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2014.11.27 06:21/ Jun

「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になる!?:「コンテンツ盛り込みまくりのごった煮」から生まれる「So What?」の問い

 仕事柄、たくさんの「リーダーシップ開発プログラム」を目にします。多くの場合、プログラムの名称は非常に多様です。「次世代リーダー研修」と名前がついていたり「幹部養成プログラム」と名称がついていたりいたします。
 年間で百本を超えるかと思われる「リーダーシップ開発プログラム」のカリキュラムを見ていて、いつも思うことがあります。それは、「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になりがちだということです。今日の話は、あくまで僕の目からみて、ということなので、それでいい、というのであれば、問題はないのかもしれません。以下は、僕の独断と偏見で書かせてもらいます。
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「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になる
 僕は先ほどそう申し上げました。
 ここで「ダシ」と申しますのは「自組織の次世代のリーダーに届けたいコンセプト・メッセージ」。「寄せ鍋」と比喩されているものは「リーダーに聞いてもらったり、感じてもらったらよいだろうな、と思われるような各種のコンテンツ」です。
 ワンセンテンスで申しますと、
 駄目なリーダーシップ開発プログラムは、「ダシ抜き寄せ鍋」=「コンテンツ盛り込みまくりのごった煮」?になるということですね。
 具体的に、こういうことです。
 まず欠如しているのは「ダシ」ですので、「自組織の次世代のリーダーに届けたいコンセプト・メッセージ」ということになります。
 本来のリーダーシップ開発の手順とは、コンセプトメイキングからはじまります。具体的に申しますと、
 自組織におけるリーダーとは何か? 
 自組織における望ましいリーダーシップとはなにか?
 自組織のリーダーにもって欲しい経験やスキルとは何か?
 などを徹底的に議論し、煮詰めたうえで、精選されたコンセプトをつくり、それに基づいて、内容を決めていきます。
 しかし、これに「熟考」が足りていない場合、多くのリーダーシップ開発プログラムは、それにかかわる人が「ぼんやりと頭の中で描いている幻のリーダー像」を念頭に進行していきます。つまり「もやもや」としたリーダー像、もやもやとした「リーダーシップ現象」、もやもやとした「経験やスキルセット」のもとに、プログラムに含まれるコンテンツを決めていく状況が生まれるのです。
 そして、このリーダーシップイリュージョン状況を「発病」いたしますと、つぎに起こってくるのは「あれも、これも、盛り込み症候群」です。
 例えば、A先生の講話はリーダーに聞かせたいよね。いれよう!
 B社長にはぜひリーダーに活をいれてもらいたいよね。いれよう!
 最近業界で有名なCさんの話は、リーダーも喜ぶよね、いれよう!
 最近、Dというアクティヴィティが流行っているらしいよ。いれよう!
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 なぜこうなるか、というと「ダシ」というか「コンテンツを盛り込むべきか、いなかという判断基準がない」からです。「いれよう!」という話になったときに、それを建設的に批判するロジックがない。「いれないでおこう」となったときにも、判断の妥当性を確認する基準がない。よって、誰かが「入れよう」という話をしますと、そうなってしまうのです。
 かくして、こういう状況が、リーダーシップ開発プログラムの「枠」をすべて埋めるまで続いていきます。これが「コンテンツ盛り込みまくりの水煮的寄せ鍋」ですね(笑)
 そして、ここには2つのものが欠如しやすいものです。ひとつは「AとBとCとD同志の関係」です。しかし、最も深刻なことは「AとBとCとDを通して、結局言いたかった、感じてもらいたかった、経験してもらいたかった次世代リーダーへのメッセージ」なのです。
 これらがない場合、どんなデメリットが生じるか。前者は「プログラムの構成要素間の関係」が「ない」ので、受講者は「なぜ、今、このクソ忙しい中、これやってるんだっけ状況」に置かれます。
 後者の欠如は「それぞれの講義や活動は面白いんだけど、で、なんだっけ(So What?)状態」を引き起こす可能性が高くなります。
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 研修転移研究の最近の知見(メタ分析)によりますと、リーダーシップ開発プログラムは効果が中程度あるものの、その効果には分散が大きいことが指摘されています。要するに、「目をみはるような素晴らしいリーダーシップ開発プログラム」がある一方で、「ペンペン草もはえないようなリーダーシップ開発プログラム」も存在する、ということですね。
 リーダーシップ開発プログラムは、多くの場合、非常にコストがかかるものです。立ち上げるための費用もそうですが、自組織で第一線級の人の時間をいただくわけですが、その時間的コストは非常に大きくなりがちです。リーダーにそのような期待とコストをかけるのだから、やはり、最も根幹になるコンセプトやメッセージの議論は、リーダーシップ開発プログラムをつくる側も、「腹をくくって」やったほうがいい、と僕は思います。
 要するに、リーダーシップ開発プログラムは「手間暇」かかるのです。
 もちろん、今日のお話は、ある程度、研修全般に関しても言えることだと思うのですけれども。
 そして人生は続く

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