2013.11.22 07:00/ Jun
現在執筆している書籍「研修開発入門」(2014年春 ダイヤモンド社より拙著刊)の一節に「人材開発・小史」という「小さな節」があります。1.2節でしたか、確か。
この「小さな節」では、戦後から、我が国の「人材開発の歴史」をざっくり紹介しています。人材開発を専門になさっている方でも、人材開発の「手法」や「理論」については把握していても、その「歴史」というのは、なかなか「意識」することはないのではないでしょうか。
この本では、少し回り道になるかもしれませんが、人材開発の最も基礎的なところから、話を進めようと思っています。ふだんは、あまり意識しない「歴史」という最も基礎的なところから、人材開発の話をしています。
ま、とはいえ・・・人材開発「小」史です・・・歴史といっても、「長い歴史」があるわけではありません。さかのぼっても「戦後」です。僕は歴史の専門家じゃないんで、ざっくりと語ります、すみません。
あと、企業といっても、企業規模から業態まで、いろんな企業がありますので、そのすべてを網羅できているわけではありません。そもそも人材開発の歴史といっても、政策など、明確に開始年度が規定できるものがないので、その流れは、ザクっとしたものになります。つまり、年代には「幅」があるということです。
どちらかというと、以下の歴史は、人材開発に積極的な企業の歴史、ないしは、人材開発の言説のトレンドを、ざっくりとたどった歴史とお考え下さい。
しかしながら、改めて振り返ってみますと、本当に、人材開発の歴史は「揺れ続ける振り子」のようなものだったことがわかります。つまり、それは「教室(研修)か現場(OJT)」ないしは「知識か経験か」「インフォーマルか、フォーマルか」の二極をぶらーん、ぶらーん、とあてもなく揺れ続けているのです。いわば「懲りない二極思考」です。それは、あたかも「揺れ続ける振り子」のように、当時の関係者を、現場を、いつも「翻弄」してきたのかもしれません。
今日のブログでは、それを少し振り返ってみましょう。
人材開発をご専門になさる皆さんは、どこまで、自分の仕事の歴史をご存じですか?
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さて、早速、タイムマシンにのりましょう。
行き着く先は、今から70年前、1940年代になります。
(ごめん、へたくそで・・・)
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1940年代の人材育成の主なキーワードは、「米国」「軍隊」「研修」「官製輸入」です。
戦後、敗戦からの復興と民主化を成し遂げるという目的の下、米国の軍隊で用いられていた管理者プログラムや、リーダー養成プログラムが、省庁などの力によって官製輸入され、日本の様々な企業・組織で用いられることになりました。これらの研修を提供する業界団体がつくられ、米国から研修プログラムが輸入されました。
1940年代の振り子は「研修・教室・知識」に触れています。
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1950年、朝鮮戦争が起こります。日本は、戦争の莫大な軍需品生産を背景にして、徐々に経済復興をなしとげます。官製輸入された研修が全盛を極める時代です。振り子は、「研修・教室・知識」に最大の振れ幅を記録しました。
体系化・定型化された研修が日本企業に広がりました。業界内でも同じ研修を導入するというのは、競争優位につながらない、という意味で、少し変な気もするのですが、当時、意識されていたのは「国内」ではないのかもしれません。
戦後、日本企業がまさに「一丸」となって、なりふりかまわず、生産力をあげ、戦後から脱しようとしていた時期なのかもしれません。
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そして1950年代–60年代、日本の高度経済成長の足音がきこえはじめるようになると、日本の産業は、急速に工業化をとげ、製造業・重工業が発展します。
この高度経済成長期に本格的に発展したのが、日本のお家芸ともよばれた経験重視型の「OJT(On the job training)」です。
地方では、村落共同体がそのまま、工場の労働力として引き継がれされ、その強固なネットワークを基盤にしたマネジメントが徹底されました。
この時代には、振り子が大きく「現場・経験」の方向に揺れ始めました。前時代の研修を、半ば相対化するようにして肥大化するOJT。長期雇用を背景にして、先達の技術を後輩が仕事経験を踏みながら憶えていく「OJT」が、主に、製造業・重工業を対象として、制度としても確立していったのです。
