2016.9.14 06:35/ Jun
中原研究室では、今、多くの人々が執筆のピークを迎えています。
学術論文を書く学生、修士論文を書く大学院生、博士論文にチャレンジする皆さん。多くの人々が「書くこと」と闘っています。まことにお疲れ様です。
研究者の世界は
「Publish or Perish」
です。
そのまま訳せば、
書くか、さもなくば、去るか。
書くことは「自分の未来を賭けた戦い」でもあります。
だから「本気」が必要です。
▼
しかし、書くことには、いくつかの注意も必要です。
もっとも深刻な症状は、
「完璧にプランがたたないと、書きはじめはいけない」
と思い込むことです。
しかし、大学院生の経験のレベルで「完璧なプラン」などできるわけがありません。
もし仮に作り得た、としても、それが「完璧である保証」などまったくございません。
完璧主義は、結果として、「いつまでたっても、書き始めない」という症状につながります。
▼
書くためにはどうすればいいか。
大切なことは、まったく逆なのです。
書くためには、とにもかくにも「書き始め」なくてはなりません。
殴り書きでも、過去に自分が書いたものの「コピペ」でもいい。
かっこわるくても、ゴツゴツしていても、ちぐはぐてもいい。
とにかく「書き始めること」です。
対して、多くの人々は「じっくり考えたあとで、書きはじめるべきだ」という思い込みをもっています。
「構成」を完璧にしてから、書きはじめるべきだと思っています。
それでうまくいくのならよいのですが、わたしの経験では、それで、つまづく人の方が多い気がします。
書くためには、とにもかくにも「書きはじめる」のです。
そうすれば、書いた文章に「違和感」を感じます。
そのときこそチャンスです。
違和感を感じたときこそ、じっくり考えます。
書いては違うな、と思い、違うなとは思い書くのです。
書は、前もってたてたプランを着実に完璧に実行していくことではありません。
書いては違う、違うから書くを繰り返す。
書くことの本質は、そうした「ジグザグの旅」なのです。
大丈夫、終わらない旅はない。
「ジグザグの旅」とて、いつか終わるときがきます。
書くことにも、いつか終わりが見えます。
また、書けば、多くの人々と共有できます。
いろいろな助言を受けることもできます。
頭の中にある、あなただけのアイデアには、
誰も助言することができません。
頭のなかにある、あなただけのアイデアを
誰一人校正することもできないのです。
他の人からのサポートを得たいなら、かっこわるくても、ゴツゴツしていても、書くことです。話はそこからです。
書くためには、まずは、書きはじめることなのです。
よき執筆の旅を
そして人生はつづく
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