2016.2.3 07:09/ Jun
子どもを2人授かり、あれやこれやとやっている間に、1年が過ぎ、2年が過ぎようとしています。近くに両親がいない田舎出身者の共働き育児は、まさに「ブレーキのないジェットコースター」にのって爆走いるような思いです。何とかかんとか、綱渡りでここまでやってきました。
おかげさまで、下の男の子KENZOは現在2歳。まさに「イヤイヤ期」に突入しています。
うちだけかもしれませんが、この時期の子どもが「ややこしい」のは、「イヤイヤ期」であるのと同時に、「超絶ママっ子」であることです。そして、その「超絶ママっ子っぷり」は、時に「被差別意識」を父親に感じさせるほどのものです。
たとえば、保育園などで僕が送るときには、保育園の入口に入った途端、2歳児はさっさと教室に向かい、こちらを振りむくことすらしません。それがママの場合には、玄関で、別れたくないと「ぎゃん泣き」です。
おうちで僕とふたりでお留守番をしているときなどは、ママがいないときには、近寄ってきて、僕とじゃれているときもあります。しかし蜜月は長くはつづきません。ママが帰宅したとたん、手のひらをかえし、態度を豹変させます。
今のいままで、
「パパー、遊んで、あそんでー」
と言っていたのが、ママが帰宅するやいなや、
「アンタ、まだ、いたんだ!」
に変わります。その顔つきからは、
「ちっちっち、気づいてないようだから、これからフィードバックするね。あのさー、時代が変わったんだよ。いつまでも、アンタが、僕のお相手をさせてもらえると思ったら、大間違いなんだよ。ほれっ、しっしっ。」
というメッセージがくみ取れます。「カーニヴァル的倒錯状況」とは、まさに、このような状況をいうのでしょう。
大人げないとは思いますが「プチ殺意」がわく瞬間です。
要するに、子どもはほおっておけば、必ずママに向かいます。世話はかくしてママがどうしても多くなります。そして「イヤイヤ」もすべてママに向かいやすいのです。
かくして、ママは、いつも2歳児の「イヤイヤ」につきあわされることになります。ママのストレスは「構造」として生まれているのです。
こんなような状況ですから、僕が、2歳児の面倒を見ることは、なかなか難しいのですけれども、最近になって、「子どもを可愛がること」「子どもと遊ぶこと」だけが、育児じゃないのかなと思うようになってきました。ま、僕は気づくのが遅いのかもしれませんが(笑)、ごめん。
ママにイヤイヤが向きやすいことを素直に認め、彼女から子どもを「引き離すこと」も、育児なのかなと思っています。
「子どもを連れて外に出る」とか「週に1日はいつ帰ってきてもOKな日=夜ご飯・お風呂・寝かしつけまでを僕がすべて担当する日」をつくってあげるとか、そういうことも大切なのかなと思っています。これを僕は「引き離す育児」とひそかに読んでいるのですが、どうでしょうか。
子どもと常に相対していることは「ストレス」を感じることもあります。たいていの人は、そうしたストレスが積もり積もって、もう噴火しますけんのー的状況にならなければ、子どもと正対して向き合うことができると感じます。必要なのは、ほんの少しのストレスリリースなのかもしれません。一時的かもしれませんし、対処療法かもしれませんが、ストレスを一時的にリリースするのが「引き離す育児」の眼目です。
ま、いずれにしても、僕は2歳児の中で「身分が低い」ので、やれることには限りがあるのですが、そんなことを考えながら、日々奔走している状況です。
そして人生はつづく
人非人的扱いは、いつまでつづく?
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