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2013.6.7 11:39/ Jun

「惨いグループワーク」から学習されてしまうもの

「僕、グループワークが嫌いなんですよ。人と話をするのは嫌いじゃないです。でも、今まで、グループワークで面白いと思ったことがない。出しゃばる人はでてくるし、かみ合わないし、そのくせ、アウトプットになると、みんな腰引ける」
 先日、ある学生さんから、こんなお話を聞きました。ICレコーダをもっていたわけではないので、一字一句同じではありません。
 なるほど、これまで何度も「惨いグループワーク」を経験しつづけてきたせいで、「グループワーク」そのものの価値をネガティブに感じるようになったのですね。
 「人と人とがインタラクション(相互作用)をしながら学ぶということ」には必然的に「プロセスコンフリクト」が含まれます。いつもいつも「仲良しグループ・和気あいあい」というわけにはいかない。別の言い方をすれば、グループワークとは、時に「ぶつかりながら、何かを生み出す経験」でもあるのです。
 しかし、「度をこしたコンフリクト」、「過剰なぶつかりあい」は、あまりポジティブな結果をうみません。ぶつかりあいや、コンフリクトを、ポジティブかつ建設的なアウトプットに近づけるファシリテーションや介入が必要になります。
 もっとも避けたい事態は、「惨いグループワーク」における経験が繰り返された場合、「グループワークそのものの価値」をネガティブに学習してしまうことです。
 このことに関連して、大村はまさんは、こんな言葉を残していらっしゃいます。

話し合いは「悪い癖」がついてしまいますと、まず直すことは不可能です。話し合いに対する興味を失い、その重要性を軽蔑するようになってしまいます。話し合いなんて時間つぶしでつまらない。みんな聞いてもきいても黙っていて、何も言わない人がいるとか、愉しく話せないとか、話し合っても、結局は、自分で考えたのと同じだ。話し合いがなくても、結局自分自分でやればいいんだ、とそういうふうになってしまいます。
(大村はま)

「惨いグループワーク」によって、「グループワークの価値」をネガティブに学習してしまう事態だけは避けたいものです。逆に言うと、「グループワーク」をするということは、それなりの「腹をくくって」、やる必要があるということでしょうか。
 そして人生は続く
 

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