2016.3.23 06:34/ Jun
信田さよこ著「カウンセラーは何を見ているか?」という書籍を読みました。
この書籍は、経験あるカウンセラーである信田さよ子さんが、ご自身のカウンセリングを振り返りつつ、
「カウンセラーである自分自身が、カウンセリングルームのなかで何を考え、どのように対応しているか?」
を記述した本です。僕はカウンセリングがズブの素人なので、本書の専門的な位置づけや、本書の一般化がどの程度可能かは知りません。
ですが、そこに書かれていた内容は、挑戦的な記述も多く、面白く読めました。
信田さんはおっしゃいます。
「私たちは職人みたいなものです。決して表舞台に出てはいけません」。
援助職の世界は、なぜかこんな優等生的発言に満ちている。/
落としどころに「クライアントとの協働」「解決主体としてのクライアント」といった言葉をきめれば、どこにいっても通用するし、研究論文の一本も駆けてしまうほどだ
(本書より引用)
援助職の世界は「優等生的発言」に満ちているという指摘は小気味よいものです。
その上で、本書では、カウンセラーの実践知がいくつか紹介されます。
・カウンセリングの部屋は、わたしにとって一種の「舞台」である
・カウンセラーが目の前で困っている態度を示すことは、
クライアントにとって必ずしも不快なことではない
・クライアントの感情表出に対して、それが激しければ激しいほど
「とにかく高台にのぼれ」
・(クライアントの)感情に焦点をあてるのではなく、
クライアントがかかえる「問題」としてとらえる
・クライアントの話を、住所にまつわる後景とともに繰り広げられる
映画として際限できるくらいにじっくり聞かなければカウンセリング
を始めることができないと思う
(本書より引用・短縮)
僕にとってもっとも興味深かったのは、信田さんがカウンセリングとは何かを喩えていらっしゃる下記の記述です。
曰く、
自分で選んだ満足感のもとに生け簀の中を泳いでもらう。そして生け簀ごと、望ましい方向に移動させること。これがカウンセリングにおける独特の強制であり、介入なのである
(本書より引用)
要するにカウンセリングとは「強制」と「自己選択」を両立させることだと解釈できます。そして、もはやここには「援助職」に独特の「優等生的発言」はありません。
このことは、多かれ少なかれ、少なくない人が、薄々気づいてはいることなのかもしれませんが、カウンセリングを長くやってこられ方に、このように言い切って頂けると、小気味よく感じました。
「強制」と「自己選択」の両立という問題は、カウンセラーのみならず、人にまつわる多くの職業、ポジションに横たわる問題であるように思います・・・実は。
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今日は門外漢ながら「カウンセラーは何を見ているか?」という書籍の書評をさせていただきました。医学書院さんの「ケアをひらく」シリーズは、僕が好んでいるシリーズですが、こちらも面白い本でした。
そして人生はつづく
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