しかし、日本のOJTは「単純な作業手順のコピー」ではありませんでした。「単一の仕事」を単純に覚えるだけでなく、長期雇用を前提として、多種多様な仕事に中長期間従事させ、様々な突発的出来事に対応できる幅の広い専門性を獲得させることが、その特徴でした。この「幅広い専門性」を有する優秀な従業員が、日本の高度経済成長を支えることになります。
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やがて日本は1960年ー70年代に突入します。高度経済成長を謳歌しつつ、次第に安定成長を迎えます。これが、OJTから研修に対して「振り子」が揺れた瞬間でした。
この時期には、米国での心理学研究などを取り入れた「感受性訓練」(センシティビティ・トレーニング)などが、「組織開発」というラヴェルのもとで普及していきました 。
今となっては「科学」と「実践」が不即不離な関係にあることは自明ですが、研修の中に行動科学や社会科学の知見を活かすといった考え方は、前時代に、それほど濃厚であったわけではありません。「行動科学に基づく」ということが喧伝されたのは、この時代の研修でした。
ただし、いわゆる「組織開発」は、市場の急速な拡大に講師育成が追いつかなかったことなどなどから、その後、急速に廃れていきました。学術専門誌・組織科学で、組織開発の特集が組まれたのは、1973年のことでしたが、その後は、動きが止まりました。
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1973年に、日本はオイルショックを経験します。様々な公害が社会問題となったのもこの頃です。社会不安を背景に、管理職や管理職予備軍などによる勉強会、異業種交流会が流行しました。
振り子は、「研修・教室・知識」ではなく、「組織外・交流」に例外的にふれはじめます。不況の時には、人は「組織外」に目が向くものです。
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時代は1980年代に入ります。
この頃になりますと、製造業の海外進出(工場の海外流出)がはじまり、「国際人」「国際化」とよばれる概念が人材教育の世界に流入してきます。やはり振り子は「研修・教室・知識」にあります。
この時期には、多種多様な「異文化適応プログラム」や「異文化教育」、「言語学習」などが製造業を中心にブームになりました。2010年代初頭、急速なグローバリゼーションの進展によって、いわゆる「グローバル人材育成ブーム」がおきていますが、1980年代ー1990年代には、製造業を中心に、すでに第一次グローバル人材育成ブームとよばれるものがおこっています。
また、この頃は、いわゆるMBA(Master of Business Administration:経営学修士)が注目され、バブル経済の好景気を背景に、数々の企業派遣生たちが、海外の大学大学院で学ぶようになっていきました。
ちょうど、この頃、民間の教育ベンダーの中にも、MBA教育を標榜するブームが起きています。ちなみに、MBA教育の隆盛の陰に、いわゆる伝統的で封建的なOJTは「時代遅れなもの」として位置づけられる傾向があり、教室を中心とした研修、知識重視型の人材育成が主流となっていました。振り子は「教室・研修・知識」にふれはじめます。
ただし、海外は少し様相が異なります。海外進出を果たした製造業は、現地の工場で、現地人をOJTで育て始めます。「現地人」を技術指導し、ひいては、自社の現地マネジャーに育てていく。工場とともに、日本式の人材育成、OJTも海外に輸出されました。
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1990年は、人材開発の「冬の時代」のはじまりです。1989年バブル経済が破綻し、企業は、それまで伝家の宝刀としてきた、「終身雇用」「年功序列賃金」等の、いわゆる「日本型雇用施策」を、一部、転換せざるを得なくなりました。
この時期、中間管理職の削減を行い、意志決定の迅速化をはかる「組織のフラット化」やそれにともなう「リストラクチャリング」、また年功序列賃金を一部修正する、いわゆる「成果主義賃金」があいついで導入されていきました。
これらの雇用制度の変化は、この時代の日本企業にとっては、不可欠のことであったかもしれませんが、「職場の人材育成機能の弱体化」という副次的産物も、同時にうみだすことになりました 。組織のフラット化、リストラクチャリングによって、職場のメンバーが減り、マネジャーの業務が多忙化します。行きすぎた成果主義は、職場における組織市民行動(自発的な助け合い)を減少させ、成果につながらない若い労働者の育成を担おうとしない雰囲気が生まれた職場もありました。
