2012.11.3 08:08/ Jun
もう学校に行きたくない!
愛するティーンエイジャーの息子に、もし、あなたが、こう言われたとしたら、あなたはなんと答えるだろうか。ディヴィッド・ギルモア著「父と息子のフィルム・クラブ」を読んだ。
この本は、ジャーナリストでもあったギルモアが、学校に行かないと宣言した息子と、いくつかの約束をしたうえで、学校に行かせず、過ごした数年をつづった本。
ギルモアが「学校に行かなくてもよい」ということで、息子にしめした条件は、下記の2つ。
「ただし、条件がある。学校をやめても、おまえは働かなくてもいい。 / しかし、いいかい、麻薬は絶対に禁止だ。もし麻薬をやったら、この取引は破棄するぞ。」
そして、もうひとつの条件は、
「これから、週に3本、映画を一緒に見て欲しいんだよ。見る映画はわたしが選ぶ。それが、これからおまえがうける唯一の教育だ」
かくして「父と息子のフィルムクラブ」がはじまった。
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「同じ映画を見て、語る」ということは、単に「見ること」「語ること」だけに終わらない。映画を見て語れば、自分の内部にある価値観や感情が、意図しようとしまいとにかかわらず、外化される。
「だれかに映画を推薦するのは、大きな危険をともなう行為である。ある意味で、それはだれかに手紙をしたためるとの同じく、自分の内面を露わにする行為なのだから。それは自分の思考法を示し、自分がどういうことに感動するかを示すわけだし、ときには、自分が世間にどう見られているかを示すことすらある」
かくして、フィルムクラブは、父と息子の内面の語りの場となる。息子のみならず、ギルモア自身も、当時、仕事で行き詰まり、ケアを必要としていた。フィルムクラブは、どちらか片方のために存在していたわけではない。両者にとって必要な場であった。
ギルモアがときに息子に行うアドバイスは、ときに刺激的である。
「今、つきあっているボーイフレンドに、そういう仕打ちをする女性は、新しいボーイフレンドにも、そういう仕打ちをするだろう」
「この宇宙には、不滅の原理ってやつが2つあってね / その一、馬鹿なヤツとつきあって、得することは何一つない。その二、未知らぬ人間が握手を求めて近寄ってきても、友人になりたがっているわけではない」
「流血とともにはじまった恋は流血とともに終わるものなのさ」
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結局、年月は流れ、音もなく、そして突然に「フィルムクラブ」はおわる。息子ジェシーがフィルムクラブを「卒業」したのだ。どのように「卒業」したのかは、実際に本を手に取ってみて欲しい。
個人的には、
子育てとは「さよならの連続」である。まずオムツに別れを告げ、ついで、ベビー服に別れを告げ、そして最後には子ども自身に「別れを告げる」
ということばが、印象的であった。
微笑ましく、ハートフルでいて、どこか切ないお話であった。
そして人生は続く。
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■2012/11/02 Twitter
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