2008.4.15 07:19/ Jun
企業・組織人材育成の世界では、去年あたりから「コンテンツからコンテクストの時代に入った」と、まことしやかに言われている。
いつでも、どこでも、どんな組織でも使うことができて、マスを対象に開発されたパッケージ教材を提供することから、「今、ここ、あなたの組織」を対象にした、対面型の学習機会の提供に注目が集まっている。
ここでいうコンテクストとは、「学習者 – 学習者」あるいは「学習者 – 教授者」間のインタラクション。特に、職場単位での参加、組織ごとに参加し、インタラクションを行うことが、その特徴である。
顔をいつもつきあわせている人々の間でも、理解・認識・知識の量や種類、そして利害には差がある。彼らとのインタラクションを通じた「学び」や「気づき」が目指すべきものである。
しかし、そこで目指されているものは、必ずしも、知識が増えたとか減ったとかいう話ではなく、物事を見る枠組み(メジロー風にいうなら、準拠枠)の変容であるかもしれない。あるいは、人々の「つながり」、関係性の変容でもある。
インタラクションを、いかにクオリティの高いものにするか、そこからどのようなリフレクションを起こし、何を学ばせるか。そして、究極的には人々のつながり方や、関係性といったものを、いかに回復するか。そのあたりが「大問題」である。
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しかし、この「大問題」を抱えつつも、我々は、それだけに関わっているわけにはいかない。
教育の世界は「振り子」である。それは、いつの時代も揺れている。右に揺れ、左に揺れる。
計画主義者は「揺れない状態」 – 別のことばでいうならば、理想の教育 – を夢見るかもしれない。しかし、揺れない教育はあり得ない。また、長くなるので説明は省くけれど、「揺れない教育」は危険でもある。
常に揺れつづける世界の中で、個別・具体的に現場をみつめながら、いかに、その現場にとっての「善」を求めるか。それが、教育にバックグラウンドをもつ人々の – 少なくとも僕のめざすべきところである。
今、「教育の振り子」は、コンテクストに振れている。
しかし、今は対極に存在しうるかのように見えている「コンテンツ」と「コンテクスト」をいかにつなぐか。これに対する思索は、既にはじまっている。
未来を見据える、ということは、そういうことである。
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