企業によっては、この時期、新卒採用を抑制したことも、悪循環に拍車をかけることになります。職場の世代間に大きなギャップが生まれ、コミュニケーションがうまくいかなくなる職場もでてきました。また、年代間の断絶により、知識や技術の伝承が進まない上、当時、新卒採用された社員がマネジャー層になる頃には「育てられた経験」も「育てた経験」もないために「育てられない」マネジャーが続出するようになってしまったのです。この時期をひと言でいえば「職場の機能不全」、このひと言につきると思います。
ちなみに、1990年代は、研修予算も大幅に削られた時代でした。前時代に増加した研修予算は、コストカットの圧力のもと、大幅に削減されていきました。振り子は、ふたたび「職場・現場・経験」に戻ってきました。
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1990年代後半ー2000年代前半にかけて、隆盛をはかったのは、職場における人材育成を可能にする部下育成の技術です。目標の提示と支援を主眼とする「コーチング」を管理職研修で導入するようになりました。「自己成長の物語」を主眼としつつ、それをいかに「支援する」のか、という視点で人材開発が語れるようになりました。
これは、どのようにして部下と関わり、指導していくべきか悩む管理職層に受け入れられる結果となりました。振り子の振り幅は「職場・現場」に大きく触れています。
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2000年代は、企業の経営課題に「人材育成」が前景化してくる時代です。1990年代に冷え込んだ職場の人材育成機能を何とか立て直そうと、企業が人材育成・人材開発に注力しました。
この時代は、「従業員は現場の経験で学ぶ」という認識が広まり、「OJT」を再構築しようという動きが活発になりました。
日本の経済発展を支えてきた団塊世代の大量退職を前に、知識・技術の継承、若手の育成が大きな課題となり、経営人材を育成するため、選抜型でミドル社員を強化して育成する「リーダーシップ開発」も活発になりました。選抜された社員にタフなプロジェクトや業務をアサインし、アクションをうながしつつ、リフレクションさせるかたちのリーダーシップ開発です。これは、リーダーシップの開発を「リーダーの行動の改善」ととらえた1940年代とは明らかに様相を異にする動きでした。
この時代には、1990年代と比べて、企業の人材開発の動きが、「従業員全員に均等に配分される」という動きが弱まり、成果をだし将来活躍していく社員に対して、「選抜型」で選択的に教育機会を配分する動きが生まれてきました。教育予算も2000年代中盤をのぞいては、減少傾向にあります。
また振り子は「現場」にあります。
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2000年代、人材育成における「OJT」の重要性が再認識される中、盛んに行われていた「企業内研修」の質的転換がおこりました。「階層別研修」などの、儀式的要素の高い研修が見直され、より「実務に活かされる研修のあり方」が模索されるようになりました。教授設計理論や学習科学の知見が人材開発研究に本格的に流入したことも見逃せない変化でした。かくして、研修の手法も、研修室で行われる従来の講義型研修から、現場の課題解決を研修課題とするアクション・ラーニング型の研修などが取り入れられるようになってきました。
アクションラーニングは、1980年代、1)実践と行動に基づく学習を試行すること、2)実践の内省を重視すること、3)探究的洞察を重視することなどを重視した学習形態としてRevansによって創始されたものですが、それが本邦で人口に膾炙するようになりました。
2000年代は1980年代とは異なったかたちで、人材開発において学問が消費された時代でした。OJTを刷新したり、研修を開発したり、人材施策を見直すために消費された学問知見が注目されました。
この時期、社会的ニーズを背景に、職場での人材育成のあり方、OJTのあり方や研修効果に対する実証研究があいついで発表されました。それまで、職場の垂直的な発達支援関係を扱うことが多かった組織社会化研究に「職場の多種多様なメンバー・ネットワーク」を扱う研究が、少しずつ増えてきました。
2000年代から流入した教授設計理論や学習科学の知見は、「アクティブラーニング」「ワークショップ」などのブームを生み出します。それらはいわば「バズワード化」しつつ、2010年代に引き継がれました。
