2013.11.18 08:08/ Jun
「敷居を下げる」のではなく、「顧客に賢くなってもらう」ために「学びの場をつくること」は、大切なのではないか?
最近、僕は、そんなことを思います。
今日の話題は「顧客に賢くなってもらうこと」。ざっくりひと言で述べるならば、「伝統的エンターテインメント(アート)」と「顧客教育」の関係についてのお話です。
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最近、こんなことを思い至るようになったのには、理由があります。
先日、「オーケストラに聴くプロフェッショナルの学び」というイベントを、坂口さん、山岸さん、日本フィルの方々の協力を得て、開催させていただいたのですが、そのイベントの「後」で、僕自身に起こっている「変化」が、我がことながら(!?)、まことに興味深いのです。
世界初!?ワークショップ「オーケストラに”聴く”プロフェショナルの学び」参加者募集!
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/09/post_2085.html
イベント「オーケストラに聴くプロフェッショナルの学び」は、オーケストラの「リハーサル」を観察・見学させていただき、楽曲のポイント、作曲家の特徴についての解説を日本フィルの山岸さんなどからいただいたうえで、「本番」を聴くというイベントでした。イベントのテーマは「プロフェッショナルの学び」。音楽を聴きながら、経営的テーマを考えるという世界初!?のイベントです(最近、世界初!?と名乗ってしまったもん勝ちだと思い込んでいる節あり)。
リハ・本番の曲目は、マーラー。それも9番!マーラーが晩年、自らの死を予感しつつ書いた「それはそれは渋い曲」です。
指揮者ラザレフのタクトは鬼気迫るものがありました。第四楽章最終部では、消え入る音の中で、プルプル震えるラザレフを見ることができました。このプルプルラザレフ、なかなか、忘れられない印象深いものでした。
坂口さんの安定的なファシリテーション、山岸さんの専門的解説は、松浦さんの堅牢なロジスティクスのおかげで、イベントは盛会に終わりました。
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ところで、このイベントのあと、僕に起こっている変化とは何かと申しますと、ひと言で申しますと「クラシックルネッサンス」です(笑)。
9番からはじまり、マーラーの交響曲をもう一度すべて聞き直したり、それからはじまって、ベートーベンを聞き直したり、こんなにクラシックを聴くことはなかったな、と思うくらいに聴くようになったのです。
昔、ピアノをやっておりましたので、そこそこクラッシックは聴いておりますが、最近は、とんと、ご無沙汰でした。
その僕が、もう一度、クラシックを聴き直している、というのが興味深いところです。
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今から考えてみると、きっかけは、やはりあの瞬間だったな、と思うのです。それも、僕は、自分一人でコンサートを聴きにでかけただけでは、今の状態にはならなかったな、とも思います。
当日の楽曲は、マーラー9番。そして、リハーサルで演奏されているのは第四楽章でした。
少し詳しい方ならおわかり頂けると思うのですが、マーラー9番第四楽章とは、静かなレクイエムのような曲です。
吹奏楽で演奏したいと思わせる曲ではないですし、その性格から、なかなかの「玄人さん」しか、一般には、聴かないのではないでしょうか。
しかし、この日のリハーサルは第四楽章でした。
リハーサルでは、参加者の方々は、事前に日本フィルの山岸さんから、第四楽章の聴き方をいくつか指南していただき、そのうえで、ホールに入っていきました。
僕がもっとも興味深かったのは
「第四楽章には、何度か同じメロディがかたちをかえて繰り返されます。そのメロディを探してみてください」
という山岸さんの、ひと言でした。このひとことで、僕は俄然興味をもち、第四楽章を「愉しむこと」ができました。会の終了後は、みなさんと、対話をしたり、それは愉しい時間でした。
ふとしたきっかけで、本番に感動し、クラシックをもう一度聞き直す生活にはまっているというわけです。まことにありがたいことです。
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最近は、忙しくてあまり出かけることができませんが、暇をみつけて、クラシックや能など、伝統的なエンターテインメントに出かけていて、いつも思うことがあります。それは、ひと言でもうしますと「顧客の高齢化」です。場によっては、かなり「空席」が目立つものも少なくありません。経営的にはそう楽ではない、と推測します。
僕はエンターテインメントには全くの門外漢。それも、ヘビーユーザーではありませんので、あまり詳しいことはしりませんが、たとえば僕くらいのお客さんが、圧倒的に少ないことは、非常に気になっていました。
若年層は忙しいですし、また「客単価」がそこそこしますので、おいそれと「伝統的なエンターテインメント(アート)」には、なかなか出かけられません。
しかし、それにもまして、おそらく障壁になるのは「伝統的なエンターテインメント(アート)」は愉しく鑑賞するためには、ある程度の知識や教養やヒントみたいなものが必要で、興味をもっていたとしても、なかなか「新規参入」しにくい性質があります。つまりひと言で申しますと「敷居が高い」ということです。
こうした場合、マーケティングの観点から考えますと、「伝統的なエンターテインメント(アート)」が採用しうる方向性は2つあります。
それは、「伝統的なエンターテインメント(アート)」が「自らの敷居を下げる」か。それとも、「顧客に賢くなってもらうか=顧客教育を行うか」です。
図に書きますと、こういうことですね。
前者の場合ももちろん奏功するケースはあるんでしょう。とくに最初のきっかけにはいい気がします。しかし、長期的な視野にたった場合、「敷居を下げて顧客に迎合してしまった伝統的アート」といいますのは、どうも自己矛盾の可能性を孕みうる気もしてきます。
やはり、こういう場合は、後者のように「顧客に学びの場を提供し、賢くなってもらう。そのうえで、継続顧客につなげる」という戦略も、検討の余地はあるのではないか、と思いました。ひと言でいうと、「学びの場を提供し、ファンをつくる」ということです。
「敷居を下げる」のではなく、「顧客に賢くなってもらう」ために「学びの場をつくること」
おやおや、こんなところにも、学びの可能性がひらけているようです。
そして人生は続く。
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