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2014.6.27 06:26/ Jun

もし「自分の研究」が、ある日、突然「なくなってしまった」としたら!? : 誰にどんな価値を届けるのか?というデリバラブル発想のこと

 先だって、神戸大学の金井壽宏先生に、某授業にお越し頂き、セッションをご一緒させていただく機会を得ました。ご出講いただいた内容は「提供価値・支援という観点から人材開発の仕事をとらえなおす」という内容で、僕自身も、大変勉強になりました。お忙しいところ、お時間をいただき、金井先生には心より感謝いたします。ありがとうございました。
 ▼
 さて「提供価値」といいますと、人事・人材開発の世界には、Doalble(ドゥアブル)、Deliverable(デリバラブル)という言葉があります(よく聞く言葉なのでオリジナルがわからないのですが、金井壽宏先生の近著「過剰管理の処方箋」にも引用されている言葉です)。
 ワンワードで述べてしまえば、
 Doable(ドゥアブル)とは「今、あなたがやっていること」(行動項目)
 一方、
 Deliverable(デリバラブル)とは「あなたがやっていることで、誰かに何らかの価値提供を行えたか」ということ」(提供価値)
 ということになります。
 これら「2つの視座」は、似ているようで全く異なります。
「Doable(ドゥアブル)視点」では「今やっていること」をひたすらリスト化すればいいのに対して、「Deliverable(デリバラブル)視点」では、それが「誰の何の役にたっているか、どんなお届け物をしているか」を考えなくてはなりません。
 金井先生は、授業で、大学教員を例にして、このことの違いを説明なさっていました。
 曰く、大学教員は「Doable(ドゥアブル)視点」では、まことに数多い行動項目をあげる職種のひとつであるということです。
 「授業をやっています」
 「論文書いてます」
 「書類書いてます」
 「調査やっています」
 「委員会にでています」
 「審議会にでています」
   ・
   ・
   ・
 これらが「ドゥアブル視点」、すなわち「行動項目」です。
 しかし、一方、デリバラブル視点にたつと・・・「おれは、すごいデリバラブル人材だもんねー」と自信を持てる人も数多くいるでしょうけれど、口籠もってしまう人も少なくないことが予想されます。
 いろいろやっている、それぞれの雑事が、いったい、「誰の何の役にたっているのか」、それらが「誰に付加価値をお届けしているのか」ということになると、まことに心許ないものがあるのは、僕だけ?でしょうか。
 たしかに論文は書いた・・・でも、誰が、これ読むんだろう?
 たしかに書類は書いた・・・でも、これで誰が喜ぶんだろう?
 たしかに委員会には出た・・・しかし、これで何が変わるんだろう?
   ・
   ・
   ・
  あべし(泣)
  ▼
 このように、ドゥアブルとデリバラブルという言葉は、自分の仕事のあり方に、時に「深い内省」をもたらしてくれる概念のひとつです。
「四六時中、デリバラブル視点にたっている」と、ちょっとブルーになってしまうところもあるのですが、時には、折りに触れて、人は「デリバラブル視点」で、自分の仕事や周囲を見直すことも、大切なことかもしれません。
 なぜなら、人は、日常の雑事にまみれているあいだに、ほおっておけば、おのずから「ドゥアブル視点」に陥っていくからです。
 わたしは、こんなにやっている
 わたしは、こんなに働いている
 わたしは、こんなに動いている
 日常の雑事にまみれている間に、ついつい、こうした行動項目をあげつらい、披露したくなるものです。「わたしはこんなにやっている」。「こんなにやっているのに」「こんなに働いているのに」
 しかし、そこで見落とされるのは、
 それで誰に付加価値をお届けしているのか?
 であり
 それで何が変わるのか?
 ということです。そして、そのために、どのような工夫をしてきたか?ということです。
 人生はまことに短い。
 その一瞬一瞬で、誰に何をもたらしてきたのか、がデリバラブル発想です。
  ▼
 そういえば、かつて、ある著名で尊敬できる方に、こんなことを言われたことがあります。
 中原君のやっている研究が、ある日、突然「なくなった」として、
 誰か「困る人」いますか? 「残念がる人」いますか?
 世の中、それで、変わりますか?
 今となっては、これらが「デリバラブル視点」の問いであったのかと思います。
「仮定法」を用いた「悪魔的な問い」を若い研究者にこれでもかと投げつけ、叱咤激励してくださったことは、心より感謝です。が、僕はこれらの問いにひとつも答えることができませんでした。
 研究分野には様々な領域があり、すべての研究分野でデリバラブルな問いが意味があるとは思えませんが(今、誰かに届かなくても、いつか届く日があるということもありえるでしょう。また基礎的な研究とか、理論研究とか、そもそもこれがあてはまらない分野は多いと思います!あしからず!)、僕のように、「ヒトにまつわる研究分野」で、かつ、「現場ー実践ー研究を往還するような研究者」にとっては、かなり痛い問いではないでしょうか。
 しかし、もう少しで小生も40歳、「人生の正午」を迎える頃になっても、先達からいただいた、これらの「問い」に対して「困る人はいます!」「残念がる人はいます!」と答えることが「全くできない」ところが「痛い」のですが、研究者人生を終える頃には、1ミクロン(ミクロンかい!)くらいの自信で、「は、は、は、、はい、、、なんつって・・・調子にのってすみません!」と答えることができるようになりたいな、と感じます。嗚呼。
 そして人生は続く

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