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2008年、世界は未曾有の不況に襲われます。
いわゆる「リーマンショック」です。米国のサブプライムローンの焦げ付きに端を発する世界最大の投資会社のひとつリーマンブラザーズ証券が64兆円ともいわれる巨額の負債を抱えて倒産。その余波は、世界同時不況というかたちであらわれました。
長引く不況の中、雇用不安・キャリア不安が拡大し、よっつの変化があらわれました。
ひとつめは「研修の内製化」、製造業においてはあたりまえですが、製造業以外においても自社社員を用いて人材開発研修を担当させる動きが盛んになりました。研修講師養成プログラムが注目を浴びますが、それらの一部には教師教育研究の知見が反映されていきます。
ふたつめは、ふたたび社外の勉強会や交流会が盛んになりました。バウンダリーレスキャリア、プロティアンキャリアなどという言葉がもてはやされ、組織の境界を越えて自らのキャリアを切り開かなければならないという認識が広まりました。これは、今から30年前、1980年代にも存在していた風潮です。
それらに加えて、企業が保持する技術や知識を外部に公開し、他企業と連携、協力するコラボレーション(異業種間コラボ)によってイノベーションを起こそうという(オープンイノベーション )の流れも、社外の多種多様な集まりが活況を呈するきっかけになったことも否めません。また企業研修も、異業種の企業が協力して運営するかたちの研修が広まってきました。いずれにしても企業間の垣根は低くなり、異業種のアライアンスも頻繁に生まれるようになってきました。
みっつめは、研修開発のグローバル化です。多国籍で事業展開する企業においては、現地と国内の研修を一律化し、ダイバーシティ溢れる参加者によって研修が実施される流れが生まれてきました。それは1980年代に流行した「国際化」の流れとは明らかに一線を画するものです。
一部の大手事業会社では、人事部・人材開発部の社員として、日本人以外の外国人が登用されるようになってきました。いくつかの外部の教育ベンダーは、海外に出て行く日本企業を追って、海外の事業展開を進めました。
よっつめは、組織開発の再注目です。1980年代、一度は途絶えたかのように見えた「組織開発」が、再評価されています。ダイバーシティあふれる職場・雇用関係を背景に、それらをいかにまとめ、組織の卓越性を果たすか。再注目を浴びています。
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以上が、人材開発・小史、1.2節の要旨です。
あくまで私見ですし、ざっくりと語っています。ですが、いかがでしたでしょうか?
大切なことは、今まさにわたしたち自身も「揺れ続ける振り子」の中にあるということです。
「振り子」の揺れは、社会の変化もさることながら、様々な理由でつくられます。世の中には「揺れがない」と困る人々もいらっしゃるのです。
重要なことは「振り子の揺れ」に惑わされないために、自分の軸をもつこと。「新しいと思っていたこと」が、実は、「過去に注目されていたこと」を知ること。そして「歴史から学ぶこと」ではないか、と思います。たいていは「安易な二極思考」を避けることで、本質が見えてくる可能性が高まるものです。
僕は学生によくいうことがあります。
物事を考えるために「大きな世界地図」を持とう。その地図の中で、自分のめざすゴールだけでなく、その周辺を見てみよう。
自分の持っているのが「大きな世界地図」ではなく、「はじめてのおつかいで、子どもが持たされる地図」のようなものだったとしたら、常に、自分の行くべきゴール(八百屋さん)にしか目が向かないよ。でも、世界はもっと広いんだよ。
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さて、研修開発入門は、とりあえず第一稿をあげました。これから間杉さん(ダイヤモンド社)、井上さんらと編集・構成をさらに整えていくことになると思います。間杉さん、井上さん、どうぞよろしく御願いいたします。
今日からは、もう一冊の新書「マネジメント本」に取り組んでいます。今日は4時から執筆を進めてきましたが、先ほど、序章を書き終えたところで、力尽きました。もうダメポ。
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こちらは、黒田さん(中公新書ラクレ)、秋山さんとの作業になると思います。長い長い道のりになりそうです・・・すみません・・・どうぞよろしく御願いいたします。
そして人生は続く
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