2018.7.9 06:10/ Jun
「知らな過ぎ」でいることは、知識社会においては、自分を「不利な立場」に追い込んでしまいます。
変化していく社会にサバイブするための、
知識がない。
スキルがない。
専門性がない。
これはまことにシンドイ。
敵と向き合い「闘おう」にも、自分には「武器」がない。
ロールプレイングゲーム(RPG)において、街を出れば、どんなに小さな「ザコキャラ」でも、「武器」なしでは勝てないのと同じように、知識社会においては「知ること」はサバイブするための「必須の武器」です。
武器をもって、街を出よ
ならぬ
書をもって、街を出よ
が、現代社会の特質を物語ります。
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しかしながら、「知り過ぎてしまうこと」も、また「知識社会」においては、自分を「不利な立場」に追い込んでしまうことも、ままあります。
それは、
「知り過ぎている」がゆえに「捨てられない」、だから「変われない」
からです。
変化していく社会においては、いったん「知ってしまったこと」が、「時代に遅れ」になるスピードは、相対的に高いものです。
自分の研究領域の話だけを考えても、これは本当にそう思いますね。5年前の議論など、30年前のことのように感じます。それほど、早い。
だとすれば、「知っている」ーすなわち、「ある特定の領域」に、知識やスキルや専門性を「確立」していること自体が、リスクになり得ます。
なぜなら、自分が得意としている「ある特定の領域」という「領域の存在」自体が「無化」してしまうことが、少なくないからです。
しかしながら、人には「外」が見えません。
人は「すでに無化してしまった、自分が得意な領域」にしがみつくものです。
なぜなら、それは「知りすぎている」からです。「知りすぎている」がゆえに「捨てられない」のです。
かくして、時間がたつと
「知りすぎているひと」はいつのまにか「知らな過ぎのひと」に変わっていきます。
そして、まことに痛々しいのは「自分だけがそれを知らない」という状態になるのです。
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このように考えると、現代の知識社会をサバイブするとは「知らな過ぎ(知識が不足していること)」と「知り過ぎていること」の微妙なバランスの上に成り立っていることがわかります。
今、仮に「知らな過ぎ」と「知り過ぎ」を両極端の「数直線」と考えます。これを今、「知ることの数直線」とよびましょう。
「知ることの数直線」には、真ん中の「0」の箇所に「ちょうどよい案配で知っている」という「1点」が生まれます。
「知ることの数直線」には、知識の過不足のない箇所は「0」の場所、「1点」しかありません。そう「ちょうどよい案配で知っている」とは、ほんの「1点」なのです。
そして、それ以外は、私たちは「知識が不足している」か、ないしは「知りすぎている」状況にある。
知識が不足しているがゆえに、今現在、サバイブすることにシンドサをもっているのか
ないしは
知りすぎているがゆえに、将来、サバイブすることにシンドサををもっているのか
そのどちらかです。
あなたは「知らな過ぎ」ですか?それとも「知り過ぎて」いますか?
▼
結局、わたしたちには、何が必要なのでしょうか?
まず大事なことは、自分自身が「知ることの数直線」において、どこに「定位」しているのか。どのポジションに位置付いているのかを知ることです。いったん自分を「メタ(上位)」の立場におき、自分を客観的に見つめる力が必要です。これを「リフレクション」といいます。
あるいは、自分自身でそれを行うのが難しければ、「耳の痛いことをしっかりと告げてくれる他者」から、自分に自分の状態を「鏡」のようにかえしてもらうことです。これを「フィードバック」といいます。
そのうえで「知らない」ときには「学ぶこと」。
「知りすぎている」ときには「捨てること」と、捨てたもののかわりに「学ぶこと」です。
いわゆる「Learning」と「Unlearning」の往還こそが、究極の答えなのかも知れません。
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歴史の本などを読んでいると、どの時代を生きていくのも大変だったとは思います。圧政に苦しむ時代、飢饉に苦しむ時代・・・いろんな時代がありました。現在に「圧政」や「飢饉」が「ない」とは言い切れないものの、現代社会にはまた特有の課題があります。
それは、
自分自身が「知らな過ぎ」であるか「知り過ぎている」の、どちらかの状態にある
ということです。
わたしたちは
「知らな過ぎ」でいるか「知り過ぎ」ている社会を、サバイブをしなければなりません。
そして、こういう社会をサバイブするということも、なかなかタフなことであるなぁと思います。
あなたは「知らな過ぎ」ですか?それとも「知り過ぎて」いますか?
そして人生はつづく
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