2008.4.1 09:38/ Jun
新年度を迎えるにあたり、多くの大学関係者から、「離任」のご挨拶をいただく。
お知らせ一件一件になるべく返信をしている。お世話になった方ばかりなので、そのときのお礼もかねてである。
メールを書いていて、心の底から思うことがある。文章にしてしまうとアタリマエダのクラッカー!?(死語)なのだが、「大学における知的営みは、様々なスタッフに支えられて成立している」ということである。
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教育学者のよく使うレトリックに、こんなのがある。
「大学の本質は教育だから、授業をよくすることで、大学はよくなり元気になる、だから教員の授業の質を高めなければならない、教員をエンパワーメントしなければならない」
これはある面では正しいし、そうした努力を怠ってはならぬ。僕はその社会的意義を否定しない。しかし、この見方は、大学の知的営みを「授業」に限定するがゆえに、ともすれば、重要な側面を見落としてしまいがちである。
思うに、大学の知的営為は、いわゆる狭義の「授業」だけで成立しているわけではない。「研究」があり、「社会貢献」があり、「産学連携」がある。多くの場合、すべてはつながっている。
そして、教員だけでこれらを達成できるわけではない。事務職員や様々な専門職員のサポートによって、それらは「つながること」ができるのである。そういう意味では、大学を支える人々の仕事は、「つながっている」。
ゆえに「大学をよくする」「大学を元気にする」ためには、教員以外のスタッフも、「元気」に働ける環境になければならないし、その仕事によって、教育以外の多くの事柄を達成しなければならない。
たとえば、僕は共同研究契約の都合で産学連携本部、法務担当にお世話になることが多い(僕は、外部の機関と何かを行う際には、すべて契約をする)。
彼らのサポートなしでは、研究をスタートすることもできない。研究ができないということは、授業に最新の研究成果を反映することができず、結果として授業の内容は、一昔前のものになってしまう。
研究をしていけば、様々な会計処理、購入手続き、書類作りに追われる。これらの仕事をすべて僕一人で達成できるわけではない。能力の問題もあるが、時間の問題もある。そうした事務手続きに精通した専門のスタッフがいる。これらの方々のサポートによって、授業を工夫する時間が生まれたり、シラバスを最後まで練り直すことができるのである。
「元気な大学」とは、教員を含め、様々なスタッフがお互いを支え合い、元気に働くことのできる組織である。アタリマエのコンコンチキ(!?・・・ちょっと変えてみた)であるが、残念なことに、このことが理論射程にはいっている教育学研究はそう多くない。
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さぁ、今日から「新年度」。
気持ちを新たにして、頑張ろう。
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