2006.8.1 06:00/ Jun
何でもかんでも、「~力(りょく)」をつければいいというわけではないように思います。
安易な「能力」の創造(捏造)によって、見失うものがあることを、知るべきではないでしょうか。「~力」の創造によって、本来ならば問われなければならない能力の中身が、問われなくなる。つまりは思考停止してしまうのです。
たとえば、教師としての能力をさす「教師力」。
今こそ、教師力の育成を!
一見矛盾なくこの文章ですが、「育成しなければならない能力」の中身は、全くわかりません。なんとなく、「教師力」と言い切ってしまうことで、安心してしまうのです。
いったい、「どのような課題を与えることで、どのような知識や技能を獲得させなければならないのか」、そういう非常に重要なことが、全くがわからなくなってしまう。もちろん、教師力などという能力があるのかないのか、という議論が必要なことは言うまでもありません。
最近、ビジネスの文脈で流行している「人間力」にも同じきらいがあります。
これまで何人もの人々から、この言葉が発せられたのを聴いたでしょう。
そのたびごとに、「あなたの考える、人間力とはどういう能力なのですか?」とお尋ねしてきました。しかし、「人間力を育成しなければならない」とは言うわりに、このシンプルな問いにすら、正面から答えてくれた人は一人もいません。
「人間力とはどういう能力なのですか?」という形而上学的な問いをなげかけたわけではありません。「人間力の本質は何ですか?」とかいう問いでもありません。あくまで「あなたの考える」という接頭語をつけます。それでも、この問いにはなかなかお答えいただけません。
しかし、奇妙なことに、「うちの会社では、人間力育成のワークショップを新入社員全員に受講させています」なんておっしゃいます。「ワークショップでは何をやっているんですか?」と聴くと、「まぁ、いろいろなのですが、腹筋とかもあります」という。
人間力は腹筋で鍛えられるものなのでしょうか???
僕にはわかりません。
○○力・・・ポストモダン的な能力観とでもいうんでしょうか。
そんな言葉を聞いたら、注意が必要です。
概して、○○力に中身があることは少ないものです。
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