思うに、本当に深い問いをもっている人は、どんなバックグラウンドをもっていようと「対話」が十分可能なのだ、改めて思った。宗教的指導者であろうと、科学者であろうと、つながることができる。
逆に、小人同士はバックグラウンドによって、対話が不可能になったりする。「~の常識」「~の作法」を押しつけようとして、お互いに智慧をださなければならない「大きな問い」を忘れる。自戒をこめて、小人にはなりたくない、と思った。
ふたつめ。上田先生がやや誇張を含みつつも批判している「日本仏教界」の中で流布している「言説=へりくつ」の中には、どこかで聞いたようなものも多かった。
自分たちの目の前にある問題から目をそらし、自分たちにしかわからない言葉で、自分たちだけが納得できる理屈をもって、自分たちを擁護する。そんなものに未来はない、目覚めよ!
みっつめ。これは本論とはズレる。上田先生がダライ=ラマ法王を評して、こんな趣旨のことを言っていたのが印象的だった(研究室に本をおいてきてしまったので、正確な引用ではない)。
「頭がいいとは、最初の質問に戻ってこられることだ。自分が質問をする。それに対して、歴史が語られ、哲学が語られ、もう最初の質問が忘れ去られたかな、と心配になるころ、最初の戻ってこられる」
—
追伸1.
ちなみに、上田先生は東京工業大学で「教育賞・最優秀賞」を受賞なさっている。授業は、ディスカッションやワークショップ形式を取り入れるなどの試みをなさっているそうだ。実に興味深い。もぐりたい。「あいつ、なんか年くってんなー」って、バレそうだけど。
文化人類学・東京工業大学
http://www.ocw.titech.ac.jp/index.php?module=General&Nendo=2008&action=T0300&GakubuCD=150&GakkaCD=150&KougiCD=0173&lang=JA&vid=03
—
追伸2.
著書「かけがえのない人間」の下記の記述も大変印象的である。大きな目標を見失い、小さなことで争う。これは政治活動や平和運動だけで起こりうることではない。もちろん、学生が主導する活動だから、起こったわけでもない。よくある話だと思いませんか?
大学に入ってから、わたし(上田氏:学生時代、平和運動をやっていた)はますます落ち込むことになりました。というのも政治活動をやっている人たち同士の仲があまりに悪いのです。人権活動、平和運動ですから、皆主張していることはほとんど似通っています。
(中略)
ところが、平和運動や人権運動をやっている人たち同士の仲が悪い。その主張は99.5%同じなのです。なのに、残りの0.5%の違いにこだわって、オマエの平和は、オレの平和とこんなに違う、オマエはオレの敵だ、とかいって、お互いに闘い合っているわけです。これにはメゲました。
それも、そうした活動をしているのは、大学生の仲でもごく少数なのです。(中略)その圧倒的マイノリティの学生たちが、その内部でほんの小さな違いにこだわっては戦いあっている。こんなことでは、いつまでたっても、平和はこない。むしろやればやるほど、敵を増やし、暴力を増やすだけなのではないか。絶望的な思いにかられてしまったのです。
(p163より引用)
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