2014.7.23 07:40/ Jun
先だって、大学時代の同期の高尾君(学芸大学・准教授)が、某授業にご出講いただいた際、象深い話をしてくださいました(ご出講・感謝です!)。それはね、テレビ番組「笑点」の「大喜利」のお話。これを高尾君は、演出の観点から分析して下さいました。
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よく知られているように、「笑点」は、日曜日の夕方(次の日・月曜日の出勤や通学を意識しはじめ、ちょっとブルーな時間?)にやっている寄席風バラエティですね。
「笑点」には、初代司会者・立川談志によって創始された「大喜利(おおぎり)」というものがあります。そして、高尾さんによると、この「大喜利」というものが、演出の観点?からすると、まことに「よくできているシステム(well-desiged system)」であるとのこと。
どういう点で優れているか、というと、「大喜利」では「誰も失敗しない」ように設計されているからです。よーく冷静になって考えてみて下さい。
「大喜利」では、落語家が面白いことをいったら、お客さんは当然笑えます。ぎゃはは。しかし落語家がすべってしまったとしても、「山田君、座布団もってきなさい!」「ひぇー」ということで、また笑いをとれる仕組みになっています。ひゃはは。
要するに、「大喜利」では、ウケたとしても、ウケなかったとしても、「笑いがとれるシステム」になっている。このような環境下において、落語家は安心して、リスクをとりつつも、ネタを披露することができるのだそうです。安心できるからウケをとれる。思いついたことを言える。たとえ、それがウケようがウケまいが、お客さんは面白がるようにできている。
考えてみれば、お題を投げかけられて、すぐに「面白いこと」をいうというのは大変なわけです。それは「萎縮」していてはできない。「大喜利」では沈黙は許されません。誰かが、必ず手をあげて、しょーもないことであっても言わなくてはならない。そして、そういう「リスク」をとることを前提にしたシステムには、それをしたことで損をしない仕掛けが必要だと言うことですね。
しかし、一方、観客の観点からすると、「大喜利」はそのようなシステムには見えません。あくまで落語家が挑戦し、ウケをねらって、それに対してのみ笑っていると考えてしまいます。よもや、「大喜利」が「誰も失敗しないシステム」であることは、考えませんよね、、、一般人は。
このズレを知らず知らずのうちに創り出すってのは、スゴイことですね。こういうプラットフォームを創れる人を「天才」というのかな、と思いました。
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世の中には誠に面白いものが充ち満ちている。
「大喜利」といういつも見慣れているはずのシーンからも、いろいろなことを考えられますね。生きているって素晴らしい!
そして人生は続く。
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